エレナの懸念 ②
凪は体が固まるのが自分でも分かった。
アイロウのトレーニング施設に行っている最中に、交通事故で亡くなった莉音。犯人は捕まらないまま、捜査は打ち切られ……不自然な成り行きに、父親である元太はアイロウにも、警察にも不信感を募らせていた。
西崎と本郷も突然出た名前に、無言のまま顔を見合わせている。
マイケルとヘンリーはそんな様子を、不思議そうに見ていた。
「誰デスカ?」
そう聞いてから、ハッとしたように、
「同級生デスカ?」
マイケルは続けた。
「ああ」
西崎がマイケルに頷いてから、エレナの方を見直した。
「どういうことだ?莉音がどうした?」
短く息を吸ってからエレナは一気にしゃべった。
「日本に来る前、ミッキーのオフィスに行ったの。彼、電話中で外で待ってたわ。それで聞こえたの。防音とかなってないドアだけど、普通の人は聞こえないと思う。でも、私、ウィンガーだから。リオン・アンザイって聞こえて、よく耳を澄ましたの。そのことはもう終わったんだから持ち出すな、とか、頼んだ人たちが間違ったんだとか、ミッキーは言ってた。それで―」
エレナが唾を飲み込むのが分かった。
「どっちみち、使えないと分かれば同じ方法で処分するのもありだって。日本にいる間に始末すれば、かえって自分達には都合がいいって言ったのよ」
―処分。始末。
その言葉の意味は、いうまでもない。
凪の脳裏に浮かんだのは、小学生時代の莉音だった。長い髪をいつも綺麗に編み込んだ髪型をしていた莉音。大人びた、キリッとした顔の少女だった。
**********
―なあに?
振り返った莉音が小首を傾げる。
あれは、なんの時だっただろう。まるでヘアモデルのようにスタイリングされた莉音の髪を、凪は繁々と眺めていた。
莉音とは、あまり話したことはなく、振り返られてちょっとあたふたした記憶がある。
「あっ、あのね、いつも三つ編み綺麗だよね。自分でやってるの?」
緊張しながら聞いた。少し噛んだかもしれない。
「ああ。ありがと。いつもママがやってくれるの」
いつも言動も大人っぽく、しっかりとした莉音が「ママ」と言った時の笑顔が無邪気で、凪は意外な感じがした。
「水沢さんはさ、―」
**********
あの後、どんな会話をしたのか覚えていない。莉音と話したことで他に印象に残っていることもない。
莉音がウィンガーになったのは中学生になってからだから、ウィンガーとして話したことはなかった。
ウィンガーになったことについて、莉音はどう思っていたのだろう?自分の黒い翼を見たら、莉音はなんと言っただろう……?
(あれ……そう言えば、莉音ちゃんがウィンガーになった時の話って、あんまり聞いてない……)
どんな状況で翼が発現したのかも、どうして莉音が隠れウィンガーにならず登録されたのかも、凪は知らなかった。
亡くなった莉音の名前を出すことに遠慮があったのは確かだ。一度、元太と莉音の話をしたが、それだけでも胸が締め付けられるような思いがしたし、当時絵洲市にいた同級生たちは、自分より悲しい思いをしただろう。
あれはただのひき逃げ事故ではない、と元太は思っているし、凪も今は同じように思っていた。
だが、こんな風に真相に近づくとは。
「莉音を殺したのが、その三木ってヤツなのか」
最初に口を開いたのは本郷だった。かすかに声が震えて聞こえる。
一瞬、走馬灯のように小学校の教室が浮かんで、凪はハッとした。
**********
『え、本郷の家まで行ったの?』
『直接渡したんだ、プレゼント』
『わぁ〜、莉音、やるね〜』
『あ、莉音ちゃんと本郷、一緒に帰ってる』
『マジ?邪魔してやろうぜ』
『ちょっと!やめなさいよ!』
**********
誰と誰の会話だったのか。いずれにしても凪はたまたま耳にしたとか、通りすがりに、ちょっとニヤけながら聞いただけの会話に過ぎない。
それでも、こんな風に、頭に残っている。
心臓がドドドっと音を立てそうだった。
西崎や本郷にこの鼓動が聞こえなきゃいいけど、と凪はポーカーフェイスを装い、落ち着こうと努力した。
(忘れてた。すっかり……莉音ちゃんは、本郷が好きだった……)
それは、子供の恋愛ごっこにすぎなかったと思う。
本郷の方は莉音をどう思っていたのか知らないし、中学生になってからの2人がどうなったのかも知らない。
それでも……甘酸っぱい思い出になるはずの出来事が、全て黒い額縁に収まっている。「……きっつ……」
思わず口の中で呟いた言葉は、隣の西崎には届いたようだったが、凪はそちらは見なかった。
「ミッキーは殺してないと思う。でも、誰かにリオンを襲いなさいって、言ったんだわ」
「同じことだ」
エレナの言葉に、本郷は無表情でそう返した。
(……怒った時の西崎の目と同じだ)
その西崎は短く、
「だな」
と言っただけだ。
「なんで、莉音ちゃんを?」
凪は自分の声が震えているのが分かった。緊張や恐怖のせいではない。胸を埋めているのは、ただ、「どうして」という、やるせなさだ。
「あの話ではそこまで分からなかったわ。でも、間違ったって言ってたから、本当は殺すつもりじゃなかったのかも」
「間違いって……」
凪はその先の言葉を続けられなかった。
エレナは凪を見て淡々と続けた。
「私、リオンのこと好きじゃなかった。いつも偉そうで、意地悪だったわ。でも、死んじゃったのは、可哀想って思ってる」
最後の可哀想は、どこか取ってつけたような言い方だ。エレナにしてみれば、ほんの短期間だけの、対して仲のよくなかったクラスメイトの事件。所詮、他人事なのだろう。
「で?莉音の件が、今回のジャネットのことと、どう関係あるんだ?」
少し苛立った西崎の問いに、エレナはどうして分からないのかと言いたげな眼差しを返しながら答えた。
「その後、何か確認されてるみたいだったの。それでミッキーが答えたのよ。ジャネットはすぐ暗示にかかるから大丈夫だ、もし騒ぎ始めても、彼女はウィンガーじゃないから、始末するのも簡単だって」
(ミッキーっていう人、ジャネットの彼氏だったんじゃ……)
当惑する凪の前に、エレナは身を乗り出した。
「ねえ、私、全部話したわ!だから……お願い。助けて」




