エレナは語る ④
結局、エレナは「整形しろ」という三木の申し出を受けることにした。
受けることにした、というより他に選択肢がなかった、というべきだが、エレナ自身はそれを認めたくなかった。
こんな得体の知れない中年男の言いなりになるなど、あり得ない。
それでも、三木の作戦は当たった。
元々色白のエレナは、ちょっと外科的な処置を加え、メイクに力を入れただけで、アジア系のハーフを思わせる顔立ちは消え失せた。
明るいブルーの瞳にプラチナブランドの髪を纏えば、テンプレ通りの「エンジェル」の誕生である。
支援者たちへのお披露目の日。
白いドレス姿で現れたエレナが翼を出してみせると、支援者たちは静まり返った。
なにか、まずかったか……エレナは一瞬不安に駆られたが、杞憂だった。
次の瞬間にはどよめきが空気を振るわせ、悲鳴にも似た歓喜の声が上がった。
予定通り、ゆっくりと空中へ浮かび、何度も練習した穏やかな笑みを浮かべてみせる。
支援者たちは、また歓喜の叫びを上げた。
涙ぐみながら十字を切る者、手を合わせ跪く者。微笑んだまま、彼らを見下ろしながら、エレナはしらけていた。
くだらない。茶番以外のなにものでもない。
こうして、支援者たちの支持を得ることは順調に達成できた。
だが、ウィンガーたちに関しては、それほど反応が変わったとは思えなかった。
ジェフリーとその仲間たち数人以外は、以前と変わらずエレナから距離をとり、自分たちからは話しかけてこようともしない。
さらに予想外だったのは、ガブリエルだ。
「君は、あまり人前に出ない方がいい。ごく一部の限られた人間、そう、選ばれた人間だけが対面できる、至高の存在でなければ」
そう言って、コロラドの森の中の別荘へエレナを追いやったのだ。
どうも勿体ぶって、なかなか姿を現さないのが彼にとってはステータスらしい。
一応、反対はしてみたが、まるで聞く耳はもたれなかったので、エレナは従うことにした。表向きだけ。
一番近くの街まで車で40分という深い森の中の家は、最新の家電を備え、家具も高級品ばかりだった。
木々に囲まれ静かなことは言うまでもないし、必要なものはメール一つで届けられる。休日をゆっくり過ごすには文句なしの場所だった。
何よりよかったのは、家の周りなら人目を気にせず飛ぶことができることだ。部屋の中で浮かび上がる程度にしか飛んだことのなかったエレナだが、屋外を飛ぶ気持ちの良さには虜になった。
だがそれでも、そこにずっといろ、と言われたら退屈極まりない場所だ。
始めのうちこそ、支援者に配布するための写真撮影、動画撮影、特に大口の支援者との面会と、頻繁に人が出入りしていたが、落ち着いてくると、毎日ぼんやりと過ごすしかなくなってくる。
SNSやメールのやり取りはできたが、これはもちろん、ガブリエルたちに監視されていた。他のウィンガーと接触する機会もなかなかない。
元々、言われた通りに閉じこもっているつもりなどなかったエレナは、以前と同様、勝手に出歩き始めた。
日に日に飛ぶことは自分でも分かるほど上達していた。飛んだ方が車よりも速いことに気がつくのにも、時間はかからなかった。
まるでツバメのように飛び回っていた、水沢凪を思い出した。室田から聞いたところによると、彼女は―あんな特別な翼を持っていたにも関わらず、小学校を卒業した後は音信不通になっているそうだ。
彼女は、もうこんな風に飛び回ることなどできないだろう。ひっそりと隠れて、空を見上げるだけに違いない。
自分はこの環境を手に入れた。
はるか木々を見下ろす高さまで一気に上昇すると、エレナは息を吸い込んだ。
眼下の黒々とした森林、地平を縁取る山々、黄昏の淡い紫が滲んだ空。
この全ての景色を独り占めしている。
背中の翼は無限の力を与えてくれる気がした。
冷静に、過去のビジョンを思い返す。
学校の裏。茂みを抜けて、廃神社の後ろの空き地へ。
置き去りにされた資材の影から、同級生のウィンガーたちを見ていた。
―今の私と同じくらい飛べる子なんていない。あの頃みたいに、無邪気に飛び回れる場所なんてないだろう。あの子たちは、もう自由に飛べない―
自分はあの頃の子供達よりずっと高く、誰より速く飛べるようになった。
エレナはそう思った。
(水沢サンの飛び方……)
思い浮かべた凪の飛翔ラインを、エレナは辿った。
(飛べる!彼女と同じにできる!)
物陰から、憧れと感嘆の眼差しで見ていた凪の飛び方を、イメージ通りに再現できた。
(私以上にうまく飛べる子なんて、もういないわ……)
澄んだ空気を胸一杯に吸いながら、エレナは地上へと向かった。
ダーウィン・ミッションでの立場を確立し始めたエレナは、ふと野宮れい子のことをもう一度調べてみようと思い立った。
うまくダーウィンの資金力や人脈を使って、れい子の情報を手に入れられないだろうか。
ガブリエルたちに教えていないスマホで室田とは連絡を取り合っている。
れい子について、色々調べてくれるように頼んでいたが、有益な情報はまるで入ってきていない。
何かしら理由をつけて、一度日本に行ってみようと考えた。
ただこの頃になると、お世辞にも従順とはいえないエレナの言動を危ぶみ、「秘書」としてジャネットがつけられた。
彼女が三木と個人的にも親しいことはすぐに分かったから、最初からエレナは警戒していた。
秘書といっても、エレナに対しては横柄で、仕事もできない。うざったいだけの存在だった。だが、ジャネットと一緒ならと、日本行きもあっさり許可が出た。
だが室田と会う時にもジャネットの同行を許したのが、エレナの大きなミスだった。まさかジャネットが日本語が分かるとは。三木と親しいことが分かっている時点で、当然考えに入れておくべきだった。
三木からかかってきた電話で
『室田光という、ウィンガーの話が聞きたい』
と言われた時、さすがに言い逃れは出来ないと感じた。
『当然、我々に報告しておくべきことだと分かるはずだが。君にはかなり好意的に接してきたし、いろいろと便宜も計ってきた。裏切られた気分だよ』
「―あなたの言う通りだわ、ミッキー」
ひとまずは素直に謝ってみせるしかない。
「言わなきゃならないことを黙っていたのは認めるわ。でも、彼も隠れウィンガーなのよ。親にも頼れなくて、妹と2人で暮らしてるの。今の生活を守りたいと言うから、私も彼の意見を尊重したのよ」
『君の口座を調べたよ。かなりの金を彼にわたしているな。なぜ、そこまでする?ノミヤ・レイコに頼まれたのか?』
「……え?」
突然、れい子の名前を出され、エレナの思考は停止した。
三木が、れい子を知っている?
ぼんやりと研究所の話を思い出した。
エレナの反応をどう思ったのか、三木もしばらく沈黙した。
嫌な時間だった。やがて、息を吸う音が聞こえ、
『ムロタ・ヒカル、といったね、彼をアメリカへ連れてきなさい』
有無を言わさない口調で三木は言った。
『ああ、妹がいると言ったね、その子もだ』




