日々は続く ④
「なあ、そいつら明確な目的を持ってる組織だって言ったよな?それって、どういうことなんだ?」
微妙な空気の中、尋ねたのは真壁だった。
「ああ、そのことな―野宮れい子がやろうとしてたことと同じだ。ウィンガーを作り出す方法を確立する」
野宮れい子、と呼び捨てにする西崎の口調に凪は強い意志を感じた。
手元のハイボールをグッと飲みこむ。氷がカランと音を立てた。
みんな、固まったように動かない。凪はそっとグラスを置き、西崎の言葉を待った。
結露したグラスはテーブルに水溜りを作っている。水滴を拭きたかったが、近くにおしぼりが見つからなかった。仕方なくそのままグラスからテーブルへ伝っていく水滴を見守る。濡れた指先がテーブルに跡をつけた。
「向こうの連中が注目してるのは、ウィンガーの運動能力よりも、五感の鋭さや判断力、記憶力の向上の方らしい。その他にもウィンガーに対する感知能力があったりなんて特殊能力にも着目してるそうだ。世界には、天気の予知が正確にできたり、複雑骨折も1週間で完治するヤツもいてな。ほんの数分間の運動能力向上よりも、そっちの方が利用価値があると思われてる。いろんな分野に応用が効くのは確かだからな―」
西崎の言葉を理解できているかどうか、凪は心許なかった。
酔っているわけではない。それほど飲んでいない。
みんな西崎に注目し、真剣な眼差しで―海人でさえ―話を聞いている。
(大事なことだ……重要だよね、今後のことも含めて……)
だが、どこかで他人事として話を聞いている自分がいる。
「―だから、正確にはウィンガーを作り出すというより、その能力を引き出す方法を探している、ってことだ。飛行能力に関しては最優先で研究対象になっている。そのエネルギーに関してもだな」
「エネルギー?」
「飛ぶためのエネルギーだよ。オレたちは鳥みたいに翼を羽ばたかせて飛んでるわけじゃない。じゃあ、揚力はどこから出ている?まあ、他の能力にも言えることだけど、飛ぶことに関しては特に物理法則をことごとく無視してる。どうやって力を出しているか、オレたちだって、わかっちゃいない」
「向こうのウィンガーは、自分たちでもそこの疑問に答えを出したいと思ってるやつが多いみたいなんだ。研究に協力する代わりに、現在の生活を保障してもらう。研究の成果はフィードバックしてもらう。研究者として参加してるウィンガーも何人かいるって言ってたよ」
「ウィンガーがウィンガーを作る研究の手伝いしてるわけ?」
「いや、ウィンガーを作り出そうとしてたのは、ダーウィンの研究者だ。ダーウィン・ミッションに関しては、アメリカでも問題しされていて―」
「この先、いろいろ情勢に変化が―」
「日本のアイロウにも影響があるのか―?」
「伊達守さんは大丈夫なんだよな―」
凪は濡れた指先でテーブルに線を引いた。
ちゃんと話は聞いている。口を挟む気はない。だが、引っかかっていることはあった。
さっきから、話の中に自分の名前が出てこない。
(特殊能力を持ったウィンガー、空を飛べるウィンガー……あたしは条件を満たしている)
何より「黒い翼」がある。マイケルはそれを知っている。暴走していた高野愛凪を止めたところも見ていた。
研究材料として、もっとも欲しい存在だろう。凪だって、そのくらいの自負はあった。
マイケルには結構しつこく、他の仲間に会いに海外まで来て欲しいと誘われたこともある。
(あたしに協力して欲しいと……言わないはずがない……)
それなのに、向こうからの要求に自分の名前が出ないのは、西崎たちか、あるいは伊達守も加わって、阻止してくれたに違いない。
確認するまでもなかったが、自分から尋ねるべきだろうかと、凪は考えた。
グラスの結露を指先で拭う。
(思いっきり濃くして飲みたいな……)
そんなことをしても、体質的にそう簡単に酔いはしないし、酔ったところでこのモヤモヤした思考回路から抜け出せるわけでもない。
グラスから目を上げると、
「協力するって言ったら、ただでアメリカには行けるのよね?」
そう言う暦美と目が合った。
「おっ!」
海人が目を輝かせ、
「おお!」
蝦名も大きく頷いたが、
「だろうな。帰って来れる保証はないけど」
本郷の言葉に2人は続く言葉をなくす。
「マジ?」
暦美は眉間に皺を寄せ、
「それ、お前らも大丈夫なのかよ?」
真壁の強面は悪人面になった。
「まあ、オレらはなんとかなるっしょ」
ニヤリと笑ってみせた本郷は、別に強がっている様子ではない。
「ああ、向こうのコミュニティとも結構親しくしてるしな。そっちの心配は無用だ。ただ、オレたちの目の届かない場所で、何が起きるかは未知数だ。だからこそ、限られた人間だけの接触にした方が無難だと思う」
西崎は凪の方を振り返らなかった。あえて、そうしている気がした。
気遣わしげな暦美が、また凪の方を見る。この場で凪の翼のことに触れられないことが、不自然だと彼女も分かっているようだった。
(あたしは……結局、なんのためにここにいるんだろ……)
不意に居心地の悪さを感じて、凪はマスターの方を窺った。
いつものように、疲れて見える横顔。だが、話し合いを見守る眼差しには、強い生気があった。
