追飛行
小柄な方の人影はもちろん花だ。
そして、その肩を抱きながら寄り添っている、長身の女性。タイトなジャケットとスキニーパンツのおかげで、その細身の体型が際立って見える。
花の方へ少し身を傾けて話しかけると、長いブロンドの髪が街灯の光を反射した。
(ウソ……あれ、エレナちゃん……?)
小学生の時のエレナは凪と大して身長は変わらなかった。髪もブロンドではなかった。
凪は思わず身を乗り出して、エレナを見ていた。
2人の様子はなんだかおかしかい。
花はヨロヨロしているし、今にも座り込みそうだった。
花の方を見ているため、エレナの顔は見えない。
具合が悪いのか、花が立ち止まった。エレナは両手で花の肩を支え、何か言い聞かせているようだ。
花は両手で顔を覆いながら、何度も頷く。
全員が優れた聴覚を全開にして会話を聴こうとしていてが、残念ながら車の中に、聞き取れるものはいないようだった。
エレナは花の手を掴んで歩き出そうとする。それは、少々苛立ち、乱暴な様子に見えた。
引きずるように花を引っ張りながら、エレナは誰かに電話をかけたようだ。そこで、やっと声が聞こえた。
おそらく英語で、凪はよく聞き取れず首を傾げたが、強い口調で指示を出しているような言い方なのは分かる。
「車、持ってこいって言ってる」
誰もエレナの言っている内容を理解できていないのを見てとると、西崎がそっと言った。
「やっぱり、車で来ていたか。さっきのファミレスにそれらしい車がなかったんで、何で来たのかと思っていたが」
蝦名の声はひそめてもそれなりの大きさだ。
だが、エレナは電話に気を取られていることもあり、こちらの声が聞こえた様子はない。
「もう1人、仲間がいるってこと?」
凪は独り言のように言ったつもりだったが、西崎はしっかり聞いていた。
「いや、ジャネットの可能性が高い。多分、あの後ですぐに合流してるだろ―イラついてんな」
最後の言葉はエレナに向けられたものだ。
花の手を掴んだまま話続けているエレナは、時折、激しく首を振った。
「運転が嫌だって、渋っているみたいだな。どうも、信頼関係はあまりなさそうだ」
西崎の口元に苦笑いが浮かんだ。その腰のあたりで、振動があった。
西崎がポケットから取り出したスマホを操作する。左の口角が一瞬だけピクリと動いた。
「いたぜ。神社跡の駐車場だ」
「え?」
「宙彦たちに周辺探ってもらってたんだ。他にも仲間がいるかもしれないからな。カイの妹にも、ホントはそっちに合流して警戒してもらうつもりだったんだが、無駄足になりそうだ。悪かったな」
いえいえ、と頭を振る愛凪はちょっと残念そうだった。
「さあ、こっちが有利になったところで、話し合いといくか。カイと妹はここで待っててくれ。一応、他にウィンガーが近づいてきてないかも、みててくれよ」
最後の言葉は愛凪に向けて言われている。
愛凪は緊張した面持ちで頷いたが、隣で海人がおよそ緊張感のないピースサインを見せたものだから、たちまち苦々しい表情になった。
「行くぞ」
低いその声が、自分にも向けられていることは間違いないと、凪も体勢を整えた。
エレナが何か感じたのか、クルリと車の方を振り返る。
同時に後部座席から西崎と蝦名が外へ出た。
軽自動車からこんな大男が2人突然出てきたら、なんだかシュールで笑えるな、などと考えつつ、凪も続いた。
が、凪はエレナの顔をよく見ることはできなかった。
彼女は花の手を掴んだまま、全力で走り出したのだ。
「おい!話を聞きたまえ!」
蝦名の声に振り返ることもなく、信号も無視して道路を横断していく。
すぐさま、3人も走り出していた。
花を引っ張った状態で逃げ出したところで、追いつかれるのは目に見えているはずだ。
だが、エレナは逃げ切れると思っているのか、振り返ろうともしない。
小学校の方へ登る道へ入ると、あろうことか、エレナのスピードは上がった。その背中に、真っ白な翼が広がる。花の足が浮き上がったのが見えた。
普通の人間がついていけるスピードではない。
外灯の灯りの中に、白い翼の陰影がくっきりと浮かび上がる。
「ちっ!」
西崎の舌打ちが聞こえた。
エレナの翼は大きく羽ばたき、夜の闇の中へ一気に昇っていく。
「おいっ!あの子、大丈夫なのか?!」
蝦名が声を上げる。当然エレナの腕に、花は抱えられたままだ。
「早い……」
あっという間に小さくなるエレナたちの姿に、呆然と立ち尽くす蝦名の横から、白い影が飛びたった。
「ニッシー!」
「まだ追いつける。あと、頼む!」
そう言って、一気に上昇に移ろうとした西崎は、目の前を黒い影に覆われて急停止した。
凪が小柄な姿に似合わぬ大きな黒翼を広げ、飛び去るエレナを見ている。
「あんなスピードで逃げてる気か」
嘲笑を含んだその声は、西崎をゾクリとさせた。
(相変わらずの迫力だな。頼もしいぜ)
すでに、西崎は凪に全てを委ねるつもりになっていた。
「フォロー、頼むわ」
ぶっきらぼうにそう言った凪は次の瞬間、パシュッ、という衝撃音と共に西崎の目の前から消えていた。
「う、お、オォ?!」
急いで西崎の隣まで上昇してきていた蝦名が目を剥く。
「水沢さん、どこ……あ、いた!」
西崎は笑いを押し殺した。
「相変わらず派手な飛びっぷりだよな。―オレらも追うぞ!」
(冗談でしょ?!私についてきてる?!)
エレナは背後から迫る気配に、唇を噛み締めた。それから、腕の中の少女に忌々しげな視線を向ける。
花は気を失いかけていた。体は力が入らずグッタリしている。お陰でいくらウィンガーの状態とはいえ、支えているのは至難の技だ。
(この子がいなきゃ、水沢凪が私に追いつけるはずがないのに!)
毎日ストイックにトレーニングし、翼を出した時のコントロールも完璧だ。
この大きな翼と共に授けられた飛行能力は、特に意識して磨いてきた。
そもそもアーククラスの飛べる翼を持っていること自体、ウィンガーの中でも選ばれた存在なのだ。
そこに加えて鍛錬し、能力を磨いた自分にかなう飛行能力を持った者に、エレナは会ったことがなかった。
(私が一番なのよ!)
花を抱える腕に力を込め、さらに上昇スピードを上げる。と、目の前を真っ黒な影が横切った。
「キャッ……」
小さく悲鳴をあげて、急制動をかける。
頬に、夜の風が吹きつけた。
「What?!」
エレナは自分の顔が引き攣るのが、分かった。翼のある状態だと、ひどく冷静になれて、取り乱すことなどほとんどない。
だが、今のエリナは完全に動揺していた。
目の前、1メートルほどの位置で、大きな黒い翼が広がっている。
水沢凪はこともなげに、憐れむように笑っていた。




