エレナの懸念 ①
時計を見ると、2時間近くが経っていた。
凪はテーブルに目を移し、空き缶の数をざっと数えた。
1人あたり5、6本は飲んでいることになる。誰も酔っ払った気配を見せないのはウィンガーならではだ。それでもここへ着いた時のピリピリした空気感がなくなっているのは、"酒の席"というシチュエーションならではなのかもしれない。
少し前から空き缶の数が増えなくなったのは、みんな飲むのをやめたからではなく、冷蔵庫のビールが無くなったからだ。
アメリカへ戻ってからのエレナの身の上話は、なかなか衝撃的だった。
去年、須藤が起こした事件に関わっていたダーウィン・ミッションと、こんな風に対峙することになるとは。しかも、野宮れい子の名前まで出てきて、凪は頭も心も整理が追いつかなかった。
横目で西崎を見ると、最初と変わらず、厳しい表情を崩していない。時々挟む言葉から、彼はエレナの話をどこまで信じていいのか、推し量っているようだった。
「ダーウィンのことを悪く言う割には、お前のやろうとしたことも、相当えげつないぞ」
憮然と言い放った西崎に、エレナは首を傾げた。
「エゲツ……?」
エレナのボキャブラリーの中にはない言葉だったのだろう。
解説した方がいいのか、凪は西崎を窺った。
西崎が自分にも分かるように、敢えて日本語で会話してくれていることは分かる。だが、エレナとスムーズに会話が進まないのではしょうがない。
「英語で喋ってくれていいよ。その方が……話しやすいんじゃない?」
凪がおずおずとそう言うと、西崎はかすかに鼻を鳴らして腕組みをした。そのまま、ボソッと英語で西崎が言い直した言葉に、エレナは顔を顰める。
「ヒカルが、こんなに勝手なこと、してるの思わなかった。もっと、素直な人、思ってたわ」
首をすくめながらそう言って、エレナはわざとらしいため息をついて見せた。
「確かに室田の行動は読めなさすぎるな。今日も、朝以降、連絡が取れてない」
「ヒカル、連絡こないの?」
エレナの背筋がスッと伸びる。その顔が、少し青ざめたように見えた。
「まだ言うことがあるなら、さっさと言った方がいいぞ」
表情の変化に何か感じたのか、西崎がそう言うと、エレナは軽く唇を噛んだ。
突然、ピンポーンと予期しない音が鳴った。
全員が揃ってインターホンを注視する。
夜なので、やけに陰影が濃くて見にくいが、
「宙彦だ」
すぐに西崎が反応した。
「Oh!」
マイケルが立ち上がって、インターホン脇のボタンを操作する。
玄関からカチッと音が聞こえ、続いてドアが開いた。
「よう、そろそろ来てると思って」
リビングのドアを開くなり、本郷は西崎を見てそう言った。額に張り付いた髪をかきあげながら、背中のナップザックをおろす。
重ための音を立てて床に下ろされたデイバックからはワインとウイスキーの瓶が現れた。
マイケルとヘンリーが口々に英語で語りかけているのが、「気が利くな」とか「ちょうどいいタイミングだ」とかいう意味の言葉であることは、凪にも理解できた。
テーブルの上の空き缶を見た本郷は、
「え、マジ?もう出来上がってんの?」
と、呆れ顔だ。
「こんな程度で出来上がるはずがないだろ」
即座に返した西崎の言葉に、エレナがかすかに笑った。
本郷のバッグからは、続けてチーズやスナック菓子などが次々と現れた。
凪には、あまり馴染みのないパッケージばかりだったが、ビニール袋のロゴを見て納得した。輸入食材などを多く扱う、高級スーパーの袋だ。
「ほら、女性用」
最後に取り出したプリンを、そう言って本郷は凪とエレナの前に置いた。
「お、これは噂に聞く限定品の……」
思わず凪はプリンに両手を伸ばす。
「おいしいの?」
エレナは凪とプリンを交互に見ながら首を傾げた。
「あ、うん……濃厚で、おいしいって。テレビでやってた」
「へぇ」
エレナもプリンへ手を伸ばす。
一瞬、穏やかな空気に包まれた感じがして、凪はちょっと嬉しかった。
「本郷サン!ワタシノ分ハ?」
「女性の分だけだって!最後の2個だったんだから」
「食ベ物ノ呪イ、恐ロシイデスヨ」
本郷とマイケルの掛け合いに、
「恨み通り越して、呪いかよ」
西崎が苦笑した。
西崎とマイケルがかいつまんでエレナの話を本郷に伝える間に、凪はプリンをゆっくり味わった。
「幸せそう」
そんな凪を見てエレナが呟く。
こんな呑気にニマニマしている場合ではないと思い出して、凪は最後の一口を一気に飲み込んだ。
「あ……あの、ごめ……」
反射的にごめんと言いかけて、違うな、と気づきゴニョゴニョと言葉を飲み込む。
エレナは半分残った自分のプリンにスプーンを刺し入れた。
不機嫌な様子ではない。ここで最初に向かい合った時より、ずっと表情が柔らかくなっていた。
話をしたことで、彼女の気持ちも整理できたのかもしれない。
凪がどう言おうか戸惑っていると、
