アンタッチャブル・ウィンガーズ
翔太の家から帰る道すがら、凪は治子から聞き出したことを3人に報告していた。既に伊達守から聞いていた内容がほとんどで、目新しい事実はそれほどない。だが洸には初耳のことが多かったようで、やたら食いつきがよかった。
「ああ〜、大人の世界って、やっぱ金かぁ。絶対、お金を盾にあのおばさん、下僕扱いじゃん」
少し大きい洸の声だが、別に振り返る者もいない。
日が暮れたとはいえ、冬休みの駅周辺はごった返している。歩きながら話す内容ではなかったが、どこの店も混み合っていたし、店の中の方がかえって周りに気を使って会話しなくてはならない。
ウィンガーの聴力を活かせば、小声で十分話し合える、という本郷の提案はもっともで、結局、通りの隅に4人でたむろすることになっていた。
「あのおばさんがいい人でよかったよな。母親だけじゃ児童相談所に通報されてそうな案件だろ。金があってもそういう親っているんだな」
信じられないといった様子でため息をつく本郷に、洸が何度も頷いて同意する。
「会社の資金援助に事故トラブルの示談金。相当な額だろうな。だけど、それで子供の世話丸投げしていいって話じゃない。神代遼一、どういう人間なんだろうな」
西崎は,かなり不愉快そうだった。
「うん……」
西崎の視線が自分に向いていることに気付いて、凪は
「あたしの……印象なんだけど……」
と前置きしてから続けた。
「少なくとも家族とは問題を起こさないように気を使っているつもりみたい。奥さんはそんな逃げ腰が気に食わないけど、治子さんはよく出来た人だって言ってた。多分、本心」
多分というか、しっかり凪の力が効いている状態での返答だったから、まず間違いないだろう。遼一のことを語るあの顔つきは……
「なんと言ったらいいか……」
この場で言うべきがどうか、一瞬逡巡したが、自分の感じたこととして言っておいた方がいいと凪は判断した。
「治子さん、遼一さんに好意を持ってるんじゃないかな。そんな感じがした」
男性陣は分かりやすく顔を顰める。
「いや、なんか姉妹関係も、夫婦関係も複雑すぎて、あたしには理解し難い大人の世界だったんだけども」
この言い方がフォローになっていないのを承知しつつ、凪は続けた。
「少なくとも翔太くんに関しては、養育を頼まれている以上、保護者としての責任を果たそうとしてるみたいだし。ただ……あの子ちょっと難しいというか、なかなかクセのある子でしょ。どう接したらいいのか悩んではいるみたい」
ただ責任感が強いのか、聖人のような包容力を持っているのか、それとも遼一に対する下心があるのか、治子の本心は凪にもよく分からない。翼を出して、洗いざらい話してくれと言えば分かるのだろうが、正直、聞いてみたくはなかった。
「まあ、翔太にしても確かに変わった子供だが、捻くれたり荒んでるわけじゃないしな。両親のネグレクトをあのおばさんがフォローしてるお陰だろうな」
西崎の言葉に、本郷が遠い目をする。雑踏へ向けられたその視線が、
「宙彦?」
呼びかけられて戻ってきた。
「あ、いや、室田のこと考えてた。世の中にはロクでもない親って、結構いるもんなんだな……」
凪が思い浮かべたのは立山尚の顔だった。室田も立山も母子家庭で、経済的に恵まれない子供時代を送っていた。最期を悲惨な形で迎えてしまったのも似ている。
その点、翔太の場合、両親は健在だし金銭的には恵まれた環境にいる。そこは大きく違うのだが……
「そう言えば、西崎さんはなんか見えなかったんすか?アイツの過去のビジョン」
さすがに声をひそめた洸の問いに、西崎は首を振った。
「オレは通常の状態でビジョンが見えるのは滅多にないんだ。前に見えたのは、」
一瞬言葉を切った西崎の口元が引き締まるのを凪は見た。
「室田が亡くなる直前だ」
腹部を拳銃で撃った室田のそばで、必死に呼びかけていた西崎と本郷が凪の脳裏に蘇った。
室田の肩を掴んでいた西崎がふらつき、地面に手をついて荒い息を吐く──
あの時の光景はコマ落としのように断片化しているのに、その一つ一つは鮮明に思い出せた。
あまり見たことのない西崎の姿だったから、余計に記憶に残っているのかもしれない。
「あれは──室田のフラッシュバックを見たような感じだった。人を殺めた時の。一番、鮮明だったのが野宮れい子の顔だったよ」
一呼吸おいて西崎は続ける。
「もしかしたら、相手の感情が昂っている時だと見えやすいのかもしれない」
経験から来る西崎の感覚なのだろう。
「そうか……とは言っても、相手をそんな状態に持っていくのも簡単にできる話じゃないしなぁ。音十弥の能力は偶然の発動を待つしかないでしょ」
ポン、と肩に手を置いた本郷に、西崎はわずかに口角を上げて応じ、
「それに過去が見たいとすれば、神代遼一の、だ。とにかく居場所の手がかりだけでも掴めるといいんだが」
