ジャネットは語る
「珍しー、ナッピが朝帰りなんて。ていうか、初めてだよね」
キッチンカウンターの向こうから、ルームメイトの未生が物言いだげな笑顔で凪を見ている。
ニンマリと弧を描いた唇で、未生が見当違いな想像を膨らませていることは,容易に判断できた。
「同級生の相談に乗っててね」
出来るだけうんざりした顔でそう言ったものの、未生は信じてくれた様子はない。
ちょっとした変化や出来事を、恋愛と安易に結びつけだがる未生の性格は分かっている。ムキになって否定すると、かえって話がこじれるのは間違いない。
さて、どう説明しようかと凪が考えているうちに、
「あ、時間だ。ちょっと出かけてくるねー」
彼氏とお昼を食べに行く約束をしているからと、未生はさっさと出て行った。
内心ホッとしながら、凪はレンチンしたカレーを昨日の残りのご飯にかけた。
休日に限らず、凪の昼食は簡単に済まされることが多い。
大学にはお弁当を持って行ったこともあったけれど、長続きはしなかった。
テーブルに運び、ふうっと一息つく。
朝帰ってシャワーを浴びた後はついさっきまで爆睡していた。さすがにあんな状況では、眠れたと言っても、疲れは取れなかった。
今は、頭もすっかり、スッキリとして、その分状況の複雑さをひしひしと感じる。
マイケルたちの「アジト」に移動したら、西崎から連絡がくるはずだ。多分、夕方頃にまた出かけることになるだろう。
とりあえず、今のうちに大学の課題も確認しておかなければ、とカレーを口に運びながら傍のノートパソコンを立ち上げる。
食べ終わる頃に、予想通り西崎からメールが来た。
「ふうん、4時ね……」
家を出る時間を逆算しても、まだ結構余裕がある。
(もう一回、会ったらエレナちゃんと……どう喋ったらいいんだろうな〜)
パソコンをいじりながら、凪はジャネットの話を思い返していた。
**********
「私がエンジェルに会ったのは、半年くらい前です。エンジェルは、ガブリエルに言われた仕事、キチンとしません。勝手にいなくなったりします。だから、ガブリエルは私にエンジェルの秘書になって、何をしてるか、どこに行くか、報告させました。私、日本語できますから、エンジェルが、誰かと連絡取る時、話分かりますね」
少し辿々しいところはあるが、ジャネットは日本語でスラスラと説明を始めた。
「それまでも、ダーウィンで仕事をしてたのか?」
西崎の質問には軽く首を傾げ、
「ダーウィン?ああ、ノー。私、大学生です。彼らと仕事しているのは、ミッキーですね」
ケロッとした顔で答える。
どうもその様子では、ダーウィン・ミッションがどんな組織か、ジャネットには興味がなさそうだった。
「ミッキーが言ったのです。彼女のことで、ボスのガブリエルが困っていると。ミッキーも日本語は分かりますが、男の人だと、ずっと一緒にいるの、難しいですね。エンジェルも嫌がっていたみたいですが、私と一緒なら、自由に出かけていいと言われて、私が秘書になってもいいことにしました」
「それで、日本に来て、室田に会ったわけか」
ジャネットの目に、意味深な光が宿る。
「はい。私、その時は日本語分からないフリしてました。だから、私の前でもウィンガーの話、してたんです。ヒカルのこと、エンジェルはミッキーにもガブリエルにも、教えてません。とても、嘘つきですね。私、すぐにミッキーにヒカルというウィンガーいること、報告しました。でも、それをエンジェルに聞かれてしまいました」
「エレナちゃん、怒らなかった?」
そう聞きながらも、凪の脳裏にはヒステリックに怒るエレナの顔が浮かんでいる。
「とても、怒りましたね」
ジャネットは肩をすくめた。
「私、すぐミッキーに電話しました。ミッキーと話した後、エンジェルは私を許す代わりに、手伝いなさいと命令しました」
「手伝うって、何を?」
「ヒカルと花をアメリカへ連れて行くことです」
凪と西崎は顔を見合わせた。
「―ちょっと待て。もしかして、室田―ヒカルも、アメリカに行ってたのか?」
「そうですよ。仕事があるからと、すぐに帰りましたけど」
「あいつ……」
西崎が額に手を当ててうなる。凪も西崎の心中は理解できた。
自分がいない間に妹が連れ去られた。室田の話ではそうだったはずだ。
あれほど、みんな親身になって話を聞いていたのに、そもそも、最初の話から嘘だったというのか。
「エンジェルが、こっそり隠れウィンガーと会っていたこと、とても問題でした。ガブリエルは、このままダーウィン・ミッションにいたいなら、光と花を連れてくるようにエンジェルに言いました。それで、私にその手伝いをさせたんです。パスポート用意したり飛行機、予約したり。全部、私がやりました。エンジェルは、ああしなさい、こうしなさい、命令だけ」
「室田はそれに、何にも言わなかったのか?」
ジャネットは首を振った。
「ヒカルは行きたくないし、花も連れて行きたくなさそうでした。でも、エンジェルと2人でしばらく話をして、行くことにしましたね。アメリカに戻って、エンジェルはコロラドの家で生活しなさいと言われました。私まで、ずっとそこで生活することになりました。自然はいっぱいだけど、何もなくて、つまらない場所ですね」
