一方その頃
スマホの画面を見ながら、海人は大欠伸をした。
「あっ、やべ……」
慌てて操作するも虚しく、画面には〈YOU LOSE〉の文字が現れる。
「お兄ちゃん!」
愛凪に脇腹を小突かれ、海人は口を尖らせた。
「だって、ゲームでもしてないと眠くてさぁ」
「ちゃんと周り見ててよ!」
「それ、愛凪ちゃんに任せるヨォ」
「気色悪っ!」
胸の前で手を組み合わせ、キラキラの眼差しをよこす兄に、容赦なく愛凪はパンチを繰り出した。
「やめてっ!ひどっ!え?」
本気でガードしながら、海人はガバッと後方を振り返った。愛凪も同時に同じ方を見ている。
停車している車の後方から声が聞こえたのだ。しかも、
「多分、あれだろ」
「アア、ソウデスネ」
複数の声がこちらへ向かって来ている。
兄妹は一気に緊張を走らせた。
「ウィンガーか?」
近づいてくる人影に、愛凪は目を凝らす。
「違う―でも、アーククラスなら私じゃ分かんないし」
「―ん?あ、もしかして、」
愛凪が制止する間もなく、海人は車から降りた。
近づいてくる人影が手を上げる。
「おう」
と、海人も手を上げて応じ、それから顔をしかめた。
「なんで、あんたがいるんだよ」
続いて降りた愛凪は、こちらへ向かってくる1人は本郷だとすぐに分かった。もう1人は―ずっと大きい。シルエットからして、日本人でないと直感する。
たちまち記憶が蘇った。
真壁和久の家の庭。緊張しながら覗き込んだその場所に、銅像のような重々しい背中を見た。
だが、その後のことはよく覚えていない。ほとんどは後から海人が教えてくれた。
「そいつが無理に愛凪の翼を引っ張り出したんだ」と。
マイケル・ガードナーは人懐こい笑顔を浮かべて近づいて来たが、海人の渋面と出会うと少し怯んだようだ。それでも、
「ハイ!久シブリデスネ」
極めて明るく切り出したのは、体格に似合って、なかなかの大胆さである。
「ちょっと、事情が込み入ってきてな。話は後にして、神社のとこまで車持って来てくれ」
事情を熟知している本郷が、それ以上の会話をさせずに海人の肩を叩いた。
海人はマイケルを睨んだまま、渋々と頷く。
愛凪はマイケルの大きな体をじっと見つめていた。
この男性が強制的に自分をウィンガーにしたのだと言うけれど、正直、何をされたのかはよく覚えていない。
愛凪としては、今の自分がウィンガーであることに不満も後悔もない。
無理に翼を出されたせいで暴走はしてしまったが、いずれはウィンガーになる予兆が見られていた。
つまり、時期が少し早まっただけで、結果に変わりはない、と理解している。
そんなわけで、愛凪としては海人のようにマイケルに対して怒りを覚えることなどなかった。
むしろ、初めて見る外国人のアーククラス。実に興味深い。
(このおっきな人が空飛ぶって……私もその現場にいたのに覚えてないもんな〜)
愛凪がしげしげと眺める先で、マイケルはハッと空を見上げた。
本郷も同じ方を見ている。
「なんかあったのか?」
同じ方向を見る海人も、目を凝らし空から降りてくる白い影を見とめた。
「2人……3人?」
「お兄ちゃん、急ごう!」
愛凪に背中を叩かれ、海人は急いで車に乗った。
「オレらも一回戻ろう」
本郷に促され、マイケルも後部座席に乗り込む。
巨体のマイケルと、普通にがっしりした体型の本郷が後ろに乗り込むと、車高が明らかに下がった。
さっきまでの3人でギュウギュウ詰めになっていた光景を思い出し、愛凪は吹き出しそうになった。
今日はこの軽自動車のキャパシティを目一杯に活用する日らしい。
なんの遠慮もなく乗り込んだマイケルに、海人は明らかに不満そうだったが、無言でエンジンをかけた。
「室田の妹、なんで元住んでた場所に連れて来たのかと思ってさ。ちょっと見ておこうかと思ったんだけど。後回しだ」
車が走り出すと、本郷が言った。
「そう言えば、ジャスミンだかジョリーンだかいうやつ、お前ら捕まえたんじゃなかったの?」
海人の問いに、愛凪から
「ジャネットって言ったと思うけど」
小さくツッコミが入る。
本郷は気にする風もなく、
「ああ。もう1人がみてる」
と答えた。
「え、もう1人いるの?ウィンガー?」
「ああ。あとで紹介するよ。マイケルの友達でさ、」
「友達、違イマスネ。仲間デスガ」
即座に口を挟んだマイケルに、本郷は苦笑した。
「めんどくせーなぁ」
海人はルームミラー越しにマイケルを見てから、
「また、外国人か」
と呟いた。
「ま、な。日本語は、あんま出来ないけど、めっちゃイケメンだぜ。ヘンリーっていうんだ。ちなみにアーククラスでもある」
「なるほど。そりゃ、1人いれば見張りには十分だわ」
海人は愛凪と顔を見合わせて頷いてから、身を乗り出して空を見上げた。
フロントガラス越しの夜空に、飛行する物はもう見えない。
「さっき、飛んでたの誰だ?エレナ・モリィって、アーククラスだったのか?」
海人が空を気にしながら運転するので、その分、愛凪が前方にしっかりと目を向ける。
「そうらしい。中学に入ってすぐ転校したのもそのせいだったみたいだな。詳しい話はオレもまだ聞いてないけど―おっ?!」
本郷が人影に気づいて声を出した時、すでに車は止まっていた。
神社の境内跡に作られた駐車場。その入り口付近に、座り込む人影。
「音十弥!エビさん!」
本郷は車から飛び出した。
「どうした?大丈夫か?」
その言葉は、西崎と蝦名の間でうずくまる少女に向けられたものだ。
「室田の妹か」
すぐに本郷は察した。
「ああ。空から突き落とされた。怪我はなさそうだが」
「はあ?!」
西崎の話にひっくり返った声を出した本郷だが、すぐに医学生の顔になる。
花は見た目にも分かるほど、ガタガタと震えていた。
顔はひどい泣き顔なのに、涙も声も出さず、ただ膝を抱え込んでいる。
「ちょっと手かしてな。どっか苦しいとこ、ある?」
冷え切った手を取り、脈をとりながら、本郷は花の目を覗き込んだ。
かすかに首が振られる。
「小学生の頃から、声が出せなくなったみたいなんだ」
西崎が小声で言うと、本郷は頷いた。
「よし、寒いから車に乗せてもらおうか。立てる?無理しなくていいよ」
明るく声をかけ、花を抱え上げようとした本郷は空から降ってくる、悲鳴とも呻きともつかない声に、ハッと顔を上げた。
「水沢……」
西崎も半ば呆れたように呟き、空を仰いでいる。
真っ直ぐに地面に向かって来る黒い影は音もなく、ただ全員が異様なエネルギーを感じた。
夜の空よりさらに黒い翼が開く。
凪の手が掴んでいるのがエレナの首根っこだと分かると、
「うぇーい」
「う……わ」
海人と愛凪はそれぞれに奇妙な声を上げ、
「ほほう」
蝦名は感心したようなため息を漏らした。
2人は緩やかに降りてくる。エレナの体は脱力し、壊れた人形がぶら下げられているようだった。
「ったく、無茶するな」
そう言いつつ、かすかに口元をほころばせ、西崎は着地点へと向かった。




