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セーレの花  作者:
21/28

21. 神の狗

「よろしいですか、セーレ様。淑女たるもの、たやすく人前で涙を見せてはなりません。心の内を見せてもなりません。あなたを引き取ってくださったお父上に報いるために、ローディル家の令嬢として常にふさわしい態度でいなければなりませんよ」

それが、私の教育係の口癖だった。

ローディル家の令嬢として。父に報いるために。二言目にはいつだってその言葉があった。

「はい、先生」

私はいつも、その言葉にそう言って頷いた。

ローディル家に引き取られた後の生活は、同じような立場の者たちと比べても、きっと恵まれたものであったのだと思う。

部屋や服を与えられ、貴族としての教育を受けた。 表立って侮辱される事も虐げられる事もなく、 その扱いは、もうひとりのローディル家の令嬢であるディアレとほとんど同じだった。

ただ、そこに意味だけがなかった。

一度だけ言われた事がある。「あなたは何故、そんなつまらなそうにしているのですか」と。

そう言ったのは、私を迎えに来た父の使いの人だった。父に引き取られてから彼は時折私の様子を見に来ていたが、ある日唐突に耐えきれなくなったかのように言ったのだ。

「せっかく平民から貴族になったんです。大変な事もあるでしょうが、もっと楽しめば良いでしょう。着るものも食べるものも、今までとは比べ物にならないはずだ。あなたはとても恵まれているのですよ」

と。

凍える事も飢える事もない生活がどれほど贅沢で恵まれたものなのか、誰に言われずともこの身をもって知っている。

幼かった私でも、彼の言いたい事は十分に理解できた。

けれどやはり子どもだったのだろう。彼の言い分を理解しても納得する事はできず言い返していた。

「そうですね。でも、私は欲しくありませんでした」

そう率直に答えたのは、たぶん彼への恨みもあったのだと今なら思う。

なにせ彼は私の顔を見るなり半ば誘拐するように馬車へ引きずり込み、父の元へと連れていったのだ。おかげで身支度どころか母の形見と言えるものは何も持って来られなかった。

私の言葉に頬を引き攣らせ、苛ついた様子で彼は言った。

「では、どうしたかったんですか?まさか、あのままあの村に留まりたかったとでも?子どものあなたでは冬を越せずに今頃死んでいたでしょうに」

「そうですね」

「……せっかく閣下が救ってやったのに、死にたかったというんですか?」

「私は頼んでいません」

「リィラが、あなたの母親が頼んだんだ!閣下が断れないと知っていながら、こんな面倒事を!」

「……」

面倒事。

全くその通りだ。侯爵家において私の存在を言い表すのにこれほど的確な言葉はないだろう。

何故なら、この家には既に嫡子であるディランも令嬢であるディアレもいる。二人とも優秀で、加えて父は既に宰相という国の重鎮だ。跡継ぎも王家に嫁す娘も権力もある家に、今さら庶子である娘など必要ない。むしろ家の名を汚すものでしかなかっただろう。

例えば貴族の娘としてよく求められるように婚姻の道具とされるのだったら、引き取られた事にまだ意味を見いだせていたのかもしれない。

けれど父は私に何も求めなかった。側室となったのも、王家に近しい侯爵家として一度娘を後宮に入れる習慣のようなものがあったためだ。父は後宮入りについて拒否権をくれたが、どちらでも良いと答えたのは他でもない私だった。

ローディル家の令嬢として。父に報いるために。

教育係はそう言うが、ローディル家の令嬢である事も、父への恩を返す事もそもそも求められてはいなかった。

私がローディル家にいる意味はなかった。あったのはたぶん父の母に対する義理だけだ。

顔を赤くさせて彼は叫ぶように言った。

「そんなに嫌なのならいっそ死ねばいい!そうすれば、閣下にも迷惑はかからない。皆幸せになれる。あなたもお望み通りでしょう!」

ああ、全くその通りだ。私が死んだところで悲しむ人はいない。むしろ都合の良い人の方が多いだろう。

誰も私を必要としないし、私も誰も必要としない。

何もかもに意味はないのだ。

「いいえ、死にません。母に生きてと言われたんです」

だから、ただそれだけが、私に残されたたったひとつの意味だった。

生きる、意味だった。






目を開けると、見知らぬ天井が見えた。木でできた古くさい天井だ。埃と土のにおいが鼻をかすめ、かすかに虫の音も聞こえた。

何故こんな所で寝ていたのだろう。

ゆっくり瞬きをしながら天井を眺め、しかし次の瞬間全てを思い出し、私はハッと身を起こした。

「おや、思いの他お早いお目覚めだな、側室殿」

声の方を振り返ると、顔の半分が焼けただれたあの男がいた。

馬車では暗くて見えなかったが、灯りがあるここでならその姿がよく見える。茶色い目と髪の大柄な男で、傷跡のない方の顔だけ見れば、特筆すべきところのないごく平凡な容姿をしている。だがその傷跡と彼に連れ去られたという事からか、私の目には未知の化け物のように見えた。

