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第374話(相打ちの果てに)

光の粒となったレイの意識が戻ったとき、そこは再びコロッセオの箱の中だった。淡い光が収束し、体がゆっくりと形を取り戻していく。


迎えたのは、アルの穏やかな声だった。

(アナウンスが聞こえました。勝ったようですね)


レイは深く息を吸い、荒い呼吸を整えながら答えた。

「いや、相打ちだからさ……勝った気がしないよ」


(双方が致命傷でしたが、コロッセオのルールでは判定勝ちのようです。……盾が隣にありますよ)


視線をやると、レイの横にガレオの盾が置かれていた。戦いの最後に見たあの位置のままだ。

体を起こそうとした瞬間、全身がずしりと重く沈む。筋肉というより、内側から力が抜け落ちていく感覚だった。


「……体が鉛みたいだ」

思わず漏らすと、アルが応じた。


(魔力枯渇による全身の倦怠反応です。写し身での戦闘中に拡張していた魔力回路を、今は安全値まで収束させています。魔力供給を現実体と共有していましたから、神経と筋肉にも負荷が残っています。現在、ナノボットで筋肉信号と血流を調整していますが、魔力が自然に戻るまで完全には回復しません)


「なるほど……つまり、しばらくは動くなってことか」

(はい。ですが、立てないほどではありません)


レイは小さくうなずき、壁に手をついて立ち上がる。

足を踏み出すたび、膝から鈍い疲労がせり上がった。


箱の扉を押し開けて外に出ると、すぐ目の前にディナが待ち構えていた。

腕を組み、笑顔で言う。


「いやぁ、あんたすごいじゃないか!」

「いや、勝った気がしないです」


「そういや、相打ちになった時のルールは言ってなかったね」

ディナは片眉を上げて続けた。

「相打ちの場合、光の粒が最後まで残った方の勝ちなのさ。ガレオの光が消えるのが、ほんのちょっと早かったんだよ」


「そんなもんですかね」


「そうだよ。それに――あんた、もう盾を持ってきてるじゃないか!」

「いや、これは消える前に近くにあったみたいで……」


「ふーん。ま、勝ちは勝ちだ。とりあえず観客に応えてやんなよ」

ディナはコロッセオの観客席を指差した。


「ええっ、何すればいいんですか?」

「手を振って応えればいいんだよ。それとも大声で叫ぶ?」


「いや、いいです……」


レイは苦笑しながら、足を引きずるように観客席の見える場所まで歩いた。

足取りは重く、まるで地面が磁石のように引き留めてくる。

それでも前へ出ると、数えきれないほどの人々が立ち上がり、拍手と歓声が波のように押し寄せた。


「スゲェぞ、兄ちゃん!」

「賭けに負けた! 金返せー!」


歓声と野次が入り混じる中、レイは控えめに片手を上げて手を振った。

腕を上げるだけでも、まるで全身の血が逆流するような重さがあった。

それでも観客の声はさらに大きくなり、熱気の渦の中でレイは静かに息を吐く。


(……もう少しだけ、立っていよう)


そんなふうに思った。


やがて、アリーナの反対側から誰かが歩いてくるのが見えた。

通路の向こうに見えたその姿は、さっきまで戦っていた相手――ガレオだった。


レイは思わず身構える。

(まさか文句を言いに来るのか……?)


だが、ガレオはレイを見つけるなり、にかっと笑って歩み寄ってきた。

「おう、坊主! スゲェじゃねぇか!」


そう言うなり、がっしりと肩に腕を回し、豪快に叩いてくる。


「いやー、まさか負けるとは思わなかったぜ! しかも魔法まで使えるようになってるとは思わなかったぞ!」


肩を叩かれるたびに、レイの視界がわずかに揺れた。

反応する体力が残っていない。

(さっきまで斬り合ってたのに……この人、ほんとに切り替え早いな)


どう接していいかわからず戸惑いながらも、レイはふと思い出して頭を下げた。


「あの……以前、オークから助けていただいた時は、本当にありがとうございました」


「ん? ああ、あの時のことか」

ガレオは一瞬、懐かしそうに目を細めた。

「いや、坊主の家族を救えなくて、すまなかったな」


レイは静かに首を振る。

「いえ……あの時、助けてもらえなかったら、僕もここにいませんでした」


「そうか……」

ガレオは腕を組み、感慨深げにうなずくと、にやりと笑った。

「それにしても、どうやってこんなに強くなったんだ?」


レイは一瞬、言葉に詰まった。

(まさか“ナノボットで強化されました”なんて言えるわけがない……)


「えっと、小さい頃から木剣を振って練習してたんです。ずっと、です」


「ははっ、根性だな! やっぱり努力ってのは裏切らねぇ!」

ガレオは納得したように笑い、またレイの肩を叩いた。

反射的に踏ん張ろうとするも、全身の倦怠感がそれを許さなかった。


(……今は立ってるだけで精一杯だ)