彼にしてみれば、愛娘、莉音の死の真相が見えてきたという現実がある。
マイケルたちはどうやらダーウィン・ミッションとは対立的立場にあるようだし、うまくいけば彼らの力を借りて、犯人を見つけ出せるかもしれない。
(あたしは……何をどうしたいんだろ……?莉音ちゃんのことは……犯人を捕まえてあげたい。れい子先生のことは……何をしていたのか知りたい気持ちはある……でも、知ったからといって、今更どうにもならない……)
―姉ちゃんは、特別なんだからさ―
突然、頭の中に洸の声が響いた。
―その特別な翼には、特別な使命があると思わない?―
冗談めかしつつ、だがことあるごとに洸はそんなことを言う。
ただ黒いだけだよ……その度にそう言い返している。だが―
話を続ける同級生たちを見ながら、凪は無性に不安が込み上げるのを感じていた。
数日後、八川小学校裏の駐車場に凪の姿があった。
つい先日、エレナを捕らえた場所だ。
神社跡地がすっかり整備され、駐車場になったことを聞いてはいたが、あの時は夜だったし、取り込んでいたこともあり、様子がよく分からなかった。
何度か懐かしい気分につられて、夜の小学校に忍び込んだことはあるが、すぐ裏の神社跡地には足を運んでいない。
当時の面影がすっかりなくなった場所を見ても仕方ない、と思っていた。というより見たくなかったのかもしれない。
実際、エレナを捕まえた時に見た神社跡地には、少し残念な気持ちになった。だが残念ついでに、現状をはっきり見ておきたくなったのである。
当時は大きな木々に囲まれていた廃神社の裏。今は木々はほとんど伐採され、祠のような小さな社の周囲に何本かの植栽があるだけだ。お陰で、以前は見えなかった小学校の裏側がよく見える。
よく晴れているが、風が冷たい。
木立がなくなったせいで、山の頂上に近いこの場所は吹きさらしと言っていい。
カサカサと風に舞う枯葉の来た方を見ると、細い桜の木があった。
(ああ……!)
凪の脳裏に、視界いっぱいに広がるピンクの花びらが浮かぶ。
あの頃、この場所には大きな桜の木があった。廃神社の裏の、知る人ぞ知る桜の木。ろくに手入れもされていなかっただろうに、春にはそれは見事に花を咲かせた。
満開のこの桜が見たくて、凪はわざわざ春休み中にも、ここまで足を運んでいたものだ。
一応、「桜の木」は残されたようだが、今あるその木は、当時の桜と比べればなんとも貧弱な大きさだった。
(もう、面影はないな〜)
寂しさはあるものの、仕方ないことだと思う。神社をあの状態のまま放置しておくことは、当時から問題になっていたようだし、学校行事の際の駐車場も確保できて、評判はいいらしい。
風に乗って、小学校から子どもたちの声が流れてくる。休み時間だろうか。校庭ではしゃぎ回る様子が感じられた。
(懐かしいな〜あたしもあの頃は無邪気に……)
そう考えて、苦笑いが漏れた。
凪はどちらかというと休み時間でも教室で本を読んだり、わずかにいる仲のいい友達のお喋り聞いて過ごすタイプの子供だった。
休み時間のたびに校庭に出るようになったのは、ウィンガーになってから。暦美や美実など、活発な女子に半ば強引にドッチボールや鬼ごっこに付き合わされるようになってからだ。
元々運動神経は悪くはなかったから、それなりに混ざっていたが、インドア派だったそれまでの友達にはいい顔をされず、そのせいで人間関係に子供なりに悩んでいたものだ。
社の前から小学校の方へ歩いてみる。
あの半分崩れ落ちた社があったのはどの辺だろう?薮が生い茂って、小学校まで真っ直ぐ抜ける道があるとは知らなかったが―
(室田くんとエレナちゃんがあたしたちを見ていたの……この辺かな……?)
立ち止まり、社の方を振り返ったが、当時の様子ははっきりとは思い出せなかった。
笑い声が聞こえる。
翼を出して―飛んだり走り回ったり、ふざけたり、喧嘩したり……
―あそこに入れたら……
羨望の眼差しで見ていた室田の気持ちが凪は分かる気がした。
(あの時、気がついていたら……誰かが室田くんを見つけていたら……)
今更考えてもしょうがない。それでも、もし、と考えてしまう。
(室田くん、逃げ出したかな……固まったかな……)
西崎に捕まえられ、アワアワと言葉をなくす室田は容易に想像できた。あの頃の西崎は、直情型だった。今は―驚くほど落ち着いた対応をするようになっているが、当時だったら、きっと室田に詰め寄っていただろう。
それを落ち着かせようとする本郷と、興奮して騒ぎ立てる暦美と美実と……
想像すると、なんだかマンガみたいな情景になってくる。
もう一つ、フワッと思い浮かんだ顔があった。
(れい子先生……本当に、先生があたしたちを作ったの……)
丸顔に丸いメガネ。記憶の中の野宮れい子は穏やかな笑顔のままだ。
小学校の、あの無邪気な騒々しさに紛れて、とんでもない計画がなされていた。それはあまりにも、フィクションじみていて、現実味がなく……だが、今分かった事実からするに、真実に近く……
チャイムの音が聞こえた。子どもたちの声が小さくなっていく。
見上げる青空に、全ての音は溶けていった。




