Angel atack
地下鉄の改札まで、全員が無言だった。
高身長の西崎が、ガラガラとスーツケースを引いて歩くのは、それだけで行き交う人の視線を浴びる材料になっているようである。
それはジャネットのスーツケースだった。惜しげもなくそれを残して、彼女は逃亡したのだ。
取り残されたスーツケースを、とりあえず持って店から出ると、
「さすがに開けるのはまずいか」
鍵がかかっているのを確認しながら西崎は呟いた。
「それは―やめた方が……」
即座に凪が言うと、
「だよな」
真顔で西崎は頷いた。
(かなり本気で開ける気だったな……?)
凪は少々ヒヤリとした。西崎はたまに危なっかしいことがある。凪としては、これ以上余計なことに巻き込まれるのはごめんだった。
警察へ届ければ、いろいろ聞かれ、また面倒なことになる。手元に置いておいた方が後で連絡が取れた時に取引きの材料にもなる。
西崎のその意見に従い、スーツケースは室田のマンションまで持っていくことにしたのだった。
「わっ、え?」
室田が急に声を上げて立ち止まる。花に袖を引っ張られたのだ。
「あ、トイレか。うん、待ってるよ」
コクンと頷いて花がトイレへ入っていく。ちょうどその時、西崎のスマホが鳴った。
「エビさん、どうし……え?」
西崎の顔つきが険しくなる。
凪は室田と顔を見合わせた。
室田は冴えない顔色で、不安そうな様子を隠そうともしない。
「―外国人?どんな見た目だ?―ああ、うん―分かった、気をつけてくれよ―」
電話を切った西崎は、室田の肩を掴んだ。
室田はビクリとしたが、西崎はそう強く掴んでいる様子ではない。
「室田、お前はエンジェルに会ってるな?花ちゃんのこと相談してたのも、エンジェルなんだろ?」
室田は無言で頷いた。かすかに唇が震えている。
(ちょっと、威圧感が強すぎる……)
凪は口を挟むべきかどうか考えながら見守っていた。
だが、イライラしている時の西崎に意見するのは凪も気乗りはしない。というか、もうこの状況から抜け出したくてしょうがなかった。
「長い金髪。アジア系のハーフっぽい顔。身長は170くらい」
西崎の言葉をよく理解できない様子で聞いていた室田が、突然ハッと目を見開いた。
「今、エンジェルも近くに来てるな?」
「えっ……あ、」
室田の答えは分かりやすい。
「あの……?」
状況か掴めていない凪に、
「エビさんが見つけたんだ。ジャネットがタクシーで逃げた後、近くに気配があった。急いで探したら、その女、電話で喋ってた。英語だったけど、ヒカルとかナギとか聞き取れたんで、こいつだと思ったらしい。そうだろ?」
凪の頭の中はまだ????である。
(エビさんが気配って……ウィンガーの?さっき言ってたエンジェルって人の……?)
多分、話の流れ的にそういうことだろうと推定した。
「そうだよ―それで、」
室田は言いかけて、思い切りよろめいた。
花が飛びつくようにして、兄に抱きついたのだ。
泣きそうな、それでいて挑むような目で西崎を睨んでいる。
「ち、違うよ、花!ジャネットたちのことをちょっと話してただけ!」
雰囲気から兄が責められているとでも思ったのだろう。
花は室田の背中に隠れるようにして俯いた。
「あの、大丈夫。喧嘩とかしてたわけじゃないから。ね?」
凪が声をかけると、ちらっと顔を見て花は頷いた。それでも、目は何か言いたげだったが。
「ここじゃアレだから……うちに行ってからきちんと話すよ」
西崎は少し不満そうだったが、室田の言葉に頷き、とりあえず4人はホームへ向かった。
ちょうどタイミングよく列車が入ってきたところだった。
トランクや大きなボストンバッグを抱えた一行は、ちょっともたつきながら列の最後尾に付いて乗り込む。
一瞬だけ間を置いてドアが閉まる、その時だった。
花がドアから飛び出した。
一瞬のことで、誰も反応できなかった。
「えっ?!」「なっ?!」「おい!」
残された3人は思わず叫んでいた。周りの乗客も息を呑んで見ている。
反射的に室田がドアを叩いたが、開くはずもない。
地下鉄は動き出し、あっという間にスピードを上げていく。
花は、こちらを振り返らなかった。
ただでさえ大きなトランクを持って、少々目立っているのに加え、突然の花の飛び出しで、3人は周囲の視線が集まるのを感じざるを得なかった。
室田は青い顔で窓の外を見たまま、
「……なんで……?」
と呟いたが、それは凪も西崎も聞きたいことだ。
「電話……電話、してみたら」
気を取り直して凪が言うと、室田は急いでスマホを取り出した。
地下鉄車内だが仕方ない。だが、花は出なかった。
次の駅ですぐ降りた。とは言っても、元々降りる予定だった場所だ。
室田は何度も電話をかけ、メールもしたが、返事は来なかった。
ホームのベンチにへたり込むように座った室田は頭を抱えた。
「なんでだよ、どういうことだよ……」
西崎のスマホが鳴った。
「ああ……ああ、」
相手は蝦名だ。状況が状況なだけに、凪は耳をすませて蝦名の声も聞き取った。まあ、元々蝦名の声は大きいから、普通の人間でも聞き取れそうではあった。
「すまん。見失った!もしかしたら、気付かれたかもしれん!電車の改札通って―オレが切符買って入った時には、どこのホームにも見当たらなかった。気配も感じない」
「そうか。いや……気付かれたなら、深追いしなくて正解だ。予想外にヤバイ連中かもしれない」
「え?」
「ダーウィン・ミッション」
西崎のその言葉に、凪は自分でも顔がこわばるのを感じた。そして、室田が明らかに狼狽えたのもショックだった。
電話を切った西崎が、室田の肩に手を置く。
「悪いけど、お前の話、信用できないよ。エンジェルがダーウィンでかなりの影響力のある人間なのは知ってる。花ちゃんからその名前が出て、オレも驚いたけどな。明らかに、野宮れい子クラスを狙って近付いてきてるだろ。室田、お前どういう関係だ?」
西崎の淡々と喋っていたが、凪には一触即発の怒りを含んでいるようにしか聞こえない。
(うわぁ……変な汗が出る……うん、室田くんは怪しいし、ちょっとマズい状況だし、でも、花ちゃんはいったいなんで……)
口を挟むこともできず、凪はただ2人を見守った。
「エンジェルは……」
室田の声は震えていた。ひどい顔色だ。それでも、真っ直ぐに西崎を見つめ返して言った。
「エンジェルは、エレナだよ。エレナ・モリィ、覚えてない?」




