エレナの事情
「あの……さ、今のうちにエレナのこと、少し話しておいてもいい?」
しばらく気まずい沈黙が続いた後、室田がポソリと言った。
「え、あ、もちろん」
隣を見ると、西崎も黙って頷いている。
室田は何か思うところがあるのか、神妙な顔つきで、ボンヤリした目つきのまま、話し出した。
「エレナの家、父親のDVから逃げてきたとか噂されてたでしょ。あれ、ちょっと違うっていうか……複雑らしくてさ。親の仲があんまり良くなかったのは確からしいんだけど。エレナのお母さんって、かなり被害妄想入ってたらしくて。あ、これ、エレナが言ってたんだよ。―翼がある間って、妙に頭が冴えるでしょ」
そう言って、凪と西崎を見た室田は、その途端、自信を無くしたようにまた目を伏せた。
「……オレだけかな……。でも、エレナも言ってたんだよ。心の中のモヤモヤしたものが、急にハッキリして、間違いと正解がちゃんと分かるようになったって……」
「間違いと正解……」
口の中で呟いて、凪はちょっと考えた。
自分とは少し違う感覚だが、言いたいことはなんとなく分かる。
頭の中がクリアになって、最も効率のいい行動なり、方法なりが瞬時に分かる感覚。
隣の西崎を窺うと、真っ直ぐ室田を見つめたまま、表情は変わらずだった。
「エレナのお母さん、お父さんが自分とエレナを殺そうとしてるって、言ってて。それで、日本に帰ってきたんだって。エレナもそれを信じて日本に来たんだけど……すごく辛いって。急にお母さんに連れられて、服とかもほとんど持たないで来たらしいんだ。こっちに来れば、おばあちゃんがなんとかしてくれると思ったみたいだけど、おばあちゃんも生活保護で生活している状態で。最悪だって言ってた……」
転校してきた当初のエレナが、数着の服を着まわしていたことを、凪は思い出した。子供の目から見ても、それは色褪せ、かなり着古した洋服で、靴もだいぶ傷んでいた。
担任の野宮れい子が、体育着や文房具類を揃える手助けをしているのを少し後で知った。洋服が入っているらしい紙袋を渡しているのを見たこともある。
(先生、優しいな……)
そう思って見ていた。あの時は―
「何回か2人でみんなのこと見に行って……段々、家のこととか喋るようになった。うちも、割と貧乏だったし、話しやすかったのかもね……」
室田は俯いたまま、自分の足先に語りかけるようにそう言い、深く息を吐いてからまた続けた。
「ウィンガーになって、おかしいのはお母さんの方なのが分かった、お陰でひどい目に遭ったって、エレナ怒ってた。れい子先生に文句言ってやるって」
「なんでそこに"れい子先生"が出てくるんだよ」
そこまで黙って聞いていた西崎が口を挟んだ。眉間に皺が寄っている。
「れい子先生、お母さんの話を信じてアメリカのお父さんが直接2人に連絡したりできないようにしたんだって。オレも、よくわかんないけど、そういう人を保護してくれる団体?みたいなとこを世話したりしたらしくて。そういう人たちにも、お母さんの話を聞かせて、とにかくお父さんは悪者にされちゃってたらしくて……エレナもお父さんに連絡取ることができなくなってたんだ」
「それは逆恨みだろ。確かに勘違いというか、片方の話だけ聞いて結論出したからそんなことになったんだろうが―」
「オレもその時は何言ってるのか分からないって思ったよ。エレナ、興奮してたし。とにかく、れい子先生がいなけりゃ、もっと早く帰れたのにって……その後、すぐエレナは自分でお父さんに連絡とって、アメリカに戻れるように決めたんだ。帰る前の日に、会いにきてくれたから、そこでもう一回、聞いたんだ。なんでれい子先生のせいなのって―」
「エレナちゃん、なんて言ってたの?」
「れい子先生は、片方だけの言い分を聞いて判断するような人じゃないし、エレナのお母さんがおかしいのも分かってたはずだって。だから、ワザとだっていうんだ」
「ワザと?」
思わず、凪は西崎と顔を見合わせていた。
すぐには次の言葉が出てこない。まず、「ワザと」の意味を凪は理解できなかった。
「エレナ、オレなんかよりウィンガーのこと、すごい調べててね。最初に翼が発現するのは、精神的に不安定な状態から興奮状態になった時が一番多いから……だから、れい子先生は、そうやってエレナをウィンガーになるように仕向けたって言うんだ」
「……」
「急にお父さんに殺されそうだなんて聞かされて、不安になってるところに、生活環境が変わって、お金もなくて、クラスで孤立して……ウィンガーになりやすい環境をれい子先生が作ったんだって」
「え……ちょ、っと……こじつけ……」
そう言おうとして、凪は言葉に詰まった。
今まで、疑惑として何度も言われてきたことではあるが、ここまで具体的に言われると、どう反応していいのか迷う。
ウィンガーになって、ショックを受けたエレナが、誰かのせいにしたくて、れい子先生にそんな感情を抱いただけかもしれない。
だが―
「特別カリキュラムのオレらのクラスに、転校生が来たこと自体、違和感はあった。ちょうど良さそうなターゲットとして、取り込んだってことか」
西崎がそんなことを言い出したので、凪は余計に言葉をなくした。
当時聞いた、エレナに対するれい子の言葉を思い出す。
――エレナさんのおうちね、なかなかお父さんとお話が進まなくて――
――仕送りもしてもらえなくて、大変なの――
(先生が生徒の個人情報を漏らしているって、桜呼ちゃん文句言ってたっけ……あれ……もしかして先生、それもワザとあたしに教えた……?)
れい子に関しては、正直、何が真実か分からなくなっている。
「アメリカに帰ってから、エレナずっと先生のこと調べてたみたい。オレにはなんにも教えてくれなかったけど……みんなの情報、調べろって言ったのも、先生のことと関係あるのかも……」
「ちゃんと聞いたわけじゃないのか?」
室田は頷いた。
西崎はため息をついた。
「森エレナか。確かに忘れられてた同級生だな」
「クラス会やる時に調べた時は居場所、分からなかったんだよね?」
凪はクラス会の時に渡された同級生の近況リストを思い出したが、そこにエレナの名前を見た記憶はない。
「詳しく調べたわけじゃない。アメリカに帰って、誰も連絡とってない、で終わったはずだ。クラスにいたのが半年だけってのもあったしな。だけど、それにしても、やっていることは理解できないぞ。ハッキリ言って、脅迫だ。ダーウィンがバックにいるとなれば、この先も何をしてくるか―」
嫌が応にも須藤の事件を思い出す。
結果的に3人もの人が死に、その一因になっているにも関わらず、知らぬ存ぜぬを貫いているダーウィン・ミッション。
エレナがそこに属しており、自分たちに接触してきたとなれば、あの事件のことも含めて、自分も知らんぷりは出来ない。
凪は言いようのない不安にかられた。




