日々は続く ②
ジーズ・バーの扉が開く前から、誰が入ってくるか予想がついたのは、軽い地響きにも似た足音が聞こえていたからだった。
「おー、みんないるな」
いつもながらの野太い蝦名の声。サッと店内を見回し、
「そして、お客は誰もいないな」
(そんな、ストレートに言わなくても……)
凪は隣のマスターをチラ見したが、むしろ楽しげに微笑んでいる。
蝦名の後ろから入ってきたのは、凪には身知らない顔で、ちょっと警戒したが、
(……あれ?)
すぐに子供の頃の面影が見てとれた。
「あー、千坂じゃん!」
暦美がすぐに声をあげたので、凪はやっぱりと確信した。
千坂昭利。小学校の頃は、本人よりも母親の方がキャラ立ちしていた感がある。
勉強、運動とも中の上といったところ。やや小太りで容姿もパッとはしない。
それでも家は地元では名の知れた不動産会社を経営しており、育ちの良さは感じさせた。
母親が地元の有力者、有名人との関わりを大いにひけらかすのに対し、昭利自身はおっとりしたところもあり、何にでもグイグイ前のめりに出てくるタイプではなかった。
よく伊達守進之介と一緒にいたのは、母親に「進之介くんと仲良くしなさい」と言われていたから、であったが、基本誰とでもそつなく付き合える、凪から見ると「なかなか世渡り上手なヤツ」である。
「お、久しぶり。水沢、変わらないねえ。あ、コミも変わらないよ」
凪がジーズでバイトをしていることを聞いていたらしく、千坂はカウンターの中の凪に当たり前に声をかけてきた。
取ってつけたように名前を出された暦美は、
「あんたに言われてもねー」
バッサリと返す。
そう言う千坂に、
「千坂くんも変わらないね」
とは、凪は返せなかった。
昔からややぽっちゃり体型だった千坂だが、今は二重顎に、たっぷり肉のついた首筋、はだけそうなジャケット、と少々健康状態が気になるほどの体つきになっている。
「また太った?」
容赦ない暦美の問いに、千坂はあっけらかんと笑った。
「うん、ヤバいんだよ、オレ。ジムとか通おうと思ってさ」
マスターも含め、全員が深く頷くのを凪は見た。
カウンターはまだ席が空いていてが、蝦名と千坂は迷いなくテーブル席に向かう。その椅子も、2人にはなんだか窮屈に見えた。
「ああ室田のマンション関係の手続き、全部終わったってよ」
腰を下ろすなり千坂はそう言った。
室田が最後のメッセージを残していたマンションのオーナーが、実は千坂の叔父だった、という話は凪も聞いている。
事件に関連して警察の捜索なども入っているが、今後のことも踏まえ早めに解約を済ませられるよう、千坂経由で手を回してもらっていた。
室田兄妹の自宅マンションも、不動産関係の伝手から迅速に解約や引越しの手続きを取ってもらったという。
花と遠方に住む祖母とではおぼつかない手続き関係を、西崎や本郷が各方面に手を回して手伝っていた。そこで今回の件には全く部外者であったにも関わらず、活躍したのが千坂だったわけだ。
「結局、中学校以来、室田には会わずに終わっちまったな……まあ、会ってもそんなに喋ることもなかっただろうけど」
正直な感想を漏らしつつ、千坂は少しだけ寂しげな表情を見せた。
「ホストになったってのは、ちょっと見てみたかったな。あ、そういやエレナ・モリィはどうなったんだ?マンション引き払う時に。ちらっと会ったけど、あんまりいい感じじゃなかったな……顔もよく覚えてなかったけど、なんか無愛想でさ」
特別カリキュラムが組まれたクラスに途中から、しかも6年生の夏休みが終わってから転入してきたエレナのことを、千坂の母親が学校に抗議した、というウワサを凪は思い出した。抗議とまでは言わなくとも、なぜ他のクラスでなく、特別クラスに入れたのか、学校に問いただしたのは確かだろう。
エレナがそれを聞いていれば、千坂に対してあまりいい思い出を持ってないのは想像がつく。
