ざわめく朝 ①
何度かエンジン音を聞いた気がした。
バイク?バイクの話を誰かしていたっけ……
「そうよ、その音!うるさいわ!」
部屋から顔を出したエレナが騒いでいる。
「サイレンサー、壊レマシタ。時間ガタテバ、静カニナリマス」
なぜかマイケルが、廊下でバイクを押していた。大きなバイクだ。
「凪サン、手伝ッテ。ソッチ押シテ」
バイクを部屋に押し込もうとするが、入り口の敷居をなかなか越えられない。部屋の中にはスクーターや大型バイクが何台も置かれている。
いや、これは―物理的に入れられるはずがない。
と、気がついたところで目が覚めた。
夢の中でもシェアハウスにいたせいか、たちどころに自分がどこにいるか理解できる。
普段は寝起きの悪い凪だが、お陰ですぐに目が覚めた。
体を起こし、思い切り伸びをする。
(変な……夢だった)
バイクにサイレンサー……自分の夢とはいえ、おかしくなって凪は1人でニヤニヤした。
リビングに降りていくと、西崎は誰かと電話をしているところだった。凪を見ると、右手を上げて応じる。
傍らのソファでは本郷が寝息をたてていた。ソファから床にかけて大の字になっているという、育ちのいいお坊ちゃんとは到底思えない寝相だ。
外からドドドド、と重低音が聞こえた。マイケルの大型バイクがガレージに入ってくるのが見える。
変な夢を見たのは、この音を聞いたせいかもな、と凪は納得した。
マイケルはコンビニで朝食を仕入れてきてくれていた。
「エレナちゃん、起こしてくるね」
「ああ。警察の方にも了解取れてるから、食べたら早めに移動した方がいいな」
言いながら、西崎は思い切り本郷を揺さぶる。
「んああ?」
ソファからずり落ちながら、目を擦る本郷を横目に、凪はリビングを出た。
(意外。本郷、寝起き悪いんだな〜)
同じ頃、凪が見たらそれこそ「意外」な組み合わせだと思うであろう2人が、車の中からとあるタワマンの入り口を見張っていた。
蝦名と桜呼である。しかも、乗っているのはピンクの軽トラックという、これもなかなか見ないシチュエーションであった。
「なんだって軽トラなのよ。しかもこの色って。目立つじゃないの」
場所は絵洲駅から地下鉄で数駅の郊外。タワマンが立ち並ぶ、市内では高級住宅地の部類に入る一帯だ。確かに軽トラックは街並みに不似合いで、桜呼が言うのも、もっともだった。
「姪っ子の好みなのだ。蝦名みりあ、4歳。ピンクは最高にカワイイ色なのだそうだ。軽トラの買い替えに同行してもらったら、この色しか選ばせてくれなかった。お陰で保育園に迎えに行っても、喜んで乗ってくれる!」
「……ああ、確かに。かわいいは最重要事項だわ」
蝦名の答えに大いに納得した様子の桜呼と、姪っ子が可愛くて仕方ない叔父は表情を変えることもなく、タワマンを見つめ続けている。
「それにしても、一ノ瀬さんの人脈もなかなかだな。アパレルの社長なんて、オレの知り合いにはいないぞ」
「社長じゃなくて、エリアマネジャー」
バッサリと言い返した桜呼だが、それほど悪い気はしなかったらしい。
「商売柄、知ってただけよ。あんただって、飲食店の経営者は何人も知ってるでしょ」
と、続けた。
「絵洲市にブランドの直営店作るって、大々的に宣伝もして乗り込んできたしね。派手なパーティなんかも開いてたから、顔は知ってたのよ。お店に勤めてる知り合いの子もいたから、探り入れてみたの」
この非常時に室田と連絡が取れない、と聞いた時、桜呼の脳裏に浮かんだのは花火大会の帰りに見た光景と、その女性にまつわる噂だった。
夏の絵洲市の花火大会。帰りの雑踏の中、すれ違った人目を引く一団。
周囲より明らかに華やかで、衆目を集めることを自覚している女性たちと、彼女たちを取り巻く男性たち。室田を含むその男性たちは一目で水商売と分かる出立ちだった。
女性たちの中の数人は、桜呼には見覚えがあった。
ここ数年で絵洲市に出店、進出してきた企業の経営者やそのパートナーたち。そのうちの1人、特に目についた人物がいる。
