26. 宣誓式
澄み渡った青い空に、高らかに鐘の音が鳴り響く。
慶事を民に知らせるその音は日が昇って早々から打ち鳴らされている。今頃城だけでなく城下の街も賑わっている事だろう。
数日前から始まった会議はつつがなく終わり、周囲の不安を裏切って何の問題もなく宣誓式の日となった。
城内は忙しげながらもどこか厳かな空気が漂い、誰もが表情を引き締めている。ただ見ているだけの立場であっても身が引き締まる思いだ。
私も朝早くから身支度に追われている。
一応身重なので体調を気遣われつつもシェディルを含め何人もの侍女に代わる代わる構われ、薄暗い早朝から始めていたはずが終わる頃にはすっかり太陽が昇っていた。
「お支度終わりました。お綺麗ですよ、セーレ様」
「ありがとう」
式も始まっていないのにぐったりしているのは仕方がないという事にしておいてほしい。
補正具がない分いつもより大分楽なはずだが、これからの事を思えば精神的消耗も激しかったのだ。
鏡の中の私は青いドレスを身に纏い、化粧のためかいつもより華やかな顔をしている。だが、その表情は自分でも分かるほど強ばっていた。
ついに、この日が来てしまった。
悲しいのか、嬉しいのか、憂鬱なのか、興奮しているのか。今胸に渦巻くこの気持ちは複雑で、一言では表現できそうにない。
ただひとつはっきり思うのは、宣誓式を見届けようという事だけだ。
辛い事であろうとも、それはきっと、前へ進むために必要な事だから。
短く息を吐き、立ち上がった。
宣誓式が行われる聖堂には多くの人が集っていた。各国の王族及び高官など、視界に入る事さえ恐ろしい面々だ。それらの人々が広い聖堂とは言え一室にひしめいているのはいっそ圧巻とも言える。王族達だけでなく一緒に来たのであろう従者達もその背には控えている。従者などであってもこの場に居るということは高位の貴族なのだろう。随分きらびやかで近付き難い雰囲気があった。
幸い場所は離れているので遠巻きにそれを眺め、広間の隅で式が始まるのを待っていた。
夜会のように気軽におしゃべりなど楽しめるような空気ではなく、朝から鳴り続ける鐘の音を背に衣擦れのような囁き声が微かに響いている。いつにない雰囲気に飲まれそうだ。
落ち着かない気分で無礼にならない程度に辺りを見ていると、ふと、その中に密かに探していた姿を見つけた。
「おと——……」
場もわきまえずに声を上げかけ、咄嗟に口を噤んだ。辺りを見回すが、幸い鐘の音に紛れ気付いた人はいなかったようだ。
数週間ぶりに見る父は少しやつれているように見えた。それが連日の会議と宣誓式の準備のための忙しさからか、それとも諸々に対する心労からかは分からない。
ひとまずは宰相としての地位は健在のようで、壇上近くに立ち指示を出していた。その傍らには義兄の姿もあったが、あちらは事情を知っているのか知らないのか、いつもと変わらないように思える。
近くへ行って話をしたいが、仕事の邪魔をするわけにはいかない。無事な姿を見られただけでも幸いだろう。歯がゆい思いをしつつも踏み出しそうになる足をこらえた。
再び広間を見回したが、ディアレの姿だけはやはり見つける事ができなかった。
いつもは華々しく人々の前に立つ義姉の姿がない。今は沙汰を待つ身ではあるけれど、どうなるにしろ、おそらく今後も出てくる可能性は低いのだろう。自室にいるであろう義姉に思いを馳せ、目を伏せた。
カ—————ン
不意に、ずっと鳴り続けていた鐘が思考を打ち消すようにひと際大きく鳴らされた。
城中に反響し鳴り響くその音はうるさいくらいだ。だが3回大きくならされた後、朝から鳴り続けていた鐘の音は僅かな残響だけを残して消えていった。
静寂が訪れる。
この静寂が、始まりの合図だ。
自然と誰もが息を詰め、居住まいを正す。
そして、自らの吐息さえ聞こえてきそうな空気の中、まずは法王が現れた。
髪が白く染まった老齢の男だ。青を基調に銀糸で刺繍をほどこされた豪奢な服を身に纏い、手には銀の杖を持っている。その頭に被っているのは服と同じ色合いの頭巾のような形をした冠だ。
カツン、カツン、と歩くごとに杖が小さな音をたてる。法王が前へ進むのに合わせ、波のように隅に控えている神官達は跪き、国を問わず貴族達や王族達が頭を下げていく。私も同様に頭を下げた。恭順ではなく、あくまで敬意を示すためだ。
法王は壇上に辿りつくと祭壇に向い深く頭を下げた。
輝く太陽とたわわに実った麦。祭壇にはその二つを現した金の像が祀られている。
太陽は天、麦は地。カラハ教は天の神を父、地の神を母とみたて、人を神の子と称した二神教だ。
現人神を信仰するアズルム教に対し、カラハ教は自然信仰に近い。
あまり似たところのないと思える二つの宗教だが、ふと金色に光るあのカラハ教の象徴はアズルム教にも似通ったところがある事に気がついた。
太陽の瞳称される金の目と、アラム様の衣装にある金糸の刺繍。
太陽はそのままだが、刺繍で描かれたあの『いなほ』という植物は麦によく似ている。不思議な事もあるものだと思ったが、新たな宗教を馴染みやすくするためにわざと似せたのかもしれないと思うと納得できる気がした。
法王はひとしきり頭を下げ無言の祈りを終えると、ゆっくりとこちらを振り返る。
それを合図としたように、力強い足音が響いた。
頭には王冠、手には王杖を持ち、豪奢なマントを纏い、腰には儀式用の剣を佩いている。
振り返った先には、大陸中の注目を浴びながらも怯む事のない堂々とした姿があった。
「………」
——陛下。
