エレナ・モリィ
彼女が転校生として来たのは、六年生の夏休み後だった。
「森エレナさんです。アメリカでの生活が長くて、英語の方が得意なのよね」
担任の野宮れい子がそう言ってエレナを見ると、エレナはニッコリと微笑み返した。
白い肌に、ショートカットの明るい茶色の髪。半袖ハーフパンツからのぞく手足は細く、男の子のようにも見えたが、笑顔で自己紹介するエレナは、とても可愛らしかった。
日本語は明らかに辿々しかったが、意思疎通に困るほどではない。
エレナ自身が積極的に話かけてくることもあって、数日でクラスに馴染んだように見えた。
だが、やはり育った文化の違いはある。エレナはその違いを「そうなんだ」で済ませる子ではなかったし、自分の主張はハッキリとする子だった。
「アメリカでは、生徒は掃除しない。ゾウキン?私、知らない」
そう言って、なかなか掃除に加わらなかったり、
「上靴?持って帰るの?―洗う?汚れてない。私、洗わない」
「朝読書?読みたい本ない。なんで、絵を描いちゃダメなの」
などなどの発言が続き、次第に「自己主張が強くて、空気の読めない子」という認識がされていった。
ただ、あからさまにエレナを避ける子が出てきたのは、それだけが原因ではない。
エレナが母親と祖母の3人で暮らしていることは、本人の口から語られた。経済的に困窮していることは、子供の目にも明らかだった。
それだけなら、大した問題ではないと凪は思っていたのだが、エレナの家庭事情などを踏まえて、あまり近づかないように言っている父兄もいたらしい。
母親からそんな話を聞いたのは、中学校になってから。そう言えば、班活動やグループ分けの時に、やたらエレナに突っかかっている子もいたな、と思い返した。
凪にしてみれば、そんな印象的な子もいたな、というくらいの存在だったから、去年、桜呼のマンションに集まった時、桜呼からエレナの名前が出されても、すぐに誰のことか思い出せなかった。なぜか桜呼は凪がエレナと仲良くしていた、と記憶しているようだが、特に一緒に遊んだりした思い出はない。
時々、口ごもりながら、ポツポツと室田はエレナのことを話し出した。
2LDKの西向きの部屋は、雑然としている。
散らかった服やペットボトル、空き缶などを無造作にどかし、室田は2人にソファをすすめ、自分は床に腰を下ろしていた。
へたり込むように座った室田は、すっかり疲れ切った顔をしている。それでも、促されるまでもなく口を開いたのは、室田自身、話を聞いてもらいたいようにも見えた。
「小学生の時、オレ、こっそりみんなのこと見てたって言ったでしょ?あの時、エレナも見てたんだよ」
室田の視線は床を向いたまま。
西崎は口を開きかけたが、思い直したようで小さく息だけ吐いた。
どうして言わなかった、そう言いたいのが凪にも分かった。嫌な動悸を感じながら、凪も黙って室田の言葉を待った。
「エレナ、こっそりオレの後をついてきてたんだ。ヤバイ、と思ったけど……2月、くらいだったかな……もうすぐ卒業だから、黙っててって頼んだ。エレナも最初からチクる気はなかったみたいだよ」
そこで、室田は力無く笑った。
「オレと同じこと考えてると思ったんだよね。みんながウィンガーだって喋って、クラスがバラバラになるのが嫌なんだって。全然、違ったんだけどね」
「エレナがウィンガーになったのはいつだ?」
西崎の落ち着いた声が凪はかえって怖かった。
かなり苛立っているのは間違いない。それでも、あえて冷静にむろの話を聞こうとしているのか、怒りすぎて逆に淡々としているのか……
「中学1年の6月。中学校入ってから、あんまり学校に来なくなったんだ。中間テストも受けに来なくて、先生からも親からもなんか言われたみたいで……その夜に、うちまで来た。私、ウィンガーなのよって」
室田はため息をついたが、どことなく懐かしそうな目をしている。
直感的に、嘘は言っていないな、と凪は感じた。
「すぐに、アメリカに戻るって言って。登録されるならアメリカがいいって……だから、向こうに帰ってすぐ登録されたのかと思ってた。みんなのことは誰にも言わないって、約束したし……」
「その時からずっと連絡とってたのか?」
室田はすぐに首を振った。
「全然。ホントだよ。エレナ、それっきりなんの連絡もよこさなかった。その後、うちの母親があの事件で、警察に連れて行かれて、オレ転校したし」
「じゃあ、いつ再会したんだ?」
西崎の言葉は淡々としているが、質問のたびに室田は萎縮していくようだった。
凪は、肉食獣の前に立った子山羊の絵面を思い浮かべたが、そんなどうでもいい想像を膨らませる場合ではないと、慌てて頭の中の光景をリセットした。
「……先生が……れい子先生がいなくなった後。SNSで急に連絡が来たんだ。先生がいなくなったこと、何か知ってるかって。れい子先生がそんなことになってるのも、オレ、知らなかった。それから、連絡取るようになって、エレナが何回か日本に来た時に会ってたよ」
室田はそこで言葉を切り、床を見つめたまま、しばらく黙り込んだ。
「その頃にはもう、ダーウィン・ミッションの人と知り合ってたみたい。だけど、オレがその名前知ったのは、結構後でなんだ。エレナ……その人たちのこと、あんまり喋らなくて。オレのことはいろいろ聞いてくるのにさ……だから……オレのことばっかり喋らされて―あ、いや、でも―家のこととか、花のこととか、相談できる人ってオレ、いないから……そういうこと、話したかったのかな……段々、自分からいろいろ喋るようになってたし……」
何か言われると思ったのか、室田は上目遣いに西崎を見てから、凪の方も見た。
「高校卒業して。花のこと引き取りたいけど、金がないって話したら、頼み事聞いてくれるなら、援助するって言われたんだ。エレナ、ダーウィンで結構偉くなってるらしくて。すぐに200万くれた……」
(200……すぐに……!)
凪は声を出さずにのけぞった。だが、ちょっと冷静に考えれば、怪しすぎる話である。
「頼み事って、なんだったんだ?」
室田はやっとという様子で顔を上げ、
「ごめん……ごめんなさい……」
絞り出すように呟いた。