有名アパレルブランドのエリアマネージャーだ。30代半ばの、相当な美人。ただ若くして地位を築いた裏にはそれなりの噂があり、また少々強引な仕事のやり方が、より良くない噂を呼んでいる。
全国各地でホスト遊びをしている、というのもそんな噂話の一つとして、桜呼は話半分に聞いていたのだが、その光景を目にして、
(あら、本当の話もあるのね)
と、思ったのだった。
「まぁねぇ。ああいう仕事してれば、太客掴んでおくのは大事だろうし。でも、室田があの姫沼さんの1番のお気に入りとは、驚いたわ」
桜呼の言葉に、蝦名は何度も頷く。
連絡が取れなくなった室田が身を寄せる場所として、もしや、と桜呼が思ったのは、全くの勘だった。というより、他に手掛かりもないので、一応聞いておこう、という程度だったのだが……
姫沼の絵洲市でのお気に入りが『BLASH』という店の『ヒカル』というホストだと聞いてもまだ半信半疑だった。
『BLASH』で室田と1番仲がいいというホストに多少の心付を渡すと、
「マリカ様が絵洲市に来てる時は、アイツ、マンションに入り浸りみたいだぜ。うまいこと、取り入ったよな〜」
との言葉に、やっと確信を得た。と、同時に
「こんな時に何やってんのよ!アイツ!」
と、声が出たのは仕方ない。
「ふむ、」
ハンドルに寄りかかりながら、蝦名がため息をつく。
「羨ましい話だ。室田はああ見えて―なかなかやり手だな!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!これだから男は……」
桜呼に一蹴され、蝦名は慌てて口をつぐんだ。
「妹が大変な時に……しかも、エレナなんてウィンガーまで乗り込んできてる時に、女に夢中って、どういうことよ?!」
自分が怒られてる訳でもないのに、蝦名は肩を窄めて視線を泳がせた。
ハンドルをしっかり掴んでキョロキョロするガタイのいい男と、不機嫌な顔の大柄な女性が軽トラの座席に並んでいる様子は、なかなかに人目を引く奇妙さがある。
通りすがりの若い男性が振り返って二度見したが、当の2人はそんなことは気にしていなかった。
「しかし,40階となるとな。オレの感知能力では限界だぞ。平面より、上下の気配感知の範囲は狭いのだ。―本当にここにいるのか?」
「可能性は高いわ。最近じゃ、彼女がいない時も室田、ここに出入りしてるって同じ店の子が言ってたもの。その子も、この近くに住んでて、何回も見かけてるんですって」
「ふむ。だが、いつまでもこうしているわけにもいかないだろう。なんとか中に入れないだろうか。エレベーターで上まで行けば、おそらく感知は可能だ」
2人は揃ってチャコールグレーの建物を見上げた。車の中からは、最上階までは見えない。
桜呼は、そのまま少し考えてからゆっくり首を振った。
「それは、やめた方がいいわ。最新のセキュリティが売りのマンションだもの。監視カメラもあるだろうし、後からトラブルになったら面倒よ」
「うーむ、これは正面突破で、室田に電話を―」
蝦名は急に言葉を切って、マンションの入り口を凝視した。
「これは―、うん、室田の気配っぽいぞ!上から降りてきている!」
「マジ?!やったわ!」
桜呼が指をパチっと鳴らす。
「ちょっと!車動かして!」
「えっ、え?!」
「私たちを見たら、逃げ出すかもしれないでしょ。不意打ちして、締め上げた方がいいわ!」
「し、締め上げ?!」
蝦名はワタワタとエンジンをかけたが、すぐ動きを止めた。
「どうしたのよ?」
「いや、こっち側じゃなく、向こう側に向かってる……」
「え、あっち側って―駐車場?室田、車持ってた?」
「確か、免許も取ってないと言ってたが」
桜呼は息を飲んだ。
「もしかして、彼女と一緒とか?」
「むむぅ、ウィンガー以外の気配はオレは分からん―」
どう動くべきか、2人が迷う間に、
「動き出した!このスピードは確かに車―こっちに周ってくる!」
マンション脇の道路を蝦名は指差した。




