第791話 黒船襲来
漁師たちの朝は早い。
今日もウルブス領民の食卓に並ぶであろう魚を取りに、暗いうちからユアン湖に漁師たちが集まっている。船着き場ではせっせと、網の準備や魚を入れる為の木箱を小舟に積み込んでいるのだった。今日のユアン湖には深い霧が出ていて、漁師たちは日が昇り霧が晴れるのを待っていた。
漁師の一人が言う。
「なんだか、今日は湖がやけに静かだな」
そう言われると他の漁師たちもそうだと思う。魚の跳ねる音や小鳥のさえずりが聞こえないような気がする。だがそれは恐らく濃い霧が出ているからだ。きっと動物たちも寝静まっているに違いないと思うのだった。
「こんな濃い霧も久しぶりだべ」
田舎訛りの漁師が、慣れた手つきで網を小舟に乗せながら言う。
「まあそのうち晴れるさ。日が昇る前にさっさと支度しちまおうぜ」
「そうだそうだ」
いつものように軽い談笑を交わしながら準備をしているうちに、だんだんと東の空が明るくなってきた。すると予想通り少しずつ霧が晴れて行き、それを確認した漁師たちが小舟に乗り込んでいく。
「やっぱり晴れて来たな」
「昨日の夜は星が出ていたでな。まあ雲もないようだし、漁日和になるだろ」
「そうだそうだ」
そして小舟が一艘また一艘と、岸を離れて沖へと向かうのだった。沖に出ればいつものように、網を落として小魚を取るだけだ。
…そのはずだった。
先頭の船に乗った、魚見の少年が振り向いて船乗りに話をする。
「親方、なんだかおかしいよ」
「なんだ?」
「魚が居ないように思う」
「なら、もっと沖に出ねばなんねえな」
そして小舟たちの船団が、薄っすらと霧が晴れてきた湖の奥へ進んでいく。確かにいつもより静かな湖に、皆が静まり返って注意深く周りを観察していた。
すると…
沖の方が何かおかしい。何かの影がそそり立っているように見える。まだ湖の四分の一も進んでいないので、対岸の山が見える事は無いはずだった。
「親方! 山が見える!」
「なんだと? こんなところに山なんて…」
親方がそう答えようとした時だった。湖の沖の方から確かに大きな山が見えて来た。いや…正確には、その大きな山はこちらに近づいて来ているようだった。
「て、大変だ! 山が進んでくるぞぉ!」
親方が他の船に聞こえるように、大きな声で叫ぶと後ろの船がまた後ろにそう伝えていた。しかし、その大きな山は速度を緩めることなく、こちらに突進してくる。
そして、唐突にその霧の中から声が聞こえてきたのだった。
「領民に告ぐ! 我々の妨げになっている! 速やかに航路をあけて立ち去るのだ!」
「な…」
静かな霧の湖に、特大の大きな声でそれは告げられた。そして速度を全く緩めることなく、こちらに突き進んできたのだった。
そしてそれは再び声を発して来た。
「ぶーつかるぞー! 舵をひけー! ぶーつかるぞー!」
すると親方が少年に叫んだ。
「飛び込め!」
「はい!」
親方と少年が湖に飛び込むと、その大きな山…いや壁のような物が自分らの小舟を押しつぶしてしまったのだ。後ろの漁師たちも、なすすべなく水に飛び込み、小舟は次々と押しつぶされていくのだった。
「…し、城だ!」