「みんなのこと、ダーウィンに教えようと思ってた。でも、水沢サンは違うの」
エレナはぽそりと言った。
「え……?」
高慢そうな、だが少し疲れたような笑みがエレナの口の端に浮かぶ。
「だって、黒い天使なんて出てきたら、私ますます要らなくされる。だから、水沢サンには出てきて欲しくなかったの」
これ見よがしにため息をついて、エレナは凪の方へ乗り出した。
「あなたと、直接話そうと思った。出てこないでって頼めば、水沢サン、出てこないかもって」
「ずいぶん都合のいいこと考えてたもんだな。そもそも、オレたちにだって最初から事情説明してお願いする気は、なかったのかよ」
西崎が横から口を挟む。本郷と話しながらも、こちらの会話をしっかり聞いていたらしい。
「嫌よ」
エレナは即答した。
「お願いしたら、私の立場が下になる。誰にも命令されるのは嫌」
あまりにキッパリした口調に、西崎は呆れ顔で何も言い返さなかった。
「もしかしたら―水沢サンが、ダーウィンの人たちと会うなんて言い出したら―私、水沢サンを殺さなきゃないかも、って、少し思ってた」
「す、少し……って」
凪を見るエレナの目は笑っていない。
思わず、凪は腰を浮かしかけた。
「物騒だな」
西崎の言葉は抑揚がなかったが、横を見るまでもなく、かなり厳しい顔をしているのが分かる。
「あのっ、あのね、エレナ……ちゃん、あたしのこと、すごく憎んでそうだよね?その……あたし、そんなに……なんかした?エレナちゃんが嫌がるようなこと……」
昨日から、聞きたいと思っていたことを、凪は口にした。
エレナの眉が、キュッと寄る。真っ直ぐ凪を確かめるように見つめてから、
「そういうところ」
諦めたようにエレナは言った。
「え……」
昨日の夜のエレナの言葉を思い出す。
なんだか、辻褄が合わないことが多い。ジャネットが途中で割り込んできたこともあって、エレナとは腹を割って話せなかったけれど……そのジャネットの言っていたこととも食い違う点がいくつかある。
「お前、水沢を引っ張り出すために黒い女王なんて噂、広げたって言ったよな。言ってることが昨日と違うぞ」
凪よりも先に西崎が突っ込んだ。
「違わない」
エレナはキッパリと首を振った。
「黒い女王の話した時は、水沢サンがここに戻っていること知らなかった。それに、私そんなにたくさん噂、流してない」
さらに追求しようとする西崎を、本郷が制した。
「オッケー、その話はまた後にしようぜ。まずは、ダーウィン・ミッションの連中のことだろ」
西崎は不満そうにしながらも、仕方なさそうに頷いた。
「ダーウィンにはオレたちのことをどこまで伝えたんだ?」
エレナは少しきまり悪そうにしながらも、開き直ったのか背筋を伸ばすと真っ直ぐ西崎を見た。
「他にも何人かいた、としか言ってないわ。名前を出したのは、あなたとあなた」
そう言って、西崎と本郷を指差す。
「水沢サンのことは、ジャネットにしか言ってない。人の心を操る能力があるから、気をつけろってね。もちろん、黒い翼のことは言ってないわ。一緒に日本に来ることになったから、近づかせたくなかったの。でも―」
そこまで言って、エレナは眉を顰めた。
「彼女のことだから、ミッキーに報告してる可能性はあるわ。だから、水沢サンの名前も知られてる可能性が高い」
西崎は軽く舌打ちし、本郷はため息をついた。
「よし、つまりオレら3人以外の情報がいってないのは確かなんだな?」
本郷の言葉にエレナは深く頷いた。
「ヒカルとやり取りしたメールはすぐに消してるし、そこのやり取りはバレないように気をつけてたわ。ねえ全部、正直に話したわよ。信じられないなら、確かめればいい」
最後の言葉は凪に向けられている。
軽く肩を上下させるエレナは、どこか切羽詰まって見えた。
「ずいぶん昨日と態度が違うな。何か魂胆でもあるのか?」
西崎の言葉に、エレナは視線を庭の方へ彷徨わせる。
「分からない……でも、」
ボソリと漏れたエレナの言葉に、凪は西崎と顔を見合わせた。
(分からないって、何が……?こっちも分からないんだけど……)
凪はそのまま、エレナの言葉を待った。
「でも、ジャネットは……だって……殺されたんでしょ?だとしたら―」
かすかに震えながら漏れた声に、
「え?!」
思わず凪が声を出す横から、
「いや、まだ事件と事故の両方で調べてる段階だ。なんでそう思う?あの時、2階には誰もいなかっただろ?」
本郷が冷静に口を挟む。
だが、エレナはふるふるっと首を振った。
「あなたたち、ダーウィンのことを知らないのよ。私だって、よく分かってなかったけど……」
エレナは意を決したように顔を上げ、髪をかき上げた。
「日本に来るちょっと前に、私、聞いたの。久しぶりに聞いた名前だったけど、すぐ思い出した」
「なんの話だ?」
訝しげにする西崎に、エレナは
「アンザイ・リオン」
はっきりと言った。




