冬の一日 ①
「よっしゃ!これで思いっきり羽を伸ばせるぜ!」
空港に向かう両親を駅まで見送り、洸は小さくガッツポーズをした。
(いや、実際の羽はそう簡単に伸ばせないけどね)
胸の内で呟き、凪は嬉々とした弟の横顔にため息をつく。
「さあて、伯母さん今日はなに食べさせてくれっかな〜」
「あんたねぇ、なんでなんの遠慮もせずにタダ飯食べていられるのよ?」
絵洲市から遠く離れた土地のターミナル駅。なぜここに水沢姉弟がいるかといえば、それは様々な偶然と、洸の思惑の結果だった。
「今までのお店は人に譲って、小さなお店を始めたの。よかったら遊びに来て」
この街に住む伯母から連絡があったのは11月半ばのこと。
伯母とはいっても、遠方にいることもあって、お歳暮などのやり取りをする程度の付き合いだったのだが、ここ数年は凪や洸、それに義理の妹に当たる凪たちの母親にも何かにつけてプレゼントを送ってくれる。
夫と2人で経営していた小料理屋を、夫の亡き後も引き継いでいると聞いていたが、経営はかなりうまくいっていたらしい。
なんだかんだ理由をつけて送ってくるものが高級品ばかりであることに気がついたのは凪が最初だった。
凪の母親はそこら辺はどうもおっとりしている。そして、なぜか実の弟にはまるでお構いなしだったが、父親も気にした風はなかった。
高価な贈り物をしてきても、伯母は恩着せがましい言動をしてくることもなく、
「私、夫も亡くなったし子供もいないし。こんなことでもないと買い物に行く張り合いもないのよ。私好みの物ばかりで悪いけど、付き合ってちょうだいな」
お礼の電話がてら、凪がやんわり遠慮を申し出ると、あっけらかんとした口調でそう言われてしまった。
伯母からの誘いに、父は最初、まるで行く気がなかった。姉弟仲が良くないのは凪も知っていたから、開店祝いだけ送ってお終いになると思っていたのだが、
「伯母さんちってさ、翔太の家と同じ市内じゃん」
と、洸が言い出した。
冬休みを利用して、神代翔太の様子を見に行く計画とちょうどいいタイミングだ、というのだ。
「お祝い、オレが持っていくっていったらお父さん交通費くらい出してくれるかな」
わざわざ凪にそう言ってきたのは、父の心理操作をしてくれ、ということに他ならない。
凪としては、不用意に能力を使うことには抵抗があり、すぐには頷けなかった。
というわけで、まずは正攻法で対処することにした。つまり、
「伯母さんからは色々プレゼントももらってるし、直接会ってお礼を言いながらお祝いを渡したい」
と告げたのである。更に、
「洸がN大受験するって言ってるし、下見も兼ねてみんなで行ったらいいんじゃないかな」
の言葉に、洸は目を見開きつつも黙って頷いた。
伯母の家と同じ市内にあるN大だが、洸が受験する予定などない。そもそも、試験直前のこの時期に下見など行っている場合ではない。
それでも、
「進学はしない。音楽で食べていく!」
と宣言した息子に手を焼いていた両親は、洸が受験を考えている、と聞いただけで顔を綻ばせた。
「そうか。勉強は大丈夫なのか?いや、成績がいいのは知っているが。うん、そういうことなら……家族旅行なんて、しばらくしてなかったしな」
逡巡しながらも父は首を縦に振った。
しばらく、どころか家族で泊まりがけの旅行なんて凪の記憶にはない。母も父が承諾したのは意外だったようだが、嫌な顔はしなかった。
日程はクリスマスが終わってすぐ。
年末の慌ただしい時期ではあったが、翔太からも絵文字だらけの大歓迎メールが返ってきた。
「ヨシ!オレと姉ちゃんで延泊して、観光してから帰ることにしようぜ」
両親は観光もせず、一泊の予定で帰ることを早々に決めていたから、あとは自由時間だと、洸は小学生のようにはしゃいでいたが、
「あんた、受験生だよね?そんなん許されると思う?」
当然、凪はツッコミを入れた。
「いや、観光と称して翔太に会いに行くに決まってんじゃん。オレらにとってはそれがメインイベントでしょ。フェスに出るのは辞退したんだし」
洸は頬を膨らませた。
誘われていた音楽イベントの出演を辞退した、というだけで洸にとっては受験生の自覚を表明したつもりらしい。
かなり地頭のいい弟だから、どこかの大学には引っかかりそうだが、世間の受験生の感覚とはだいぶずれている。