「……神の狗」

「そう呼ばれているのは事実だがね。さすがに蔑称で呼ばれ続けるのは好きではないんだ。私はオルド•ルト。ぜひオルドと呼んでくれ、側室殿」

友好的とも言えるほど気さくな雰囲気で名乗った男——オルドの側には、数人の仲間と思わしき男達がいた。皆腰に剣を佩き武装している。今までにない危険な状況に心臓が嫌な音をたて、背筋に冷や汗が流れた。

「ルト一族は全員死んだと……」

「いやいや、彼らはルトの者ではないよ。アズルムのために集まってくれた敬虔な信徒達だ」

思わず洩れた呟きに、律儀にもオルドが答える。

つまりルト一族の生き残りはこの男だけと言う事だろうか。だが、それでも疑わしく思っていた噂が本当であった事に驚きを禁じ得なかった。

「それより気分はどうだ?側室殿。それほど強い薬は使っていないが、万が一があると大変だ」

「……特に異常はありません」

床に寝かされていたせいか体と頭は少し痛んだが、他に異常はない。服もきちんと着ており、何かをされた痕跡もなかった。むしろ体を冷やさないためか毛布までかけられている。荷物はさすがになくなっているが、身につけていた物には手を出さなかったらしく、外套もそのままにペンダントも変わらず首にかかっていた。そして女の身だと舐めているのか、手も足も縛られていない。

さりげなく辺りを見回してみたが、特にこれと言ったものは何も見当たらなかった。さして広くない部屋の中には、テーブルと椅子くらいしか置いていない。あとは布で仕切られた一角があったのは少々気になったが、位置的に寝台が置いてありそうな場所だ。もしかしたら元々生活空間を区切れるようにそういう造りになっているのかもしれない。

扉は二つあり、おそらく外へ行へ出る扉と隣室にでも繋がっているものだろう。他には窓がひとつあったがカーテンがかけられており、外の様子は全く見る事はできなかった。

だが光が漏れていないから、今は夜なのだろう。体の感覚からして数日経過しているとは考えにくい。おそらく連れ去られてまだ数時間といったところだろうか。

「手荒な真似をして申し訳なかった。普通にお招きしても応じてはもらえないと思ったものでね」

オルドは火傷の痕がない片方の顔に苦笑を浮かべて、申し訳無さそうに言った。

とても人を連れ去ったとは思えない優しい態度が逆に恐ろしい。

これはいつ破れるとも知れないまやかしだ。本当は“神”を奪ったナセルの者など殺したいほど憎く思っているに違いない。何が逆鱗に触れてしまうか分からず、暗闇の中を手探りで進むような心地で私は口を開いた。