この静寂の中、声をあげるわけにはいかない。けれど唇がこの言葉の形をとることを堪える事はできなかった。
悲しいのか嬉しいのか分からない。心臓を掴まれたような、そんな心地だ。
陛下のお姿を見るのはいつぶりだろう。ずっと会いたくて、でも会う事が怖かった。
会えばその目に私への失望を見つけてしまうかもしれない。そう思うと会えない事に安堵さえしてしまう日々だった。
けれど実際その姿を見てしまえば、そんな心配など思い返す間もなかった。
ただ、目を逸らす事できない。
思わず食い入るように見つめていると、側を通り過ぎる寸前、一瞬目があった気がした。
痛いほど心臓が跳ね上がる。けれど瞬きの後には壇上に視線をむける陛下の横顔が見えるばかりで、それも前を通り過ぎれば後ろ姿しか見えなくなってしまった。
今のは本当だったのか、それとも私の願望が見せた白昼夢だったのか。
思案している間に陛下は壇上へと辿りつき、法王と同じように祭壇へ頭を下げる。
しばらくの無言の祈りの後に、法王と並び立ちこちらを振り返った。
シャンシャンシャンシャン
今や耳に馴染みつつある音が響いた。
静寂の中、染み入るようにその音は響き、だんだんと音の大きさを増していく。
この場にいる全員がその音に導かれるように聖堂の入り口を振り返った頃、痩せた少女が姿を現した。
アラム様は、好奇心や探る目、中には悪意さえ感じる視線の中、僅かに顔を強ばらせながらもしっかりとした足取りで進み始めた。
いまやアラム様の象徴となっている白い貫頭衣に白いベールを付けているのに変わりはないが、今日はそれらに加え麦で編まれた冠を被っていた。花冠は見た事があるが、麦で作られているものなど見るのは初めてだ。
華やかさはないが不思議と神聖さが感じられる。神というよりはそれを崇め奉る巫女のようで、各国の代表達も今回の主役に自然と目を奪われていた。
そのアラム様の後ろには、影のようにマキアが付き従っていた。アラム様に合わせたのか、白いドレスを着ている。見た限りでは足取りもしっかりとしていて、怪我の痕などもなかった。
無事とは聞いていたが、彼女達を見るのはアズルムの残党から逃げ出した時以来だ。特にマキアは危険な状況の中私達を逃がしてくれたので心配だったが、少なくとも大きな怪我はないようで安心した。
広間を分断するように敷かれた絨毯の上を静かに彼女達は進んで行く。2人は壇上にたどり着くと、マキアは隅に控え、そしてアラム様は法王の前に跪いた。
「え……」
思わず声を上げてしまった。だが周囲のそれ以上のざわめきにかき消されたため、誰にも聞き咎められる事はなかった。
神聖な宣誓式の最中にこのような声を上げることなど本来ならありえない。けれどこの光景を見れば私達が驚き声を上げるのも当然だった。
かつてこの大陸はアズルム神王国というひとつの宗教に支配されていた。そしてその宗教に失望し、再び多くの国が生まれた。
そんな背景があるせいか、この大陸においての宗教というものはそれほど力を持っていない。アズルムからの独立と共に、例えアズルムでなかろうと“神”というものに対する信仰心は薄くなっている傾向にある。
それ故に大陸一の勢力を誇るカラハ教であっても力は弱く、今現在の教会は王家の下に位置している。そのため宣誓式などの儀式であっても、王族どころか貴族でさえもが教会の者に対し膝をつく事はない。
つまり平民ならばともかく、これから王の正妃として王族になろうという者が膝をつくなど普通ならばありえない事なのだ。たとえアズルムがカラハ教に下るという事を主張するためであっても、これでは王以外の王族もカラハ教に下るといっているようなものだ。当然、その下に位置する貴族達も同様。これではどれだけ反感を買ってしまうか分からない。
その証拠にざわめきは大きくなる一方だ。
どうなる事かと息を詰めていると、唐突に陛下が持っていた王杖を床に打ち鳴らした。
カ——ン、と先ほどまで鳴っていた鐘のような音が響き渡る。
それを合図に皆これが何の場か思い出し、波のようにざわめきは静まっていった。
法王は完全に静まるのを待ち、徐に手に持った銀の杖を掲げた。
「太陽の歓びと、雨の安らぎ、そして天と地の加護を」
言いながら法王は右肩、左肩、そして額へと杖を軽く当てていく。宣誓前に行う清めの儀式だ。アラム様は微動だにせず粛々とそれを受けている。そのアラム様を見下ろし、法王は厳かに告げた。
「天はそなたを見守っている。地はそなたを育んでいる。我らが父と母はそなたの声を聞いている。そなたを創りし神々に今、偽りなき宣誓を」
「……」
アラム様は跪いたままゆっくりと顔を上げた。
私の場所からはアラム様の表情まではよく見えない。けれど「守りたいものがある」と言ったあの時のように、迷いのない、真っすぐな目をしているような気がした。
「わたくしアラムは……」
震えた声が小さく響いた。アラム様は言葉に詰まったように声を途切れさせ、俯ききつく目を瞑った。
誰もが彼女の言葉を待ち、耳に痛いほどの沈黙が降りる。
やがてアラム様は何かを振り切るように顔を上げ、力強い声ではっきりと告げた。
「わたくしアラムは、神ではありません。アズルムの神は皆天に還りました。この瞳はただの瞳。この身はただの人の体。たとえ再びこの瞳を持つ者が生まれても、それはただの人の子。わたくしアラムは我が父母たる天と地の神、そして我が国たるナセルに、ひとりの人間として、ひとりの民としてお仕えする事を、ここに宣誓いたします!」




