第372話(豪剣と流水)
レイは深く息を吸い、瞼を閉じた。体の芯から魔力を巡らせる。血管の奥を温かな流れが駆け巡り、鼓動とともに脈動していった。
(始めるよ、アル)
魔力循環の瞬間、記憶の底に沈んでいた控え室での会話がふと脳裏をよぎる。
***
控え室。試合開始を待つわずかな時間。
仲間たちへの調整はすでに終わっていた。一次的に身体能力を底上げする処置を行った。反動は頭痛と倦怠感で済む。安全マージンをとった強化だ。
だが、レイだけは違った。
視界の端に浮かぶアルのアバターが、レイの瞳を真っ直ぐ見つめる。
(レイ、写し身ではナノボットによる強化は働きません。ですので今から魔力循環そのものを底上げする処置を施します)
(つまり、魔力だけでナノボットの分も上乗せするってこと?)
(はい。今よりも更に魔力回路を拡張し、循環と出力を限界まで引き上げます。ただし効果時間は約十五分。カップに注いだ熱いお湯が冷めるくらいの時間です。それを超えると、筋肉も神経も耐えられません)
(反動は?)
(魔力切れと、強烈な疲労。最悪、動けなくなります)
少しの沈黙ののち、アルは問いかけた。
(……やりますか?)
悩む時間はなかった。レイは小さく息を吸い、頷いた。
(相手はAランクの冒険者なんだろ? いつもの半端な力じゃ勝てない。やるよ)
(分かりました。ただし魔力循環はここぞという時まで使わないでください。無駄にすれば、十五分も持ちません。それと、放出系の魔法は指先からだけに制限を。通常より魔力の消費が激しくなります)
「わかった」
***
そして現在。
レイは瞼を開いた。僅かに視界が澄み、音も光も鮮明に捉えられる。
目の前には剣を構えた男、ガレオ。流れるような剣筋で数え切れない魔物と人を救ってきた冒険者。幼い日の自分の命を救った、その人だ。
だからこそ、倒さなければならない相手でもある。
レイが魔力循環を始めた瞬間、体がわずかに揺らめいた。
空気が歪み、周囲の光が滲む。まるで熱の膜に包まれているようだ。
対するガレオも、静かに剣を構える。
二人の間に流れる空気が重く張り詰めた。
互いに間合いを探り合い、横に動きながら円を描くように回り込む。
砂を踏む音だけが、静寂の中に小さく響く。
どちらも、先に踏み込む気配を見せない。
わずかな動き一つで、勝敗が決まると分かっているからだ。
先に動いたのはガレオだった。
剣先をほんのわずかに上げ、相手の反応を誘うように一歩、間合いを詰める。
ドンッ!
レイの足元が爆ぜ、砂が跳ねた。
レイの姿が掻き消える。
一瞬で距離を詰め、閃光のように剣を振り抜く。
ギィンッ!
金属がぶつかる甲高い音。
ガレオは辛うじて受け流したものの、衝撃で腕が痺れ、半歩押し戻された。
(なんだ今の踏み込みは……速すぎる……まるで獣人じゃないか……!)
レイも息を詰める。
(……しまった、誘いに乗った! でも、身体が勝手に動いちゃった……)
砂埃が立ち、両者の間にわずかな間ができた。
レイはわずかに肩を上下させ、震える手を見下ろす。
その手には、力強さと同時に制御の危うさがはっきりと宿っていた。
ガレオは剣を構え直す。
口元にかすかな笑みを浮かべながら、相手の呼吸と足の向きを読む。
(確かに速いが、踏み込みからの動きは……素直だな。力任せだ。次は流せる)
ゆっくりと重心を落とし、砂を踏む音が静かに響いた。
観客席のざわめきが遠のき、二人の間に張り詰めた空気だけが残る。
砂を踏む音が響く。
瞬間、レイの姿が揺らいだ。
(来るっ!)
ガレオは反射的に身をひねり、斜めに剣を滑らせて受け流す。
だが、予想より速い。レイの剣が、剣を滑らせながら突きを狙ってくる。肩をかすめる衝撃が走る。
「くっ……!」
ガレオは剣を巻き込むように回転させ、レイの剣を地面に押し込む。レイの上半身ががら空きになる。咄嗟に剣を跳ね上げ、ガレオの剣を弾き返した。
ギィンッ! ガキィンッ!
金属がぶつかる音が甲高く響き、火花が散る。観客席のざわめきもそれに飲み込まれる。
ガレオは短く息を吐き、腕の痺れを感じる。
(こいつの速さと判断力……Aランクって言われてもおかしくねぇ)
一方のレイも、息を荒げながら肩を押さえる。
(ダメだ、力任せすぎて……もっと抑えないと。動きが直線的すぎて読まれてる)
何度か打ち合ううちに、ガレオは次第にレイの速さに目を慣らしていった。
受け流すというより、流れた力をそのまま剣に乗せる。
刃を引きながら体を回転させ、勢いのままレイに斬り上げを放つ。
(くっ……!)
斬り上げが見えた瞬間に、レイは地面を蹴り、前転して剣をかわした。
砂が舞い上がる。
(まずいな、相手が剣速に慣れてきてる。このままじゃ……)
ガレオの体が再び動いた。
斬り上げから流れるように横薙ぎ。間髪入れずに逆手へ切り替える。
その一連の動きに、無駄がなかった。まるで踊るようだ。
レイは反射的に防御を取るが、ガキィンッ!と音が弾け、腕に衝撃が走る。次の瞬間、視界の端に刃が閃いた。
(速い……!)
身をひねって避けたが、肩口をかすめた。
ヒュンッ!
切っ先が触れた部分が淡く光る。血は出ない。写し身の肉体が、傷の代わりに微細な光粒を散らした。
「レイっ!」
思わず叫んだのはセリアだった。
すぐそばでフィオナが息を呑み、サラが短く呟く。
「掠っただけニャ……」
リリーは目を細め、
「写し身でも、痛みはあるはず……無茶しないでよ」
と小さく言った。
「どうした? 足が止まってるぞ!」
ガレオの声に重なるように、再び鋭い一撃が来る。
レイは受け流すたびに押し込まれ、徐々に後退した。
攻めようとしても、次の手が見切られる。
(攻撃が読まれてる……踏み込みも、剣筋も、完全に見抜かれてる)
ギィンッ!
キィンッ!
剣戟の音が次々と重なり、砂煙の中で二人の影が交錯する。
(くそっ……制御しきれない。出力が荒れすぎて、リズムが掴めない……!)
剣を弾かれたレイは、一瞬よろめきながらも踏みとどまる。
だが、ガレオの追撃は止まらない。剣筋は常に滑らかで、流れるように次の構えへと繋がっていく。
構え直し、再び剣を合わせ、鍔迫り合いになる。
ガレオは両手を上に跳ね上げ、レイの剣をずらす。横に回り込み、上段から首筋へ向けて振り下ろしてきた。
レイは咄嗟にガレオの手首を掴み、打ち下ろしを防ぐ。
ガレオは手を振りほどこうと蹴りを入れ、二人は一瞬離れる。
(この人……本当に強い。剣の一振りに無駄がない。まるで、水の流れみたいだ……)
レイは息を整え、わずかに後退した。
(このままじゃ押し切られる。何か手を考えないと…)
砂塵の中で、二人の距離が静かに開いた。
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