静かな夜
「姉ちゃん、ちょっと聞いてみてよ」
もうすでに布団の中でうつらうつらしていた凪は、返事とも呻き声ともつかない声をあげた。
「あ、もう寝てたの?じゃあ、明日でいいや」
「……なにが」
そんな程度のことで眠りを妨げるなんて、と思いつつも凪は体を起こした。
洸の話は早めに聞いておいた方がいい、と最近の出来事と傾向から学んでいる。
「翔太が作った曲、送ってきたんだよ。結構いい感じじゃね?」
(本当に明日でよかったやつかも……)
凪はため息をついたものの、せっかく起きたのだし、とイヤホンを耳にした。
確かに小学生が作ったにしては悪くない。というか、普通に聞けるギター演奏だ。
今日の様子も見ながら思ったが、翔太の上達の速さは凪の素人目にも明らかだった。
「あいつ、もしかして天才じゃね?集中力えげつないしさ」
フーン、フフフーン、ラー……
バックでハミングする翔太の声が聞こえる。ほんのワンフレーズなのに耳に残るメロディライン。凪はすっかり目が覚めていた。
(天才。確かに。いや、音楽のことなんも知らん人間が判断することじゃないけど。ただ……)
それに続く言葉が出て来ず、凪はモヤモヤとした。
そつなくギターを弾きこなすこと、小学生とは思えない曲を書いたこと、鼻歌とはいえ正確な音程。
姉の贔屓目として(プロになれるかどうかはともかく)、洸には音楽の才能があると思っていた。だが、翔太はその比ではない気がする。このまま才能を伸ばせれば、洸くらいの年齢には……
ふっと凪の脳裏を幻想が掠めた。
黒い翼を出し、マイクの前で、にこやかに歌い上げる翔太。熱狂し、翔太の方へ腕を伸ばす観客たち。さあ、みんなも歌って、と呼びかけると全員が翔太を見つめて歌い出す──
やけにまざまざと想像してしまったのは、まだ脳が半分寝ているからだろうか……
「ウィンガーの芸能人ね……」
「え、オレ?」
思わず口をついた言葉を洸はちゃんと聞いていた。
「いや〜、それ考えたことあったんだけどさ。絶対、すぐに名前売れるじゃん?でも、アンチとか集まるのも間違いないし、変な言いがかりとかつけられそうだし」
やっぱり本気で音楽で有名になるつもりなんだな、と凪は感心半分呆れ半分で弟を見やった。
「言わない方いいんじゃない?そんなんで話題になったって、一過性のもんでしょ」
「ああ、やっぱ、そうだよね〜」
そんなことで悩む将来が本当に来るとは思えなかったが、
(まあ、高校生はこのくらい夢があっていいか)
と、鷹揚に凪は頷いた。
「さあ、もう寝るよ。お姉ちゃんは今日、力を使って疲れたんだから」
「疲れるほど使ってないでしょ」
という洸の言葉に反論する気はもうなかった。
ホテルのベッドの上でパソコンを叩いていた西崎は、軽く一息ついて隣のベッドに目をやった。親友の本郷の寝相はお世辞にもいいとは言えず、右手と頭が半分、ベッドからはみ出していたが、
(そのうち戻るだろう)
と判断し、何もしないでおいた。
幼い頃からよく知った仲とはいえ、二十歳を過ぎた男性2人で同じ部屋に泊まる気はなかったのだが、年末の繁忙期でなかなか空いてるホテルも見つからなかったのだから仕方ない。
「ダブルの部屋じゃないだけいいだろ」
と、本郷も仕方なさそうに言っていたが、この寝相では万が一でも同じ布団を共有するのは無理だ。
もう一度、画面を見直して必要な仕事を完了したのを確認すると、西崎はニュース画面を開いた。
ミハイル・ブランの脱獄に関する見出しが多い。捕まった様子がないどころか、その行方も見当がつかないらしく、フランスの警察を非難するコメントが多く挙げられている。ちらほらとミハイルを擁護するコメントもあり、SNSでは小さな炎上も起きていた。