そのとき、ディナがこちらへ歩いてきた。

「ガレオ、あんた“船と盾で勝負”って本当にそう言ったのかい?」

「おう、言ったぞ。勝ったら船に乗せてくれってな」


「いやいや、それ違うよ! 勝ったら“船をあんたのものにする”って話になってたんだよ!」

「はぁ!? それじゃ釣り合いが取れんだろ! 俺、船欲しくて戦ったわけじゃねぇぞ!?」


「やっぱりおかしいと思ったんだよ。ガレオがそう言ったって、ゲラルドが言ってきたからさ」

「ゲラルドに渡した紙をちゃんと見ろってんだ。『勝ったら船に三人乗せてくれ』って書いたぞ」


二人の言い争いを聞きながら、レイはようやく事情を察した。

どうやら、賭けの内容が食い違っていたらしい。


(……まぁ、船の倉庫を少し空ければ三人くらい乗せられるとは思うけど、勝手には言えないな)


とりあえず船長に確認を取ってからにしようと、レイは黙って見守ることにした。


やがて、周囲の箱が順に開き、仲間たちが次々と外へ出てきた。

セリアもフィオナも、笑顔でレイの方へ駆け寄ってくる。


「レイ君、すごかったわ!」

「やったな、レイ!」

「さすがアタシの弟子ニャ!」


皆の祝福を受けながら、レイは少し照れくさそうに笑った。

その笑顔の奥で、体の芯にこびりついた重さがまだ抜けきらなかった。

肩の上では、ガレオの大きな手がまた軽く叩いたが、もう反応する気力さえ残っていなかった。


ここからは後日談になる。


レイは、船の持ち主であるボルグルにも一通り事情を話したあと、イーサンに言伝を頼んで、ルーク船長へ「三人を追加で船に乗せたい」と伝えに行かせた。


その夜、昔助けた子供だったレイが、立派に成長して南方探索に現れ、ガレオと再会したことを祝う宴が開かれた。

酒の席では、ゲラルドの件も話題になった。結局のところ、あれは彼が単独で画策したことだと判明する。

凪の中でも進める船で祖国へ帰りたい。ただそれだけの願いが、暴走に繋がっていたらしい。


ゲラルド本人からの謝罪もあり、レイはそれを受け入れた。

「長く引っ張ってもろくなことにならないし、帰りたい気持ちは誰だって同じですから」

そう言って、この件はここで終わりとした。


ルーク船長にも確認を取ると、「三人程度なら乗せても問題ない」との返事が返ってきた。

ガレオたちは先行で王国や小国家連合まで戻り、船を調達して、この大陸に取り残された仲間を迎えに戻る“先遣隊”を務めたいのだという。

ならば、戻った後にボルグルの船を借りてカルタルを目指せば、座標も分かっているので順に帰還できるだろう…そう話はまとまった。


三人は王国で、こちらで手に入れた物資や魔石を換金し、船を集める計画を立てていた。

この大陸ではサンドワームやロックスコーピオン、巨大なオオトカゲの魔物が頻繁に出没し、その魔石が取れるのだが、魔道ランタンの燃料くらいにしか使い道がないため、価値は低いらしい。

魔石はランタンに収まるよう小さく削って使うのが一般的で、贅沢な使い方だと聞かされた。


レイたちはそこで、海で取った“ひかりイカ”の魔石と交換してもらうことにした。

そのおかげで、船のタービンは安定し、出港準備も順調に整っていった。


そして出港前日、レイは改めてガレオたちに「乗船は問題ない」と伝えた。

「賭けに負けたんだから、その資格は無い」と冗談めかすガレオに、

「ほぼ相打ちでしたし、痛み分けということで」とレイは苦笑した。


魔石の交換も終わり、食料の積み込みも完了。カルタルからの出港の日がやってきた。

同乗するのはガレオ、チアゴ、そしてディナの三人。

王国での船の調達や乗組員の手配を担うのに、この三人はうってつけだった。


ちなみに、賭けの配当も戻ってきた。

金貨一枚が五枚になって返ってきて、レイは思わず真っ青になる。


そんなこんなで、船は静かに港を離れた。

次の目的地は、海底神殿。

アルの話によれば、盾の共鳴を利用してその位置を探すらしい。


逆風をものともせず、船はゆっくりと舵を切り、神殿のある方角へと進んでいった。



第十二章 完

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

ブックマークや評価をいただけることが本当に励みになっています。

⭐︎でも⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎でも、率直な評価をして頂けると嬉しいです。


体調を崩し、しばらく闘病を続けながらの執筆となりました。

筆がゆっくりでも、物語の続きを紡ぐ意志は変わりません。

次章でまた皆さんにお会いできれば嬉しいです。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。



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