(なんというか……エレナちゃん、執念深い感じがあるもんな……)
今回の事件で、凪の中の小学校時代のエレナのイメージは跡形もなく崩れ去っている。
だが、あえてエレナのことを千坂に説明する必要もないだろうと凪は考えた。おそらく、今後エレナと千坂が接点を持つこともあるまい。
「アメリカに戻ったよ」
西崎が言った。
「もちろん、ダーウィンのところじゃなく、もっとデカい組織に保護された」
千坂だけでなく、蝦名や暦美も眉をひそめた。
「なにそれ?ダーウィンだって、結構大人数の団体なんでしょ?」
またドアが開いた。
今度は足音はそれほど響かなかったものの、勢いがある。そして、そのままの勢いで飛び込んできたのは海人だった。
「よう!」
「おっす」
海人の後ろから、グレーのソフトモヒカンが現れる。
言わずと知れた真壁和久だ。髪の色は珍しく落ち着いているが、後頭部の刈り上げ部分は幾何学模様を描いて刈り上げられている。
またしてもクラス会の様相を醸し出してきた店内に、凪はため息をついた。
だが、それほどこれが嫌な光景ではないことに、自分でも気づいている。事前にこの予定は聞いていたのだし、それに―
ビールのグラスを用意しながら、凪は店内を見回した。
(室田くんが、混ざりたかった光景だ)
「今日、来れるやつはこれで全員揃ったな」
カウンター席の西崎が、スツールに座ったまま、くるりとテーブル席の方を向いた。
「あ、待って。もう閉店にしちゃおう」
マスターが入り口ドアをクローズドする。
「閉店でいいんだ……」
凪は思わず苦笑した。
一応、ここは集合場所で、この後どこかへ移動して話をする予定だったのだが、西崎もマスターの厚情に甘えることにしたらしい。
「じゃあ、このままここで今回、いろいろあったことの報告させてもらう」
全員の視線が西崎に集まり、凪は小学校の学活の時間を思い出した。
「まず、室田のことだけど」
空気が重くなったのは仕方ない。
「渡辺さんの事件、周辺の防犯カメラの映像に尾行していると思われる人物が映ってて、捜査しているところだった。室田で間違いないらしい。渡辺さんが元石事件のことを調べていたのも把握してて、警察でも同一犯の可能性が高いと考えていたようだ」
「いずれ、そちらから足がついたかもしれないね。防犯カメラの映像が公開されれば、同僚やお客さんの目にも止まっただろうし」
マスターの言葉に、西崎は小さく頷いた。
「今のところは発砲事件だけが報道されてるけど、近いうちに殺人のことも表に出るだろ。れい子先生の事件に関しては、あの動画以外に物的証拠はないけど……4件の殺人となれば、かなり大きなニュースになるし、野宮れい子とウィンガーってのは、必ず注目される」
海人がソワソワと真壁を見る。
「登録者のところには、取材とか行く可能性はあるな。伊達守さんが手を回してくれるとは言ってたけど、限界があるだろ」
西崎はその海人に向かって言った。
「分かってる」
答えたのは真壁だ。
「あんまりオレらのことを庇えば、伊達守さんが疑われる可能性もあるからな。なんとかするわ。オレ、先月からおじさんのとこ出て、アパート暮らしなんだ。その点、おじさんに迷惑かけるのは最小限に出来るし」
あ〜とも、は〜ともつかない声を漏らす海人に、
「職場に言っといた方がいいぞ」
と、真壁は続けた。
「先手を打って根回し。社会人には重要スキルだぜ」
海人は何か言いかけてが、結局コクコクと頷き、
「よっしゃ!」
自分に言い聞かせるように息を吐いた。
凪は、海人の憂鬱な気持ちが分かる気がした。
同級生が起こした事件。しかも当人もウィンガーとなれば、ただでさえまとわりつく好奇の眼差しがグレードアップすることは間違いない。
思案げに本郷と視線を交わしてから、また西崎が口を開いた。
「あと、エレナの件だけど」




