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第331話(消えた奉魚)

チャソリ村。


チャソリ村は、第二の島の台地に位置する小さな村だ。

島の周囲は切り立った崖で囲まれており、この島への上陸は容易ではない。島には二つの村があり、農作物や狩りで生活を支えるピポピ村と、もう一つが漁業を中心とするチャソリ村である。


チャソリ村には地下の洞窟とつながる池があり、その池の魚を獲ることが村の漁業の中心だった。一部の農作物も育ててはいるが、食料の多くはピポピ村との交換でまかなっている。魚の獲れる量は季節によって大きく変わり、とくに冬は貴重なものだった。


冬の冷たい風が村を吹き抜ける中、ユウキは小屋の中で妹のユキノを見下ろしていた。

病床に伏せるユキノは顔色が悪く、体を布団で包んでも寒さが染み込むかのようだった。


「どうしよう、何か良い手はないか……」

ユウキは頭を抱え、静かな小屋の中で独り言を漏らした。


もし手に入れば、妹の体を温め、血を補うことができる。

その魚――ヴァルミラハタ。奉魚として村で尊ばれ、特に冬に手に入るのは奇跡に近い。年に数回しか獲れず、順番を待つ人も多い。


骨から取れる出汁は滋養強壮に優れ、食べれば弱った体を立て直せると言われていた。


しかし、今年、自分の番が回ってくるかどうかもわからない。弱っていく妹のことを思うと、ユウキはどうにかならないかと考えずにはいられなかった。


そのとき、扉が勢いよく開いた。


「やあ、ユウキ」

村長の息子、フウガンが現れた。顔には不敵な笑みが浮かぶ。


先日、フウガンは海池で入ってきたブラッディハタモドキを奉魚のヴァルミラハタと勘違いし、村長から「ユウキを見習え」と怒られたばかりだった。

その悔しさを胸に、面白くない気持ちを抱えたフウガンは、ユウキが妹の病気で悩んでいることを知ると、挑発するように言った。


「このままだと、ユキノは死んでしまうぞ。魚を獲って食べさせないと」


そう言うと、フウガンは笑いながら去り際に告げた。

「生け簀に魚を入れておいてやる。あとは自分で考えろ」


ユウキは言葉もなく、その背中を見送った。

心の奥で葛藤が渦巻く。

村の誰に話しても、チャソリ村の食糧事情は厳しい。

ついこの間も、隣村ピポピ村との交渉で魚と農産物の交換比率を見直したばかりだった。


しかし、妹の病状を目の当たりにすると、迷いは消えた。

ユウキは覚悟を決めた。


「……ヴァルミラハタを食べさせるしかない。これしか、ユキノを助ける方法はない」


震える手で布団を直し、ユキノの額にそっと手を置く。

凍てつく冬の村で、兄の覚悟が小さくも強く燃え上がった。


ユウキは小屋を出ると、村の通りを足早に進んだ。

風が顔を刺すように冷たいが、妹の命を思えば、その冷たさなど気にならなかった。


生け簀にたどり着くと、そこには大きくて艶のあるヴァルミラハタが泳いでいた。

水面に映る月明かりが、魚の銀色の鱗をきらりと光らせる。


「……ユキノ、待っててくれ」

ユウキは小さくつぶやき、手袋をはめた手で網を静かに差し入れる。


魚は悠々と泳ぎ、簡単には捕まらない。

しかしユウキは動揺せず、呼吸を整え、慎重に一尾を選んで網ですくい上げた。


「これで……大丈夫、だよな」

冬の夜の冷たい空気の中、手にしたその一尾は、小さくも確かな希望となった。


フウガンは少し離れた場所から冷ややかに見下ろす。


「やりやがったぜ、あいつ!」

フウガンはにやりと笑うと、取り巻きの連中を呼び寄せ、網を手に魚を一網打尽にした。


「これで明日は大騒ぎだな」

フウガンたちは獲った魚を抱え、いつも屯している小屋へと足早に向かう。


小屋の中は暖かく、火の傍に座ったフウガンと取り巻きたちは、残った魚を手早く焼き、豪快に口へ運んだ。


「なぁフウガン、こんなことして大丈夫なのか?」

一人が心配そうに声を上げる。


「ふん、大丈夫だよ」

フウガンは肩をすくめて笑った。

「ちゃんと犯人は用意してあるんだ。魚を盗まれたって誰も疑わない」


取り巻きたちは安心したように頷き、笑い声が小屋の中に響いた。

外の寒さとは裏腹に、フウガンたちの小さな悪事は温かな火の中で進行していった。


一方、ユウキは小屋に戻ると、獲ってきたヴァルミラハタを丁寧に鍋に入れ、弱火でゆっくりと煮始めた。

骨から立ち上る温かい香りが、小屋の中に広がる。


「ユキノ、食べられるぞ」

ユウキはスープを器に注ぎ、病床の妹の前にそっと差し出した。


ユキノは目をぱちりと開け、不思議そうに訊ねる。

「お兄ちゃん、この魚はどうしたの?」


ユウキは微笑みながら答えた。

「お前は心配しなくていい。それを食べて元気になるんだぞ」


器を手に取ったユキノは、熱さを確かめるように口に含む。

「温かい……」


ゆっくりとスープを飲み干すと、ユキノは安心したように布団に身を沈め、また静かに眠りについた。


鍋の中のスープは、小さな希望の光のように、冬の寒さを包み込んでいた。

ユウキはそっと妹の額に手を置き、静かに息をつく。

「これで……大丈夫だな」


翌朝、村はざわめいていた。生け簀を覗いた村人たちの声が、通りに響く。

「おい、奉魚が居ないぞ!」

「誰か、村長を呼んでこい!」


アイスケ村長は広場に出て、生け簀を覗き込んだ。魚が一尾もいない。


村人たちのざわめきが一気に大きくなる中、彼は背筋を伸ばし、村人の前で犯人を突き止めるよう指示を出した。

冬の冷たい風が通りを吹き抜け、村は緊張に包まれたのだった。

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