第165話(昨夜の余韻)
気まずかった昨晩が明けると、宿の空気はゆっくりと柔らかさを取り戻していた。
セリアが部屋に戻ってきたとき、リリーがすぐに近寄ってくる。
「セリア、昨日は私が言い過ぎたわ。ごめんね」
その声はためらいがなく、だけど少しだけ肩に力が入っている。
セリアは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに息を整えて微笑んだ。
「リリ姉、私こそごめんなさい。余裕なくて、つい強く言っちゃったの」
そのやり取りを見ていたサラが、気まずそうに尻尾をゆらしながら口を開く。
「ニャ、セリア。私も、なんかよく分からないのに言っちゃったニャ。ごめんニャさい」
セリアはサラに向き直り、そっと笑った。
「サラも気にしないで。誰だって判断つかないときはあるし、私も同じだったから。ぶつかるのは悪いことじゃないと思うわ」
三人は名前を呼び合って、いつもの距離感を取り戻していく。
昨夜のモヤモヤが溶けるように薄れていき、胸の奥に温かさが広がった。
やがて朝食の時間になり、全員が食堂に集まった。
レイは、昨日の自分の行動を思い返して小さくため息をつきつつ、話題を切り替えようと口を開いた。
「工房に頼んでた馬車、出来上がってから王都に向かうのって、まずいですかね?」
リリーがパンをちぎりながら答える。
「一から作るなら、二〜三週間はかかるでしょうね。私がセリンに来た時もそんなものだったわ」
フィオナも補足するように軽く頷いた。
「素材にもよるが、もっとかかるのではないか?」
レイは肩を落とした。
「工房の人たち、どんな馬車にするかで盛り上がっちゃって、完成予定の話を切り出す隙がなかったんですよね」
「でも出来上がったら、赤レンガ亭に連絡が来るんでしょ?」
セリアが確認する。
「はい。でも、王都に行く前に寄り道とか出来ないのかなって思ってて」
リリーが目を上げる。
「そういうの、分かるわ。ファルコナーでも実家探ししてたものね」
レイは少し気恥ずかしそうに頷いた。
「もちろん、急げって言われてるのは分かってます。でも、せっかく旅してるので……」
そこでフィオナが口を挟む。
「ルートは三つある。どれを選ぶかは自由でいいと思うぞ」
レイは素直に驚いた顔をした。
「三つ?」
フィオナは落ち着いた声で説明する。
「一つ目は、大街道でグリムホルトを経由して行く道。途中で川を渡るが、一つは大きな橋がある。もう一つは橋が無く、船を使う。増水すると数日動けなくなる可能性がある」
「なるほど。リスクはそこですね」
「二つ目は、グリムホルトからミストリア、エルトニアを通るルートだ。川を避けるが距離は伸びる」
レイはフィオナを見た。
「ミストリアって、フィオナさんのお母さんがいる場所ですよね?寄らなくていいんですか?」
フィオナは口元に少しだけ苦笑を浮かべる。
「まあ……帰りで良い」
「三つ目は、ファルコナーから船で行く方法ね」
リリーが言葉を引き取った。
「私は乗ったことないから日数は分からないけど、確認さえすれば馬車ごと船に乗せられるはずよ」
レイがうなずいた瞬間、フィオナがからかうように言った。
「レイ殿、今日はやけに饒舌だな」
「ギクッ!」
レイが素で声を出してしまい、テーブルに沈む。
それを見たリリーが吹き出した。
「『ギクッ』って言う人、初めて見たわ……いや、聞いたわ!」
リリーが笑うと、セリアが横目でちらっとレイを見て小さく笑う。
「レイの気持ちも分かるけどね。私も、行き方くらいは選んでいいと思ってたのよ」
その一言でレイの肩から力が抜けた。
そして、最後にフィオナがさらりと爆弾を落とす。
「昨日の厩舎での件は、特別待遇に加算しておいたから気にしなくていいぞ」
「えっ」
「ちょ、フィオナさん!」
レイとセリアは同時に真っ赤になり、目を合わせる余裕すらなくなる。
朝の空気はすっかり和んでいた。
気まずさはもうどこにもなく、むしろ以前よりも距離が縮まったように感じられた。
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