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セーレの花  作者:
24/28

24. 思い出した願い

つい先ほどまで真っ暗だったというのに、気付けば空が僅かに明るくなっていた。月光で朧げにしか見えなかったものが明確に見えだす。走りやすくなったのは良いが、これでは暗闇に紛れることができない。思わず舌うちでもしそうになっていると、 そう遠くない所から男達の声と足音が聞こえた。

「鈴の音がする!」

「おい、こっちだ!」

どうやら上手く引きつけられたようだ。これ以上はこちらも危ないので、握りしめていた鈴を投げ捨てた。

その途端鈴の音の代わりに自分の息づかいが耳につく。そのあまりの荒さに鈴を捨てなければ良かったと一瞬後悔した。

村にいた頃は野を駆け回ったり家事や労働をしたりと忙しなく動き回っていたが、貴族となってからはそれはめっきりとなくなった。走る事さえどれだけぶりだろう。つまるところ今の私は全く体力がないのだ。

耳に届く息はひゅーひゅーと情けない音を上げ、胸は息を吸うごとに痛む。足も重しがつけられているのかというほど重く感じた。

アラム様を逃がしたは良いが、体は早々に限界を迎えていた。もう無理だと必死に訴えている。

けれどそれを無視し、ひたすらに体を動かした。

「あっ!」

不意に木の根に足をとられ体が傾いだ。必死に手を伸ばし、近くに伸びていた木の枝を掴む。

「——っ!!」

手のひらに強烈な痛みが走ったがそれでも必死に縋り付いて、なんとか無事に体勢を整える事ができた。

見れば手のひらは裂け、とげも刺さっているようだった。じんじんと脈打つごとに痛みが走る。

だが今この程度の怪我に構っている暇はない。再び足を動かしたが、一度立ち止まったせいか先ほどよりも一層苦しく、体も重く感じた。

どくどくと、今や全身で脈打つのを感じる。それはまるで腹の子が苦しいと訴えているように思えた。

妊娠を告げられた時、激しい運動は子が流れる恐れがあるため禁止された。特に今は安定していない時期だから気をつけなければいけないと。

視界が涙で滲む。恐怖で身がすくみそうだった。


——お願い。どうかこの子を連れて行かないで。


アズルム神王国のこともあり、私は神という存在そのものを信じてはいない。けれど今ばかりは神か、それとも違う何かに必死に祈った。

男達の声は着実に近づいて来ている。危険でも走り続けなければ子の命も私の命もあと僅かしかない。

かつては死にたいと思っていたのに変わったものだ。

今なら容易く死ぬ事ができる。簡単な事だ。ただ立ち止まれば良い。立ち止まって男達が来るのを待てば、彼らは怒りのままに私に剣を振るうだろう。母の生きてという願いも、殺されるのならば叶えられないのは私のせいじゃない。

けれど今は微塵も立ち止まろうとは思わなかった。

縋るような気持ちで服の上から首にかかっているペンダントを握りしめる。

「いたぞ!おい、こっちだ!」

聞こえた声に振り返ると、一人の男がすぐ近くまで来ていた。きっとすぐに男の仲間も来る。

「——っ!」

もやは悲鳴を上げる体力すら残っていなかった。

だが諦めるものか。残りの力を振り絞り必死に足を動かす。

けれど次の瞬間、左腕に強烈な痛みが走った。

「あっ……!」

痛みに体が硬直し、疲弊していた足は簡単に走る事を止め地面に膝を突く。

痛みを訴え続ける腕を見ると、そこには小さな剣が刺さっていた。

見たせいかより一層痛みが強くなる。見たところそこまで深くは刺さっていないし、たいした怪我のうちにはいらないだろうが、私を怯ませるには十分だった。

傷の生々しさに吐き気までこみ上げる。でも止まってはいられない、早く、早く逃げなくては。

震える足を叱咤して立とうした瞬間、後ろから髪を引っ張られた。容赦のない力に首がのけぞる。

「うぁ……っ」

「ナセルの女め。恨むなら我らから神を奪った自分の国と王を恨め!」

シャリ、と金属のこすれる音がやけに大きく響いて聞こえた。見えなくても分かる。男が剣を抜いたのだ。

殺される。殺されてしまう。

嫌だ。私はまだ死にたくない!

