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第335話(奉魚の匂い)

レイたちは森の洞窟を抜け、島の反対側にあるチャソリ村を目指していた。小道を進む足元では、落ち葉が乾いた音を立てる。枝が時折顔に触れ、手で軽く押しのけながら進んでいく。アイスケ村長も静かに後ろに続いていた。


「チャソリ村は海のすぐそばにあるのであろう? でも直接海に出られるわけではないのでは?」

前を歩いていたフィオナが尋ねる。


「その通りだ。村は海に面しているが、崖が高くて漁はできん。昔、縄を伝って降りたこともあるが、魚はほとんど捕れず、労力に見合わなかった」

アイスケが少し笑みを浮かべながら説明する。


「じゃあ、どうやって魚を獲っているの?」

セリアが首をかしげた。


「海と繋がっている池での漁が主だ。畑もあるが、塩害のせいで育ちはよくない。だからピポピ村とは農産物と魚を交換して生計を立てている」

村長の言葉に、セリアはうなずいた。


「ただ年々漁獲量が減っていてな。昔のような大きな魚も獲れなくなり、奉納する魚を揃えるのに苦労している」

村長は足元の枝を踏みしめながら、声を落とした。


「奉納する魚?」

フィオナが首をかしげる。


「年に二度、神に感謝を示すために大きな魚を捧げる習わしがあるのだ。だがこの十年ほどで魚が小さくなり、村人たちも頭を抱えている」


「海か洞窟に異変があるのかもしれないな……」

レイが小さくつぶやく。


「そうかもしれん。池は海と繋がってはいるが流れが弱く、魚が入りにくくなっているのかもしれん。いずれにしても、我らだけではどうにもならぬ問題だ」

村長は重い息をついた。


村に着いた一行が村長宅に近づくと、玄関先に小さな影が横たわっているのが目に入った。


「……誰か倒れている!」

セリアが駆け足になり、レイたちも慌てて駆け寄ると、そこにはまだ幼い少女が倒れていた。頬はこけ、唇はかすかに震えている。


「ユキノ! なぜこんなところに。重い病だというのに……ユウキはどうしたんだ?」

アイスケ村長の声は驚きと焦りに震えていた。


ユキノはうっすら目を開けたが、声にならない吐息しか出ない。


リリーがすぐに膝をつき、顔色や呼吸を確かめる。

「……かなり危険な状態よ。すぐに暖かいところに運んで!」


「分かった」

レイはためらわず少女を抱き上げた。軽すぎる体に思わず眉をひそめる。


「こちらへ!」

村長が急いで自宅へと案内した。


家に入ると、レイはアルに診断を依頼する。

(アル、どうだ?)


(診断しました。重度の栄養失調と貧血です。臓器は大丈夫ですが、栄養が極端に不足しています。応急処置で貧血は改善できますが、継続的な栄養補給が必要です)


リリーは村長に「お湯を沸かして」と頼み、バックパックから赤クローバーの葉、グリーンリーフ、人参の根を少量取り出した。すり鉢で手早く潰すと、濃い色が混ざり合っていく。お湯が沸く間も待たず鍋に放り込み、弱火でかき混ぜた。赤みを帯びた緑色が広がり、湯気と共に室内に熱が満ちる。


出来上がったスープを器にすくい取り、リリーは少女のもとへ駆け寄った。

「これを少しずつ飲んで。薬草入りの栄養スープよ。体を温めながら栄養も補えるわ」


ユキノが口に含むと、アルがレイに話しかける。

(さすがリリーさんですね。栄養補給と貧血改善に効果的です。ただし、効果を維持するにはやはり継続的な補給が必要です)


(やっぱり、漁獲量の減少が根本にあるのか……)

レイが小さくつぶやく。


(はい。洞窟で多少は補えますが、二つの村の人々は痩せ細っており、根本的な改善が必要です)


(奉魚が盗まれたのも、この辺りに原因がありそうだな……)


(匂いを追ってみますか?)


(そうだね。ここはリリーさんに任せよう)


レイは村長に生け簀の場所を尋ねた。

「生け簀は数が多くて、どれに奉魚を入れたか分からん。暗い道もあるし、一緒に行こう」


そこへサラが元気よく加わった。

「少年、私も行くニャ! ここに居ても役に立たニャいからな」


こうしてレイ、村長、サラの三人で生け簀へ向かうことになった。残りの面々は村長宅で待機し、フィオナやセリアは手持ちの素材で消化の良い食事を作ることにした。倒れていた少女の世話をしたい気持ちが、自然とその行動につながっていた。


三人は冷たい夜風を受けながら、村長の灯りを頼りに通りを進む。やがて「海池」と呼ばれる池が見えてきた。周囲には村人が作った生け簀がいくつも並んでいる。


「ここだ。奉魚はこの生け簀に入れていたんだ」

村長が指差した。


サラは生け簀の周りで匂いを嗅ぐ。

「よく分からニャいが、魚の匂いが強いのはこっちニャ!」


レイは一瞬任せようと思ったが、自分から言い出したことだと気づき直す。

(アル、嗅覚強化をお願い。ゆっくり強化していってね)

(了解です)


磯の匂いが濃くなり、レイは方向を掴んだ。サラの示した方と一致している。


二人が進むと匂いが二手に分かれる。

「サラさん、こっちからも匂いしませんか?」

「ニャ? なんで分かるんだニャ! こっちも魚の匂いが続いてるニャ」


微かな匂いの方へ進むと、一軒の小屋が見えた。

「ここは、ユウキとユキノの家じゃないか……」

村長は顔をしかめる。


レイは小屋の向こうを指差した。

「こっちの小屋は可能性があるかもって程度ですが、本命はあっちですね」


サラも頷く。どうやら魚を運んだ犯人はその方向へ向かったらしい。


進んだ先には古びた倉庫があった。新しい小屋が建ったことで、今は使われず古い漁具だけが残っている。鍵は村長が管理しており、普段は人も近寄らない。


村長は眉を寄せた。

「なんでこんなところに……?」


「鍵を取ってくる、少し待ってくれ!」

そう叫ぶと家へ駆けていき、息を切らしながら戻ってきた。手にした鍵で扉を開ける。


倉庫の中に入って、まず囲炉裏が据えられているのに驚いた。寒い時期に暖を取れるよう改造され、その中には食い散らかされた魚の頭や骨が、燃えかすと一緒に残されていた。


もはや倉庫とは思えない有様だった。

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