同じウィンガーとしてミハイルのニュースは追ってきている。いつも気分が悪くなるネタしか報じられておらず、特にヨーロッパでの彼の評判は最悪のはずだ。それでも一部にはミハイルを崇め奉るグループもいるらしい。
SNSの書き込みは面白半分に煽っている輩が大半なのだろうが、と思いつつも、その軽薄な内容に西崎は嫌悪感を抱いた。
ミハイルが元々テロを起こした時の声明も主張も把握せず、ただ驚異的な攻撃力、行動力を賞賛する人々。まるでダークヒーローの扱いだ。
──ウィンガーの登録制度を廃止しろ。移動の制限など非人道的な扱いをやめろ。
そこまではよかった。
──オレたちは優等種である。全てにおいてウィンガーの生存・延命を優先せよ。「ただの人間」は、我々の手足となって仕えろ。今後下等生物である「ただの人間」が生存していく価値はそこにしかない。
連行される際に叫んだその言葉に、多くの人は失笑しただけだった。
各国の首脳にウィンガー据えろなどと宣われても、誰も賛同などするはずがない。しかし、主張が全く受け入れられないからと、ミハイルはテロを起こしたのだった。
(幼稚だな)
ミハイルについて、西崎は当時からその一言で形容できると思っていた。おもちゃ売り場でひっくり返って暴れる子供を連想させる。ただし、ウィンガーなだけに暴れた時の被害が甚大だ。
(またおかしな影響が出ないといいけどな)
ウィンガーとして登録されている同級生の顔を思い浮かべる。今のところ、支障なく生活を送れている、と考えていいだろうが……
遠く離れたこの国まで、ミハイルが逃亡してくるなんてことはないだろうが、どんな余波が来るかは分からない。
神代翔太。黒い翼のウィンガーになると、洸に予言された少年。
身長も高く見た目は実年齢より少し大人びているが、中身は年相応の少年に見えた。西崎も幼い頃から抜きん出て身長が高く小学校四年生で中学生に間違われたから、どこかシンパシーも感じる。
少々無鉄砲な感じと、興味のないことには全く関心を向けない様子は気になったが、それは一概に家庭環境の影響とは言えないだろう。どういう下心があるのかは分からないが、あの叔母に面倒を見てもらっていることで、今のところグレたりもせずにいるようだし、と西崎は思ってから
(いや、傾向に当てはまらないパターンなんかいくらでもある)
と、思い直した。
ウィンガーに発現するタイミングは、感情の昂りが見られた時、それも負の感情が吹き出した時が圧倒的に多い。ウィンガーになった子供は、家庭環境や学校生活などで、様々なストレスを抱えていることがほとんどだと言われていた。
だが、そもそもウィンガー自体が少数だ。統計にはほとんど意味はない、と思ってもいいだろう。
自分たちのことを考えれば……と、西崎は苦い笑みを浮かべた。
確かに複雑な事情を抱えた同級生もいたが、いたって普通の子供達ばかりだ。選抜クラスとはいえ、その中身は他のクラスと大差なかったはず。
(宙彦なんか、キレてるとこ見たことないし、莉音や川田だって落ち着いて物静かな方だった。水沢も……温厚な子供だったよな。今でもだけど)
それでも、自分たちはウィンガーになった。れい子があのクラスで何をしたのか……
翔太がれい子の甥なのは、奇跡的な偶然なんだろうか……
予言通りウィンガーとして発現したとして、普通の状況なら翔太が登録されるのはまず間違いないだろう。
黒い翼のウィンガー。世界中の注目が集まるのは間違いない。
自分たちの目の届く場所にいれば、うまく匿うこともできるだろうが……
もしもアーククラスなら、翼の出し入れだってすぐにコントロール出来るようになる。うまくいけば、隠し通すことは可能だ。
ただ、そのための対策がまだ思い浮かばない──
深く息を吐くと、西崎はパソコンを閉じてベッドに潜り込んだ。




