27. 窮鼠の反撃
空気が揺れた。
今や宣誓式を見守る者の中で動揺していない者は誰ひとりとしていなかった。
ざわめきの中には叫び声さえ混じっている。私も今しがた聞いた宣誓が信じられず呆然としていた。
「嘘だ!」
突然、ひと際大きな声が響き渡った。
「オルド……」
どうやってここまで入り込んだのか、参列者の中声を上げたのは間違いなくオルドだった。
王族達の中に紛れ込んでいたらしい。ここよりもかなり離れてたところにその姿はあった。
ちょうど顔の横側を隠せるような意匠の帽子を被っていたため、あの特徴的な火傷の痕は見えない。
けれどたった少しの邂逅であれ、あれだけ衝撃的な体験の中で刷り込まれた声は間違えようがなかった。
回りを探してみたが、見つけられなかったのか実際にいないのか、ノード様の姿は見えない。
オルドのまわりの人垣が割れる。近くにいた他の王族達はすぐさま保護され、オルドは兵士達に囲まれたが、彼はそれを気にする事もなく叫んだ。
「なんという罰当たりな事を!騙されるな、これはナセル王の偽りだ!」
「嘘じゃありません!アズルムの神は皆、天の園に還りました。あたしは何の力もない、ただの人間です!」
大声で叫ぶオルドに、アラム様も声を枯らして叫び返す。
混乱している者がほとんどだろうが、不思議なほど場は静まり返り、叫ぶ二人の声が響く。
それを聞きながらも、私は未だに状況を吞み込む事に必死だった。
アラム様は自身を神ではなく人間だと宣誓した。神でないアラム様では陛下の正妃にはなりえない。だからこそ、彼女は法王に跪いたのだ。神ではなく、元々の彼女の身分である平民だと示すために。
アラム様の宣誓に陛下は驚いてはいない。
きっと宣誓自体は嘘偽り無くアラム様の意志だった。けれどそこに陛下の意図が絡んでいた事も間違いではない。
それが何を、意味するのか。
「何をおっしゃいます!その太陽の瞳こそが神たる証!ナセル王に偽りを言うよう強要されたのでしょう。必ず救ってみせますから、本当の事を言ってください!」
「嘘なんて言ってない!あたしは人間だっ!」
なりふり構わず、本来の姿で彼女は叫ぶ。
それを受けてもなお、オルドの態度は変わらない。彼女本人にいくら否定されようとも、アラム様を神だと言い続ける。
オルド達にとってはどうでも良いのだ。
アラム様がどのような人で、どのような意志をもっていようとも、彼らにとって大切なのは太陽の瞳がある事。ただそれだけ。
だが、それはおかしい事ではないのだろうか。
アズルムの始祖が何故そもそも人々に“神”として崇められたのか。それは、太陽の瞳をもっていたからではなかったはずだ。
「——神とは」
多くの人々がいる広い空間なのに、あっけないほど簡単に声が響いた。
それが自分の口から出ている事に半ば呆然としながらも、気付けば私は口を開いていた。
「あなたにとっての神とは、ただ太陽の瞳を持っていれば良いのですか?」
突然発言した私に聖堂中の視線が集まる。
不思議と恐怖はなかった。
「アズルム神の始祖。彼の方は太陽の瞳を持っていたから神とされたのでしょうか。ただ瞳だけを崇められてきたのでしょうか。——いいえ、違うはずです。彼の方が神とされたのは、多くの人を救い、導いたから。その偉業を成し遂げたその方が、たまたま太陽の瞳とされる特徴的な瞳を持っていたというだけ。太陽の瞳とはただそれだけのものであったはずです」
ただ太陽の瞳を持っていただけでは過去の人々は彼の人を崇めることなどなかったはずだ。彼が偉業を成し遂げたからこそ、人々は彼を神と崇めた。
けれど優秀な人の子が優秀な者であるとは限らないように、偉人の子孫も偉人とは限らない。ずっとその偉業を受け継いでいくのはあまりにも難しい。
それを思えば、この結末は必然であったのかもしれない。
「アラム様に始祖の偉業を成し遂げられるほどの特別な力はありません。彼女は優しくて強い、けれど14歳の普通の少女です」
アズルムの始祖が本当に神であったのかなんて知らない。
分かるのは時が経ち始祖の偉業は過去のものとなった事だ。
そして神という選民意識のもとに一度は大陸全土を統一した国も崩れバラバラになり、ついに多くにとっての“害”となった。
それでも“神”を信仰する人はいたし、今でも存在している。
けれどこの大陸の大多数にとって不要であり害だった。
陛下は、その害となった神をほんの少しも残すつもりはなかったのだろう。
だからこそアラム様を正妃にし、その血をもってアズルムを神ごと併呑するのではなく、宣誓させる事で未来に至るまで完全に滅ぼす事にしたのだ。
「その通り」
もうひとつ、私とは別の声が響いた。
声を辿れば、いつの間にかマキアがアラム様の隣に並び立っていた。
「神はもういらっしゃいません。この娘は神ではない」
はっきりと否定した彼女に一斉に視線が注がれる。
それに全く動揺する事もなく、マキアは言った。
「神の狗と呼ばれた第一の信徒たるルトの名において、アズルムの神は皆天の園にお帰りになった事を宣言いたします」
言い放つと同時に、マキアは無造作に首元のリボンを引き抜く。
そして露になった白い鎖骨の真ん中には、鳥の形をした刺青——ルト一族の紋章があった。
「騙されるな!その女は裏切り者だ!ルト家当主である私が宣言する。その女はもはやルトの者ではない!」
人々の声がさらに高くなる中、オルドの声一際大きく響く。