誰かが叫んだ。そう、湖に巨大な城が浮かんでいたのだった。その城は小舟群を蹴散らすように、自分たちの出発した港へと突き進んでいくのだった。この湖で長い間、漁をしてきた漁師たちもこんなものは見たことが無かった。過ぎ去った後には大きな波がやって来て、漁師たちを飲みこんでいく。波に巻き込まれるように沈んでしまう者もいた。
それぞれが壊れた小舟の破片にしがみついたり、泳ぎの得意なものは辛うじて溺れることなくその場に浮かぶ事が出来た。いつまでも城は続いていたが、そのうちその城の後が見えて過ぎ去って行ってしまった。
「なんだこれ?」
一人の漁師が水に浮かぶ何かを見つけた。それは輪っかのようになっており水に浮いていた。それぞれの漁師がその輪っかにしがみついて、呆然とするのだった。
……………………
そんな出来事が起きる数時間前、ユアン湖の対岸では俺が湖に向かって手を上げていた。それはこの湖に、タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦のケープ・セント・ジョージを召喚する為だ。ウルブス近郊に拠点を作るのはかなり手間がかかる為、俺は即席の拠点としてケープ・セント・ジョージを召喚する事に決めた。
ケープ・セント・ジョージの全長は172.46 mで、幅は16.76mとなっている。9460トンもの巨体を召喚するのは、砂漠での空母落とし以来となる。LM2500ガスタービンエンジンを4基搭載し、63,000 kWの出力を誇る。メイン兵装は62口径5インチ(127mm単装砲)で、87口径25mm単装機銃、Mk15・20mmCIWファランクス、Mk41・垂直ミサイル発射システム、ハープーンSSM対艦ミサイル、Mk32・3連装短魚雷発射管を装備している。さらにはSH-60Bヘリ・シーホークを2機搭載していた。極めつけはイージスシステムで、これを用いれば複数の目標を同時攻撃する事が出来る。
最初はこれを動かす事が出来るかどうか迷っていたが、何とか出来るだろうという安易な考えでやってみる事にした。
「シャーミリア! 全員乗り込んだかな?」
「はい。これで全員です」
「よし、とりあえず前進する事は出来そうだし、多分止め方もわかる。だけどこのイージスシステムの使い方が良く分からんな」
「ご主人様の御指示通り、甲板には魔人とマリアが出て武器を持っています」
「了解だ」
正直、船舶の兵装は宝の持ち腐れだった。この艦艇には優秀な装備が満載されているというのに、イージスシステムの使い方が良く分からないのである。とりあえず船を進める事と止める事だけは出来そうだ。あと、スピーカーの使い方もわかった。
「みんな! 持ち場に着いたな。それでは出航するぞ」
そして俺は船の操作を始める。とりあえず船を進める事にした。
「ご主人様! 見事に動き出しました」
「オッケ」
するとギレザムから念話が繋がる。
《日が昇り始めました》
《了解》
そしてさらに船は沖に向かって進んでいくのだった。しばらく進んでいくと、ギレザムが再び伝えてくる。
《ラウル様。漁師が海に居ます。どうしますか?》
《わかった》
そして俺は船外スピーカーにつなげて、大きな声で伝え始める。
「領民に告ぐ! 我々の妨げになっている! 速やかに航路をあけて立ち去るのだ!」
これでどけてくれるだろう。
《ラウル様。民はどける気配がありません。というよりも、この船の速度についていけないようです。逃げたくても逃げられないかと》
えっ?