そう言って、腕時計に目をやった。
「さて、メシでも食いに行くか!」
翔太の家で「夕飯も一緒に」というのをさすがに辞退して帰ってきている。辺りはとうに暗くなっていた。
「あ、あたしは帰ってお店を──」
「伯母さんにはご飯食べて帰るって言っておいたよ」
男性陣から離れて帰ろうと考えた凪の言葉を洸が遮った。
「いつの間に……」
と言ってから、先ほどトイレに行くと言った弟がどこかへ電話をしながら戻ってきたのを思い出す。
(どうも最近、洸に出し抜かれてばっかりな気がする。変に要領はいいんだよな……)
姉に逆らわないようにしつつ、その行動を先回りしてコントロールしようだなんて気に食わない。だが、もちろん洸に悪気があるわけではない。
「何にする?」
「ラーメン」
西崎の問いに、本郷が即座に返した。
「え?」
「え、ここでラーメン?」
予想外の提案が、しかも本郷から出たことで、凪も前のめりになって聞き返してしまった。
「グルメサイトで見つけたんだよ。こだわりのチャーシューが美味そうなやつ」
「昨日の夜から言ってるやつな。そこ、昼間しかやってないだろ」
西崎の口ぶりだと、昨日から何度もその店の話をしているらしい。
「え、マジ?!」
「何回も見てるのに、なんでそこチェックしてないんだよ」
大の男が2人でワイワイ言いながらスマホの画面を覗き込んでいるのを、凪は苦笑して眺めていた。
「本郷さん、ラーメン好きなんだね」
洸はいささかキョトンとした面持ちでやり取りを見ている。
「うん。確かに意外。あ、でも前にラーメン奢ってもらったことあった。結構食べ歩きとかもしてるのかも」
「へえ、てか、ラーメンデートとかしてたんだ」
「は?!デートのはずないでしょうが」
容赦なく姉に摘み上げられた頬の痛さに洸は悲鳴をあげた。
くるりと本郷が振り向いたので、てっきり洸の悲鳴に反応したのかと凪は手を離したが、しかめつらをした本郷が口にしたのは、
「ミハイル・ブラン脱獄だってよ」
という、全く関係ない話題だった。
「え?」
スマホを指差し、
「速報で流れてきた」
と言われて、凪が自分のスマホでニュースを検索すると、確かにそれはすぐに出てきた。
ミハイル・ブラン。別にウィンガーではなくてもよく知ったテロリストの名前だ。そして、同じウィンガーとしては嫌悪感を感じざるを得ない名前。
「外部からの手引き……そりゃそうだろうね。いくらウィンガーだって……」
画面を見ながら凪は思わず呟いた。
洸が脇から覗き込んでくる。
「あー、フランスかどっかでテロ起こしたウィンガー?すっごい厳重な刑務所に入れられたんじゃなかったけ?」
ミハイル及びその仲間のウィンガーが特別に対策を施した刑務所に入れられた、というのは公式に発表されたわけではなかったが、事実であろう。
翼を出した時のミハイルがどれほど人間離れした状態になるかは知らないが、元軍人という肩書きからして、大の男を片手で投げ飛ばすくらいのことはするだろうし、暴れ出したら、看守の2,3人で取り押さえられる相手ではない。普通の刑務所で収監しておけるはずがなかった。
「脱走の際、数名の職員に怪我を負わせ……重傷者もいる模様、か。多分、死人も出てるだろうな」
憮然と言った西崎に、本郷も頷いた。
「ほとんど殺人狂の部類らしいからな。とんでもない奴を解き放ったもんだな」
過酷な生い立ちと生活環境、度重なった不運。ミハイル・ブランについて、報道やネットで流される逸話はだいぶ誇張された部分があるにしろ、同情を誘うものではあった。しかし、裁判の時も彼は延々と呪いの言葉を吐き続け、反省や謝罪の言葉は一つも口にしなかった。さらに、彼の手記を出そうとした出版社に法外な報酬をふっかけたり、遺族の感情を逆撫でする言動を繰り返したりと、その所業はから「翼を持った悪魔」という異名をつけられるほどだった。
(まるで悪役を一手に引き受けてるみたいだな)
凪は彼のニュースを聞くたびにそう感じていた。
おそらく──自分たちがそうであるように、ミハイルも翼を出している時の判断力、認識力は相当なはずだ。その言動が裁判にどんな影響を及ぼすかも分かっていたはず。にも関わらず、人々の憎悪を掻き立てるような言葉を発せずにいられないということか……
「これ、捕まえる時にもまたケガ人出そうじゃね?」
洸の言い方はどこか面白がっているようで、凪はその脇腹を小付いた。
ヨーロッパの脱獄事件が直接、ここまで影響してくることは考えにくいが、
「これ以上、締め付けがキツくなるのは勘弁だよな」
「まあ、いい方向には変わらないだろうな」
本郷と西崎の言う通り、ウィンガーに対する規制や偏見がさらに厳しくなることは予想できる。
それでも、ウィンガーであることを隠して生活する自分たちには取り立てて影響がないだろうと、凪は遠い世界のニュースとして聞いていた。