恐ろしい形相で睨まれてもマキアは眉ひとつ動かす事はなく、冷ややかにオルドを見た。
「あなたがルトの者だと言うのなら、その証拠に私と同じ刺青があるはずです。それを見せてください」
「……っ」
見せられるわけがない。
オルドの紋章はすでに火傷の痕に消えている。この場には見当たらないがノード様も同様だ。生き残った神の狗が3人だとしたら、紋章が残っているのはマキアだけという事になる。
ギリ、と歯が軋む音が聞こえた気がした。
「見せられないのなら、あなたが神の狗だという証拠はありません。私の宣言を覆すことは不可能です」
ルト一族が第一の信徒というのは誇称ではなく言葉のままの事実である。
アラム様という本人の宣誓に加え、ルト一族までもが宣言したとなればその威力は絶大だろう。国際的な意味合いはもちろんの事、未だにいる信徒の中にさえおそらく影響を与える。
憤怒の形相でオルドが怒鳴った。
「ルトと名乗るのなら、何故神を殺した者の側にいる!お前こそ神を取り戻し、再びアズルムを取り戻すべく行動するべきだろう!」
「この娘は神ではありません。ただ瞳が似ているだけで何もできないこの娘と猊下を同列にするなど、それこそ我らが神への冒涜です。偽物の神を掲げることなど、決して許せることではない!!」
マキアは声を荒げ、叩きつけるように言った。
今までの淡々としていた様子からは想像もつかない剣幕に、思わず息を飲んだ。聖堂も一気に静まり返っている。
ルト一族であるマキアが何故アラム様の側に控え彼女を守っていたのか。
ずっと疑問だったが、彼女の今の叫びこそがきっと答えなのだろう。
マキアが本当の意味で信仰していたのは、きっとアズルムの神ではなく彼女が仕えていたという“猊下”だったのだ。
彼女が最も信仰している猊下が死んだのに、アラム様が“神”として生きている。
きっとそれが、マキアにとっては耐え難いことだった。
だからこそ彼女は陛下に協力し、待っていたのだ。“神”としてのアラム様を殺す機会を、ずっと。
そしてその時は、ついにやってきた。
「……」
二人の神の狗は無言で睨み合っている。
だが不意に静まり返った聖堂に、はあ、とため息の音がした。
「……恐れ入ったよ、ナセル王。これが貴様の企んでいた事か」
思いがけず冷静なオルドの声が響いた。
つられるように視線をやれば、彼は先ほどまでの怒気を消し、どこか諦めたような苦笑を浮かべていた。
「以前、とある者が言っていた通りだな。一度は大陸を支配した我らも滅亡の一途を辿り、今やこのような有様だ。信徒は減り、かつての栄光も見る影もない」
とある者とは私のことだろう。その証拠のようにちらりとオルドの視線がこちらを向き、心臓が跳ねた。
しかしすぐに壇上に立つ陛下へと向く。
「終いにはこのような裏切り者まで出る始末。窮鼠とはまさに我らのような者のことを言うのだろう。——だが」
その瞬間、諦めたような笑みは一変し、抜け落ちたような無表情へと変わった。
「ただでは屈しぬ」
袖の中に隠していたのだろう。言い終わるとともに、オルドは短剣を手に構えた。
オルドを囲っていた兵士達が一斉に剣を抜き、飛びかかろうとしたその瞬間——
カ———————ン
——唐突に、大きな音が鳴り響いた。
「!?」
その音は聖堂中に反響し、耳を覆わずにはいられないほどに反響し響き渡った。
あまりの大音量に頭の中が一瞬真っ白になり、反射的に耳を塞いで目を閉じる。
混乱しきった頭を整理するのにかかったのは、おそらくほんの数秒だったと思う。
今朝と比べてだいぶ大きいが、鳴っているのが鐘の音だとようやく理解し、目を開けた頃には、事態は一変していた。
「……まさか」
思わず声が漏れる。
けれど目の前の光景に誰もが唖然と目を奪われているこの中で、私の呟きを気にする者などいないだろう。
国や身分など関係ない。従者や神官や兵士、中には他国の王族までもがどこからか武器を取り出し、己の主や近くにいた者に刃を向けていた。 向けられた者は信じられないというように目を見開き、信頼していたはずの者を見ている。
幸い私は刃を向けられることはなくいつの間にか兵士がそばに来て護衛にまわってくれたが、我が身ばかりが安全になっても安心は全くできない。
オルドを囲っていたはずの兵士達は倒され、あるいはその兵士の中にすら裏切り者がいたようで、仲間であったはずの者を足蹴にしている。
オルドは倒した者から奪ったのか、先ほどの短剣ではなく長剣を手に、倒れた兵士達の中心で満足そうに笑っていた。
「かつて我が神は大陸全てを支配していた。確かに数は少なくなったが、我らの最大の強みはどこにでも信徒が存在しうると言う点だ。ちょうど、このようにな」
数で言うのなら、アズルムの信徒はそれほど多くない。圧倒的にこちらの方が多いが、その刃を向けている先が問題だった。
今、ここには各国の重要人物ばかりがいる。無理に抑え彼らが害されてしまえば、どのような問題が起こってしまうのか想像するのも恐ろしい。
だというのに、続けてオルドから放たれた言葉に背筋が震えた。
「我らの仲間がいるのはここだけではない。この城にいる侍女や侍従、外にいる民衆の中にも、仲間達は紛れている。今の鐘の音を合図に行動を開始していることだろう。中には未だに潜み機をうかがっている者もいる。さて、あなた方の隣にいる者は、本当に信用できるのかな?」