そもそも、本当に大学に進学する気になったのか、凪としてはかなり怪しんでもいた。
「ていうか、お父さん市内の大学あちこち見て帰るっていうの、よくあっさり信じたね。姉ちゃん、何もしてないんでしょ?」
さすがに子供達だけが滞在を伸ばすことに父はいい顔をしなかったが、
「あら、凪ちゃんたちだけ残るの?大歓迎よ。ホテル?やだ、そんなお金かけることないわ。うちに泊まりなさいな」
伯母がそう申し出てくれたことが後押しになった。
(プレゼントのお礼どころか、お世話になりっぱなしなんだよな……伯母さんは嬉しそうにしてくれてるけど)
凪としては気が引けるのだが、洸は伯母の好意を遠慮なく受け取り、あっけらかんと喜んでいる。
「おお!まさかのナイスタイミングだな!」
聞き覚えのある声に振り返ると、すぐ後ろに本郷宙彦の満面や笑みがあった。そして、その隣の一段高い場所には西崎音十弥の顔。
「本郷さん!西崎さん!」
凪よりも先に洸が両手を挙げて応じていた。
「待ち合わせしてたかのような会い方だな」
仕方なく、というか釣られるように洸とハイタッチを交わす2人から、凪は反射的に一歩離れていた。
本郷は育ちの良さを醸し出す雰囲気とさりげなく身につけたブランド品で、西崎は言わずと知れたその身長で、ただ立っていても人目を惹きやすい。
こんな人通りの多い場所で、わざわざ目立つ行動を取る人間とはできれば他人のフリをしたかった。
本来、今日この2人と会うことは予定のうちだ。ただ当初の予定では駅に到着したら連絡をもらい、午後から合流して翔太に会いに行くはずだったのだが……
「ちょうどいいや。早目に昼メシでも行くか」
当然、自分もそこに含まれる流れに、凪はもはや反抗する気はない。
いつかの食事会以来の、凪からすれば奇妙なメンバーは、そうして駅の雑踏を進むことになった。
洸が聞かれないうちから、伯母のことや両親をうまく言いくるめてここまで来た話などをしてくれたおかげで、凪は煩わしい説明を求められることなく、注文した煮込みうどんを冷ます作業に集中できていた。
せっかくなのでご当地らしいメニューにしようかという意見もあったが、混み合う時間になる前に早く済まそうという話になり、手近にあった和風レストランに入っている。
凪としては、昨日伯母が振舞ってくれた料理でご当地メニューは満喫したと思っていたし、西崎と本郷は旅慣れているせいか、特に特徴あるものを食べたい、という気もないらしい。
「そういえば、荷物は?」
2人がほぼ手ぶらな状態に気付き、今更ながら凪は尋ねた。
「ああ、先にホテルに送ってる。面倒だから、2人分ひとまとめにしてさ。送料も1個分で済んだからお得だろ」
本郷から送料とかお得という言葉を聞くとは思わなかったが、それよりも2人が仲良く並んで一つのトランクに荷物を詰め込むところを想像して、凪はニヤけそうになるのを堪えた。
「へえ、飲食やってる親戚がいるの、いいよな」
西崎に真顔で言われ、
「そうなんすよ。遠いから、あんまり会ったこともない伯母さんなんだけど、メッチャいい人で」
洸は大きく頷いている。
「昨日の夜も、今日の朝も、出てきたメシがすげぇうまくて。オレと姉ちゃんただで延泊させてもらえるし」
「ただってねえ、アンタ……ちゃんとお店の手伝いしなさいよ」
洸の図々しさに、さすがに凪は口を挟んだ。泊めてもらう代わりに店を手伝うことは申し出ている。
「うん。わかってる」
カツ丼を頬張りながら答える弟は、絶対に分かっていないだろうと凪は確信した。
「へえ、オレらも夜に食べに行っていいか?」
本郷の屈託のない申し出に普段なら逡巡するところだが、今回は幸いに断り文句があった。
「ごめん。予約でいっぱいだと思う。カウンターだけのお店だから7人しか入れなくて、すぐ埋まっちゃうんだって」
昨晩は凪たち家族が訪れたため、お店は臨時休業。
凪たちは店のカウンターに座って、伯母の料理を楽しませてもらった。
「一人で切り盛りするには、私はこれで限界だわ」
おっとりと微笑んだ伯母だが、予約は2ヶ月先まで埋まっているというから、評判は上々なのだろう。
「そっかぁ、じゃあ、夕飯どうする?」
天ぷらうどんを食べ終えた本郷に聞かれ、西崎は苦笑した。
「それ、今聞くことか?」
なかなかの食いしん坊おぼっちゃまだな、という心の声を凪は漏らさずにおいた。