咄嗟に腕に刺さったままだった小剣を抜き、振り向きざまにそれを振るった。

「ぎゃあああっ!」

髪を掴んでいた手がなくなり、代わりに男は自分の顔を抑えて地面をのたうちまわっていた。

目を瞑っていたので見えなかったが、手には確かに男を切り裂いた感触が生々しく残っている。そのおぞましさに肌が粟立った。

「ああああ、あぁああっ!」

「こっちだ!」

男はなおも叫んでいる。その声に誘われてか、男の仲間達が集まってしまった。

「この毒婦が!」

男達は地面でのたうちまわる男を見た瞬間、血相を変えて剣を抜いた。

咄嗟に握っていた小剣を男達の方へ投げつけ、先ほど切りつけた男が落とした剣を拾う。両手で持っても落としそうなほど重いそれを構えた。

投げた小剣は届かなかったが、武器を持った事に警戒したのかそれとも私の行動に驚いたのか、男達の足が止まる。

だが重さと恐ろしさで腕が震えるのを止められない。それが分かったのだろう。嘲笑が聞こえた。

「その細腕で剣など振るえるわけがないだろう」

「もう諦めるんだな。お前のような毒婦などやはり必要ない。今ここでナセルへの見せしめにしてやる」

そう言いながら、男達は一歩一歩わざとらしくゆっくり近づいてくる。それにあわせて後ずさったが、すぐに背に木が当たる感触がした。

絶望的な状況だ。目の前には何人もいるうえに、私は剣を持てても男が言った通り振るえるほど力などない。いや、振るえたところでどうにもならないだろう。先ほどは偶然上手くいったにすぎないのだ。

でも、それでも、諦めようなんて思えなかった。

「……よ」

「なんだって?」

聞こえなかったのか、訝しげに男が聞き返す。私は震える腕で剣を構えたまま、男達を睨んで叫んだ。



「嫌よ!私は生きるの、絶対に生きるのよ!!」



そうだ。決して死ぬものか。

母が願ったからじゃない。母の願いとは関係なく、私は生きたいのだ。

生きて子を生みたい。子を育てて笑い合って、あなたのお父様は素敵な方だと教えてあげたい。

そして何よりも強く思うのは、きっと誰もが持つ単純でいて難しい願い。

こんな願いがある事を、思えば私はずっと忘れていた。

でも陛下と深く関わるようになって、恋をして、子を宿して、やっと思い出した。大変な事の方が多いし苦しい事も辛い事もあったけれど、それでもその中に確かにあったのだ。

——幸せと、いうものが。

だから今は、我が子と共に幸せになりたいと強く思う。

母が死んで以来、人生の最も幸福な時間はもう終わったと思っていた。終わってしまったのだから、もう幸せになる事はないと。そうやって何もかもを諦め無関心でいる事で、母を亡くした事や貴族の生活に耐えてきた。

でも、今なら信じられる。苦しい時間の果てに幸福を見つけられたように、生きていれば、きっとまた幸せに出会える。

——そうでしょう、お母さん。

脳裏で描いた母に問いかけ、血で滑りそうになる剣の柄を強く握り直した。

男達が近づいてくる。あと少しでその剣が私に届く。

恐怖で歯がガタガタと鳴った。腕が震える。

力では敵わない事は分かっている。けれど決して諦めるものか。

目の前に迫る男達を睨みつけた——その時だった。



「セーレ!!」



声が聞こえた。

聞き間違いだと思った。

だってこんな所にいらっしゃるはずなどない。私はあの方から逃げて来てしまったのに——。

「陛下!!」

けれど、気付けば私は叫んでいた。

「陛下、陛下っ!」

迷子の子どものように、声が枯れそうなほど何度も声を張り上げる。

「ナセル王が来ているのか!?」

男達が動揺した様子で動きを止め、辺りを見回した。

「セーレ!」

次の声はすぐ近くで聞こえた。次いで葉を踏む音が聞こえ男達の後ろに姿を現したのは、間違いなく陛下だった。

「陛下!」

供はどうしたのか、陛下お一人だった。髪も息も乱れ、いつもの余裕のある様子ではない。

「セーレ……」

陛下は私を見ると呆然と目を見開いた。

その視線を受け、私は自分の惨憺たるさまを思い出した。

殴られた事で恐らく頬は赤くなっているし、こめかみに傷もある。森の中を走ったため小さな傷は全身におよび、手の平は裂け、腕の傷に至っては血も止まっていない。

なんてあり様を見せてしまったのか。だが動揺する間もなく、男達が歓喜の声を上げた。

「ナセル王、そちらから現れてくれるとはな!」

「神の仇だ!」

最も憎い敵を前に、男達は私の存在を一瞬にして忘れたようだ。狂気的な笑みを浮かべ陛下に飛びかかって行く。

「陛下!」

男達は少なくとも5、6人はいる。あまりの多勢に無勢に声をあげたその瞬間、陛下の表情が一変した。

——咆哮。

まさにそう呼ぶに相応しい獣のような声だった。恐ろしい形相で剣を抜き放ち、迫り来る剣を避け、ひとつは力任せに薙ぎ払った。そして距離を詰めあっという間に一刀のもとに切り伏せる。そして背後から斬りつけようとしていた者の腕を振り向き様に斬り飛ばした。

相手は複数いるというのに、戦いにすらなっていない。一方的な蹂躙だ。よく見れば地に伏した男達は全員生きていて意識もあった。だがその誰もが痛みに呻き戦える状態ではない。