コロラド、と言われても、凪にはそこのイメージは全く湧かなかった。自然がいっぱいという言葉に、ぼんやりと山や川を想像してみる。
もしかしたら、伸び伸びと空を飛び回れるような場所なんだろうか……
ジャネットは凪たちの様子にはまるで構わずに話続ける。
「エンジェルは他にもたくさん、嘘ついていましたね。日本にいる間にウィンガーになったこと、隠してました。日本で、ウィンガーになった子供たちと友達だったこと、言いませんでした。みんな、とても怒っていると、ミッキーは言いました。みんな、エンジェルは追い出した方がいいと言ってました」
「みんなって、ダーウィンのメンバーか?そこにもウィンガーが、いるのか?」
「知りません」
間髪入れず、あっけらかんとジャネットは答えた。
「私、他のダーウィンの人には会ったこと、ありません」
「え?本当に?」
思わず、凪は乗り出していた。
ジャネットは凪の目を見て頷き、それからゆっくりまばたきした。
少し瞼が下がり、とろんとした目つきになる。
「はい……本当です……」
「ん……ン?」
思わず、凪は口をへの字にして声を飲み込んだ。
(この人、かかりやすいな、というか……かかりやすすぎ)
軽く目を見て何か言っただけで、命令タスクになってしまうらしい。チラッと凪に視線を向けた西崎も、同じことを考えたようだった。
「どうして、エレナは嘘をついてたんだ?」
「分かりません。彼女はいつも命令するだけ。私は言うこと聞いてました。そうすると、彼女は機嫌がいいですから」
「室田を使って、オレたちを呼び出したのはなんでだ?」
「あなたたちを手に入れるように、ガブリエルから言われてましたから」
「手に入れる?」
凪と西崎は顔を見合わせた。嫌でも、須藤たちの行っていたウィンガーの人身売買が思い出される。
「オレたちを金にするか、取引の材料にでもしようとしてたのか」
「それは知りません」
ジャネットはあっさりと言い放った。それから、凪の方に向き直る。
「でも、あなたは別です。エンジェル、あなたはとても危険だと言いました。人を狂わせて、思い通りにするから、絶対近づいてはダメ、言われました。近づいたら、目を合わせないで、早く逃げなさいと言われましたね」
「……なにそれ」
まったく、納得がいかない言われよう。エレナが自分のことに関してだけ、そんな嘘を加えていた理由を、凪は思いつけなかった。
「お前の能力を知ってたからだろうな。多分―すぐに本当のこと、喋らせられるのを避けたかったんだろ」
暗示にかかりやすいジャネットなら、確かにすぐに真実を話していた可能性はある。
「ヒカルは来るのは西崎サンだけだと言いました。でも、あなたが一緒にいて、私ビックリしましたね」
それで、ジャネットがあんなに急にいなくなったのかと、凪は納得した。おそらく、凪が人を狂わせるという話も、ジャネットは信じ込んでいた―今も、信じ込んでいるのかもしれない。
それにしても、室田の行動も一貫性がない。
自分たちを騙して呼び出したくせに、相手に自分が行くことを知らせず、不意打ちのような真似をするとは。
西崎は、ため息をついた。
「手に入れる、か。協力関係を築きたい、って意味には聞こえないな。ガブリエルっていうのは、ウィンガーなのか?」
「分かりません。私は、彼に会ったことありません」
「え?」
思わず凪は声を出した。
「一度、電話で話したことはあります。とても、丁寧で、いい話し方をする人です」
「……男、なのは確かなんだな?」
「私、話したのは男の人です」
しばらく、西崎は黙り込んだ。
凪もこれ以上なにを聞いていいのか分からず、西崎の言葉を待っていた。
ジャネットは、言われるまま、言われただけの仕事をしていたようだ。
(もしかして……余計なことに興味を持たないように言われてた?忠実に、必要な仕事だけするように……?)
だが、普通はそこがどんな組織か、どんな仕事をしているのか、気になるものではないだろうか?
そう考えて、凪はふと思いついた。
(あたしと……同じような能力を持った人がいる?もしかして……)
「ねぇ、そのミッキーっていう彼氏は、普通の人?ウィンガーじゃなく?」
何か言おうとした西崎より前に、凪は乗り出して聞いていた。
ジャネットはキョトンと首を傾げる。
「もちろんです。ウィンガーじゃありません」
ホッとすると同時に少し残念な気もした。
「ミッキーの写真、あるか?」
西崎がジャネットのスマホを指差す。ジャネットは首を振った。
「ミッキー、写真、嫌いですね―あ、」
何か思い出したらしく、ジャネットはスマホを操作した。しばらく指を動かした後、
「これだけ。たまたま、撮れていたんです」
それはどこか人混みの中で友人らしい女性と2人で写っているジャネットの写真だった。
指を動かすと、2人の後ろを通りかかったらしい男性の横顔が拡大される。
「え?」
「この人?」
思ったよりも、年配の―中年といっていい年頃に見える。さらに、知的で落ち着いた雰囲気の横顔は―
「東洋系っぽい……人だね」
凪の呟きに、ジャネットはニコニコと頷いた。
「ええ。ミッキーは日本人ですね。本名はミキ・アツシです」