船は急に止まれないよ。俺は、もう一度マイクに向けて言葉を発する。
「ぶーつかるぞー! 舵をひけー! ぶーつかるぞー!」
《どうだ?》
《残念ながら、小舟を破壊しながら進んでおります》
遅かったか…
《甲板に用意してある浮き輪を湖に投げ込め。漁師たちがおぼれてしまう》
《は!》
ヤバいな。車両と違って急に止まる事は出来ないようだ。暴走したミサイル巡洋艦は漁師たちの小舟を破壊して突き進んでしまう。まあ仕方がない。
《そろそろ速度を落とさねばなりません》
《了解だ》
そして俺は船の出力を止めた。
《ラウル様。恐らくこのままでは岸に乗り上げます》
《ファントムに碇を降ろさせろ》
《は!》
するとしばらくして急激にガツンと船が止まった。碇が底に到達したのだろう。
「止まったな」
操舵室にはシャーミリアの他に、カトリーヌとルフラがいた。他は全て甲板に出ているはずだ。
「俺達も上に上がる」
「はい」
「は!」
そして俺が甲板に上がると、皆が周りを警戒するように武器を構えていた。船首にはマリアがTAC50スナイパーライフルを構えてスコープを覗き込んでおり、その後ろに護衛としてマキーナがいる。
「どうだマリア?」
「岸に残ってるのは…、恐らく漁師の妻や子供達ではないでしょうか? こちらの姿を確認して、蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまいました」
「オッケー。だとしばらくすれば、何か反応があるだろう。恐らくは都市ウルブスに向けて行ったんだと思う」
「はい」
そして俺の側にリュウインシオンとヘオジュエが来た。
「なんと申しますか…」
彼女は言葉を無くしてしまったようだ。この巨大な艦艇の事をきょろきょろと見渡している。
「拠点になるかなと思って召喚してみました」
「は、はは…、えっ? 思いつき?」
ヘオジュエは力が入らないようで、笑うしかない感じになっている。
「城ですね。一瞬で城を出したのですね」
リュウインシオンが興奮して言う。確かにその通りかもしれない。ミサイル巡洋艦は城くらいの大きさがあるかもしれなかった。
「艦艇を地面に召喚すると倒れるからね。いい感じの湖があって良かったよ。しかもこの湖はかなり深いらしいしね」
それはヘオジュエの情報で分かっていたのだった。
「まさか、こんなものを呼び出すとは。やはりあなたは神なのですね」
「リュウインシオン。俺は自分が神だっていう感覚は無いんだ。生粋の魔人じゃなく、君らと同じ人間の血も入っているからね」
「そうなのですね?」
「ああ」
とりあえず、仕掛けは用意したのであとは反応を待つだけだった。そして時計の針が、午前十時を回ろうかという頃。陸の向こうから何かがやって来た。
「何か来ます」
「やっときたか」
「騎兵ですね」
「想像通りだ」
「ただ、数が多いようです」
「どのくらいいそうだ?」
「恐らく…千は超えているかと思います」
「そんなにか」
「はい」
いきなり襲来した黒船に対応するには、それ相応の時間がかかるかと思っていたが、なんと敵軍は千人以上の部隊で走ってきたようだ。というより千の騎兵隊が常に出撃できるようにしてあるとは、何かに警戒していたと思って間違いないだろう。もしかすると、先に居た諜報部隊からの連絡が入っていたのかもしれない。
既に俺の目でも確認できるところまで来たようだ。だが俺達は武器を構えて、じっと待つことにする。するとヘオジュエが少し不安げに聞いてくる。
「大丈夫なのでしょうか?」
するとそれに答えたのは俺じゃなく、俺の秘書であるシャーミリアだった。
「千の騎兵など、私奴一人でなんとでもなる」
「一人で…」
ヘオジュエが唖然としているが、それは間違っていない。だから俺は否定をしなかった。というより銃火器を持ったシャーミリアを前に、千の騎兵が何分持ちこたえる事が出来るだろう。一方的な殺戮が行われるだけだ。
てか、船から大砲でズドンでかたがつくような気がする。
「とにかく、彼らと話をして情報を得たいね。まあこんな化物の船にいきなり攻撃を仕掛けてくる事も無いだろうし」
「そうでしょうな」
ヘオジュエも納得した。
対岸のだいぶ離れた所に、騎馬隊が止まってこちらの様子をうかがっているようだった。しばらくすると、十騎ほどの馬がこちらに走ってくるのが見えた。
「ヘオジュエ。あれ、なんだかわかる?」
俺はヘオジュエに双眼鏡を渡して、見るように言う。騎馬隊は何らかの旗を掲げているようだ。
「赤の生地に、狼の紋様…。恐らくはブエノ辺境伯軍です。ウルブスの領主の軍隊ですね」
「早速、正規軍が来てくれたのか」
「そのようです」
そして十の馬に乗った騎士が、岸辺にたどり着いてこちらを見ていた。とりあえず何かを仕掛けて来る様子はないようだが、馬を右に左に動かして船の全容を捉えようとしているらしい。
「じゃあ、話しかけるか」
そして俺はその場に、LRAD長距離音響発生装置を召喚するのだった。