あまりの迫力に膝が震えた。ずるずると後ろの木にもたれ剣を抱えるように持ち座り込む。

そして気付いた頃には、その場に立っているのは陛下だけになっていた。

「……」

返り血を浴び、今だ険しい表情をしている陛下は正直恐ろしかった。今さらながらにこの方から逃げ出そうとしたという事を思い出せば、罪悪感とともに一層恐ろしさが募る。

そもそも何故陛下がここへ来れたのかが分からない。私の逃亡が露呈したのか、アラム様の誘拐に気付きたまたま私も助けられたのか。

何と声をかけるべきか考えあぐねていると、陛下が不意にこちらを振り向いた。

「……っ」

思わず体が震える。

それが分かったのか陛下は僅かに眉間に皺を寄せた。

「あ……」

助けていただいておいてなんて態度をとってしまったのだろう。謝罪か、お礼か、何か言うべきだと口を開いたが、微かな声が漏れただけで、まるで詰め物でも口に入れられたかのようになんの言葉もでてこなかった。

「……」

陛下も何も仰らない。

短いのか長いのか分からない沈黙は、不意に遠くの方から聞こえて来た複数の足音に遮られた。

「陛下、どちらにおられますか、陛下!」

一瞬男達が来たのかと身を固くしたが、聞こえてきた声から察するにナセルの者であるようだった。それまで私に向けていた視線をはずし、陛下が「こっちだ」と声を張り上げると、間もなく何人もの鎧に身を包んだ兵士達が駆けて来た。

「これは……」

兵士達は地に伏した男達と返り血を浴びた陛下という状況を見て、驚いたように声を上げる。その中に一人、何故か兵士に背負われた武装していない男がいた。その男は私に気付くと、音がしそうなほど顔色を変えた。

「……セ、セーレ様!」

男は兵士の背から降りると右足を引きずりながら私の方へ駆けて来た。

そして「失礼します」と一声だけかけて、未だ血が止まっていなかった腕を布できつく縛る。痛みを堪えきれず口からうめき声が洩れた。さらに男は懐から取り出した瓶の水で手巾を濡らし、それでそっと私の頬を拭った。やはりそれも痛く、歯を食いしばって耐える。

この場でできるであろう最低限の治療を受けている間に、アズルムの男達は兵士達に捕らえられていた。

「状況は」

整然と男達が連行されて行くのを見ながら、不意に陛下が仰る。

私に治療を行っていた男はすっと姿勢を正して答えた。

「は。アズルムの残党は今しがた捕らえた者を合わせ、ほとんどを捕らえました。ですが、ガゼス•ノードともう一人の神の狗は取り逃がしたとの事です」

「……」

ノード様には裏切られたが、憎いかと聞かれると簡単には頷けない。彼が神の狗であった事が悲しく憎くも思うが、優しくしてくれた記憶は未だ鮮明に残っている。あれが全て嘘であったとしても、彼の明るいところに助けられた事は確かだった。

だからノード様が生きている事が嬉しくもあり不安でもある。このままどこかに逃げてくれればと思うが、彼らは諦めないだろう。おそらくいつかまた、ナセルに牙を剥く時が来る。

「只今追跡をしておりますが、人数を増やしますか?」

「いや、必要ない」

「かしこまりました。ではその分の人員をアラム様とこちらの護衛にまわしましょう」

アラム様という言葉に、私はハッと顔を上げた。

「アラム様は無事なのですか!?」

自分の事で精一杯だったとはいえ、こんな重要な事を忘れていただなんて信じられない。

薄情にもアラム様の名を聞いてやっと思い出し、掴み掛かる勢いで聞くと、男は驚いた様子もなく頷いた。

「はい。マキア殿も無事保護致しました。さすがに無傷ではありませんが大事には至っておりません」

「良かった……」

強ばっていた肩の力が抜ける。

だが喜びも束の間、厳しい声が聞こえた。

「何が良いものか」

ハッと顔を上げると、陛下は睨むように私を見ていた。

「……っ」

厳しい視線に身がすくむ。不意にこちらに伸ばされた手に思わず体が震えた。

だがそれを察したのか、手は頬に触れる寸前に止まった。

「こんな……」

嗚咽を堪えるかのように言葉が止まる。

触れる寸前で止められた手は、よく見れば微かに震えていた。

「へい、か……」

「丁重に後宮まで送れ。——今度は決して、逃がさぬように」

やはり私の逃亡はどこからか露呈してしまっていたらしい。

頭の片隅でどこかぼんやりとそう思った。

ふと、陛下の表情が歪む。その顔はまるでアラム様を殺したくないと仰ったあの夜のような、いや、それ以上に辛そうな表情だった。

だがまるで幻覚であったかのように一瞬で表情を消すと、陛下は踵を返した。

「あ……」

咄嗟に手を伸ばす。けれどそれは届く事なく空を掴んだ。

ちがう。——ちがう。

そんな顔をさせたかったわけじゃない。ただ、私の存在に思い悩む事なく陛下には毅然とあって欲しかった。陛下と我が子に平穏が欲しかった。

今は辛くても、別々の道を歩む事で陛下も子も私もいずれ幸せになれると、そう思ったから。

この選択が陛下を傷つけてしまうだろうとは思っていた。でも思っていただけで、きっと本当は何も理解してなんていなかったのだ。

ぽたぽたと涙がこぼれる。

それは城に戻っても、しばらく止まることはなかった。



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