凪の推理
ガレージの入り口から声をかけてきたのは老人だった。70代か、もしかしたら80近いであろう、小柄な男性。帽子の鍔に手をかけて挨拶する様子は、なかなか品が良かった。
「ハイ!町内会長サン。オハヨーゴザイマス」
マイケルは顔見知りらしく、いつもの愛想のいい笑顔で迎える。だが、老人は硬い表情のままだった。
ガレージにいる男性たちと、2台のバイクを見比べながら、
「あなたがたさ、そっちの細い道、バイクで通ったりしてないよね?」
と、家の南側を指差す。明らかに不信感を持った言い方だ。
マイケルはちょっとオーバーアクション気味に目を見開き、他の3人は無言で顔を見合わせた。
「あそこは歩行者専用だからね、自転車も降りて通るように言ってるんだよ」
なんの話か凪もよく分からなかったが、老人の指差す方に、歩行者専用の道路があるのだろう、くらいの予想はついた。
「昨日の夜、バイクとぶつかりそうになった人がいてね。この前も道路の途中に停めてるバイクがあって、ここの2軒隣りの人が通報しようとしたんだけど」
「私ハ通リマセン。バイクモ、自転車モダメッテ、会長サンニ教エラレマシタカラ」
マイケルの言葉に、老人は少し表情を緩めた。
「オレは、ここ来たの初めてなんで。そういう道路があるのも知らないです」
すかさず、本郷が言う。
彼の育ちの良さを感じさせる物腰は、こういう時には有効だ。
「ああ、そうなの。いや、ここら辺でバイク乗っているお宅はあまりなくてね。念の為に声をかけてみたんだよ」
老人は少しホッとしたように、何度も頷きながら続けた。
「ここの裏に細い道路があるんだけどね。前も自転車とぶつかって怪我した人がいてねえ。歩行者専用って、張り紙もしてるんだけど、まだ乗ったまま通る人もいるんだよ。小学生のお子さんも通るからね、バイクなんて、本当に危ないんだよ」
「ココノ家ノ人ハ、誰モ、ソンナコト、シマセン。大丈夫デス」
マイケルの言葉にまたウンウン、と頷き、
「ああ、分かったよ。でも、そういう人を見かけたら注意してね」
老人は踵を返そうとした。
「あの、」
声をかけたのは西崎だ。
一歩進み出た長身に、老人は戸惑いがちに振り返った。
「そのバイクが路駐してたのって、いつです?」
「ん?いや、つい昨日のことだよ。ああ、ほら、お宅で事故があったとかで救急車とかパトカーとか来て騒いでたでしょ、あの少し前だな」
「エレナちゃんの言った通り、みたいだね」
玄関先で座る2人にも、会話はもちろん、全て聞こえている。
ジャネットが落ちた時に、バイクの音が聞こえた、というエレナの話が意外なところから証明されたことになる。それは「ダーウィンが自分を殺しにくる」という彼女の主張の信憑性が高くなる、ということでもあった。
「だから言ったでしょ」
エレナは口を尖らせたが、怒っている様子ではない。
男性4人も、同じことを考えたのだろう。
「とにかく、早く動こうぜ」
本郷がエンジンをかけ、西崎がその後ろにまたがる。
190cmの人間は、どうやったってタンデムには向いてなさそうに見えたが、車体は鮮やかに右へ傾きながら、道路へ出ていった。
2人が走り去ったガレージからは、排気ガスの匂いが凪たちのところまで漂ってくる。
「西崎もバイクの免許、持ってるのかな」
独り言のつもりで発した言葉だったが、
「ああ、なんか乗り慣れてる感じだったわね」
エレナは頷きながら返してくる。
「なんでもできる男ね。ムカつくわ」
凪は思わず苦笑した。
「ムカつくの?」
「あなたはムカつかないの?」
エレナは少し攻撃的な口調になったが、辿々しい言い方のせいでそれほど気にならなかった。
「ムカつかないよ。すごいな、とは思うし、だから近付きにくいな、とは思うけど」
エレナは大袈裟にため息をついた。
「あなたは、いい人なのね。なんだっけ―お人好し、ね」
凪だって、それが誉められているわけでないのはすぐに分かった。言い返しても、怒っても良かったのかもしれない。だが、エレナは凪を見てふと、真顔になった。
「ごめんね。私、勝手に恨んでて」
口を開こうとした凪はうまく言葉を探せず、ただ首を振った。
凪は家の横の道路へ出ると、南側に回り込んでみた。
さっき話に出ていた細い道というのが、なんとなく気になったのだ。他にすることがなかったこともある。
それはなるほど、シェアハウスのすぐ南側にあった。
シェアハウスの庭は背の高い植え込みに囲われている。凪は植え込みの向こう側は隣の家だとばかり思っていたのだが、南側の家との間に細い道があったのだ。
舗装はされているものの、人がすれ違うのがやっとくらいの幅しかない。確かにここで向こうからバイクが突っ込んできたりしたら怖い。
庭より道路は一段低くなっている。コンクリートの土台だけで凪の胸の高さまであったので、フェンスと植え込みに囲われたシェアハウスの庭は、この小道からはほとんど見えない。
「ふう……ん」
植え込みを見上げながら後ずさった凪は背伸びした。
「あ……」
2階の窓が見える。2階の中央の窓は、ジャネットがいた部屋のものだ。
(路駐していたバイク……ジャネットが、こっちを見てたら……)
手を振ったりすれば、気がついただろう。外階段の方へ来るよう、合図もできたかもしれない。
リビングは東側。西側の外階段とは離れている。
(まあ、ちょうどよく、ジャネットさんが気がつけば、だけど。ああでも、初めて来たら、家の間取り図なんか、分からないか……あたし達みたいに飛べれば、人のいないの見計らってジャネットさんの窓のとこまで、飛んじゃったりできる……かな?)
この道、人通りはさほどなさそうだ。ちょっとリスクはあるが、翼を出せば……
そこで、凪は他の可能性を思いついた。
別に、飛べる必要はない。ウィンガーなら、この高さの植え込みくらい超えられる。
(GPSで居場所を見つけて、ここまで来て、)凪はウィンガーの視線でもう一度、シェアハウスを見上げた。
(発信機つて、どのくらいの精度あるんだろ?どこの部屋にいるとかまで、分かるのかな?)
見回すと、やはり目に入ってくるのは、西側の外階段だ。西側のガレージから、なんなく入れる。
(わざわざ植え込み飛び越さなくても、こっちから普通入るよね……)
凪は引き返した。西側のガレージは門扉が閉められ、鍵もかかっていたが、脇の塀を乗り越えれば難なく入れる。
別に翼の力を借りなくても、身軽な凪には造作なかった。
(あれ、でも、つまりウィンガーじゃなくたって、侵入することは楽勝ってことか)
ちょっと拍子抜けして、凪は頭をかいた。
どうにかしてジャネットとコンタクトを取り、彼女に中から2階のドアを開けてもらう。そしてそのまま彼女を……
外階段の1番上の段に座り、モヤモヤと考えていると下からヘンリーが現れた。
ちょっと驚いたように目を見開いてから言い淀み、
「Well……Ah〜ナンデスカ?」
と首を傾げた。おそらく、何をしているのか聞いているのだろう。戸惑い顔が子供のようで愛くるしい。
凪は慌てて立ち上がった。




