わだかまり
「声かけた?……小学校の時?」
凪はできる限りの記憶を遡ったが、エレナと最初に話した時の記憶はなかった。
転校生の、しかも帰国子女のエレナに自分から積極的に話しかけに行ったとは、凪は考えられなかった。そういうのは、暦美や美実の担当である。
というか、フレンドリーに話しかけてきたのはエレナの方のはずだ。
「いつも、一緒にゴミ捨て行った。図書館も行ってくれた。優しい子だと思った」
(え?ゴ、ゴミ?……図書館……ああ、2回くらい……行った?え?それで、優しいって、どういう……)
凪が口を挟むタイミングを見つけられないまま、エレナは続ける。
「友達だと思った。だから、あなたの秘密、守ろう思った。あなた、手紙書く言った。連絡しますって。でも、あなたはいなくなったまま」
箇条書きのようなエレナの言葉は単純だが、凪には脈絡が見えなかった。
「えぇ?……えと……んん?」
気がつけば、エレナと西崎が揃って凪を見つめている。
「図書館、行ったね、でも何人か……一緒だった」
仕方なく、思いついたことを言ってみた。
「ゴミ……ゴミはなんのことやら……」
運転席から笑いが起きた。
「君ハ記憶力ノイイ天使デスネ」
エレナは、ルームミラー越しにマイケルの冷やかすような笑顔を睨みつける。
「あ……いや、あたしの記憶力が悪いのかも」
凪は慌てて言ったが、内心は
(結構、物覚えはいい方だと思ってたんだけどな)
と、納得はしていない。
「あたし、連絡するって、言った?」
「覚えていない?サヤと、タマエと―みんなにも」
イライラと、エレナは言った。
なんとなく、卒業式の後とか、そんなことを言い合っている風景は思い浮かんだ。
でも、凪の場合それは―
(みんなが……他にも引っ越す子たちがそう言うから……なんとなくそれに合わせて言ってただけだ……サヤちゃんとタマちゃんには連絡取るつもりでいたけど……でも)
一番仲の良かった2人にさえ、電話もメールもしなかった。
社交辞令だよ、という言葉がいろんな意味で通じない気がして、凪は言葉を探した。それに、こんな話よりもダーウィン・ミッションや、花の話が先だ。
(ごめんなさい。あの頃はそんな余裕なくて……なんて、言い訳で分かってもらえるかな……とにかく、謝ってしまった方が―)
「つまり、そんな個人的な理由で、オレたちにちょっかい出したのか?ダーウィンの活動とは関係ないのか?」
弱気な凪の思考を遮ったのは西崎だった。
「お前がダーウィン・ミッションで、エンジェルと呼ばれて崇められているのは知っている。そんな立場の奴が、個人的な僻みでスタンドプレーに走った?普通、ありえない」
クルリと西崎を振り返ったエレナの腕は、つかみかかる前に押さえつけられた。
「イッッ……」
次の瞬間にはエレナの両腕は後ろに回され、上半身は前のめりに押さえつけられる形になっている。
「女性に手荒なマネするのは嫌なんだ。おとなしくしててくれないか」
西崎は顔色ひとつかえていなかった。
前傾姿勢のまま、エレナは西崎を、それから凪を下から睨みつけた。
凪の手はエレナの背中に乗せられている。
エレナを気遣っているようにも見えるが、もちろん、翼の発現を抑えている。エレナにもそれは分かったようだ。
「分かった!離して!」
ぶっきらぼうに叫んだエレナから凪と西崎の手が離れる。
これ見よがしに髪をかきあげ、エレナはドサリとシートに寄りかかった。
「ヒュー」
運転席から低い口笛が聞こえた。
それからのエレナは打って変わって黙り込んだ。
(感情的、だなぁ。翼出してないのに。いつもこんな感じなのかなぁ……昔のエレナちゃんと随分、違う……いや、昔のエレナちゃんのことなんて、そんな知らないか……)
凪はそんなことを思いながら、エレナの横顔を窺っていた。
車は市の中心部から少し外れたビル街に来ていた。大通りから脇道に曲がり、すぐ停まる。
そこは、半年ほど前に廃業したホテルの前だった。
5分後。
一行は、地下のガランとした部屋にいた。広さはかなりある。壁一面が鏡張りであるところを見ると、スタジオかジムとして使われていたらしい。
だが、それらしい機材やマシンなどは残っておらず、広いだけの部屋は寒々しい感じがした。
管理はそれなりにされているのか、あまり埃っぽさなどは感じない。
市の中心部に近い、ビル街の中にひっそりと立つ建物は敷地面積はさほどないものの、10階建てである。
凪はこんなところにビジネスホテルがあったことすら知らず、建物に入るなり、キョロキョロとあたり中見回していた。
マイケルによると、老朽化で改装費用が嵩み、オーナーが手放したらしい。
「英会話教室、ココデ開コウカト考エテマス」
「この建物で?随分大きなスクールだな」
その言い方からすると、西崎もこの場所のことは聞いていなかったらしい。
「上半分ハ、賃貸ニシヨウカト思イマス。留学生ナドニ、安ク貸シマスネ」
この場所に移動することを提案したのはヘンリーだった。
マイケルはやや不満そうだったが、結局他に気を使わずに話し合える場所は思いつかなかった。
ヘンリーは今、エレナのそばに立っている。そしてエレナは膝を抱えて座っていた。
手足くらいは拘束した方がいい、というマイケルの意見は、
「翼を出されたら殆ど意味がない」
という西崎とヘンリーにより却下されている。
そもそも4人もアーククラスのウィンガーがいる状態から逃亡する方が無謀だ、と凪も思った。
エレナの隣で目を覚ましたジャネットもボンヤリと座っている。
「あたしが声かければ、少し目が覚めるかも」
と、凪は言ったが、西崎は首を振った。
「もう少し寝ぼけててもらっていいだろ。2人でごちゃごちゃ喋られると、まとまりがつかねえ」
ヘンリーが凪に話しかけてきた。
「自分が話をさせてもらっていいか?」
ということではないかと、ジェスチャーも含めて判断した凪は、
「Yes」
と答えてから、西崎を見上げた。
「エレナちゃんと話がしたいって……ことだよね……?」
「ああ」
「あの……後でもいいから、要点だけでも通訳してもらえると……」
「ああ。いいよ。―水沢、英語、ダメだっけか?」
西崎が意外そうな顔をするのが意外だった。
(前にも言わなかったっけ?というか、さっきのエレナちゃんとのやり取りで、分かってたかと思ってた……)
ヘンリーは既に、かなり早い口調でエレナに話しかけており、凪の耳は聞き取り作業をもう、放棄していた。
エレナは不機嫌そうに、黙って聞いていたが、ふと「Queen of darkness」という単語をなんとか凪が聞き取った時、ひどく苦々しい顔で凪を振り向いた。
青い目が、戸惑う凪をじっと見る。反応を窺っているようだった。それから、凪にうまく英語が伝わっていないことが分かったのか、首をすくめて言った。
「そう。私が黒い女王の噂を広げたの」