「馬車には御者がいたはずですが、彼はどうしました?」

「心配せずとも生きているよ。無駄な殺生は好まないものでね。道端に捨て置いたから風邪はひいているかもしれないが、今頃主人の所にでも駆け込んでいるだろう」

つまり御者は伝令役として生かされたという事か。どんな理由であれ殺されずに済んだのならそれで良い。

だが、私自身は変わらず事態は深刻だ。

今後私がどうされるか、考えうる可能性は大きくわけて二つ。

人質とされるか、見せしめとして殺されるか。

一応大事に扱われているため人質とされる可能性は高いが、末席の側室という国においての私の価値の低さを考えるとそれも微妙に思えてくる。

どちらにせよ、今後どうなるか全てはこの神の狗次第というわけだ。

「それにしても、てっきり泣き叫ぶか怯えてものも言えないようになるかと思っていたが、随分冷静な事だな、側室殿。」

「……泣き叫んだところであなた方は逃がしてはくださらないでしょう。そうであるなら、話を進めた方が建設的です」

冷静でなどあるものか。けれど取り乱したところで身の危険を高めるだけだ。下手に苛立たせて子がいるこの身を乱暴されるわけにはいかない。

恐怖に震える手を見られないように隠し、精一杯の虚勢をはった。

「まったくその通りだ、側室殿。話が早くて助かるよ」

「それで、あなた方は何の御用なのでしょうか。馬車の襲撃ではできなかった事を、私を使って行うのでしょうか」

「おや、側室殿はあの襲撃で我らが行いたかった事が分かるのか?」

驚いたように、わざとらしくオルドが軽く目を見開く。

だが、 襲撃事件の犯行がルト一族の者だと分かればそう難しい事ではない。

彼らは何度も馬車を襲っているが、ほとんど死人をださなかった。だが、厳重な警備をかいくぐり襲撃を行えるほどの者が殺せなかったはずはない。

つまりは、故意に殺さなかったということだ。

それは何故か。

「あなたは被害者に自身を目撃させ生かす事で、死んだはずのルト一族が生きていると人々に広めたかったのでしょう。そして噂を広める事で、各地に散らばる信徒を集めたかった」

王族の側仕えであるルト一族ならばナセルの貴族と会う機会は皆無ではなかったはずだ。紋章はなくとも被害者の中には顔を覚えているものがいるかもしれない。

そうでなくても火傷の痕は印象的だ。例えば『襲撃者にあった火傷の痕は、ルト一族の紋章を消したものかもしれない』と誰かが言い出せば、面白おかしく眉唾ものの噂として広がる事だろう。

そして貴族の噂は商人や使用人にうつり、民に流れる。アズルムの信徒は大陸統一時代の名残で国は関係なく大陸の各地に存在している。その彼らに、アズルムの第一の信徒たる神の狗の生存は希望として聞こえるだろう。そしてその中の一部は噂を信じ、アズルムの復興に協力するために集まってくる。

「その通りだ。恥ずかしい事に堂々と名乗り出るには勢力が足りなくてね。すぐに潰されてしまう。だからこっそりと噂を広め、仲間を増やしたかった。だがそれも、あなたの王のおかげで上手くいかなかったよ。あなたの王は賢い男だ。すぐに私達の目的に気付き、被害者達に箝口令を徹底した。だからこそ仕方なく死者をだす事になったのだがね」

「王の側室を捕らえたと広めれば信徒はより集まるかもしれませんね。ですがその場合、あなた方もナセルに見つかる可能性は高くなるでしょう」

捕らえたで済めば良い。一番恐ろしいのは見せしめとして殺される事だ。

だが派手な事をすれば彼らの危険性も高まる。仮にも側室が殺されたとなれば、国の面子をかけて今までの比ではなくナセルは全力で彼らを潰しにかかるだろう。それとなく牽制して言うと、オルドはふっと笑った。

「その通りだ。だから、あなたが心配しているような事はしないとは言わないが、最後の手段としておくよ」

「……では、アラム様と交換するための人質にでもなさるのでしょうか。もしそうであるなら、残念ながら私にはそこまでの価値はないかと思いますが」

信徒がいくらいても太陽の瞳をもつ“神”がいなくてはアズルムの復興は叶わない。だが今や唯一のその資格をもつアラム様はナセルによって厳重に保護されている。彼らは喉から手が出るほどにアラム様の奪還を望んでいるはずだ。

だが彼らにとっては残念な事に、末席の側室と正妃候補のアラム様では釣り合うはずがない。国も一族もアラム様と交換するくらいなら私を切り捨てる方を選ぶだろう。

仮にも陛下の第一子であるこの子の事を考えれば成立するかもしれないが、知っている者はそう多くなはずだ。陛下がどこまで伝えているか分からないが、この者達が知るはずはない。

「ふむ。確かに、庶子のあなただけではそうかもしれないな。なぁ、側室殿?」

——そのはずだった。

おそらく笑っているのだろう。顔を歪め、オルドは言った。

「だが、あなたひとりではない。そうだろう?」

ぞわりと背筋に寒気が走った。

——ああ、そうだ。何故気付かなかったのだろう。

オルドは初めから私の事を『側室殿』と呼んでいたではないか。

少し考えれば他に幾つも疑問が上がる。

貴族ばかりを狙っていたはずなのに、何故庶民が乗るようなあの馬車を狙ったのか。

何故、最初から私だと知っていたのか。

何故、あんなにも都合よく攫えたのか。

どうして今の今まで思い当たらなかったというほど簡単な問いだ。そして導き出される答えも簡単なもの。

——知っていたのだ。あの時間にあの馬車に乗って、私が王宮を逃げ出す事を。そしてきっと、その理由も。

「……いったい、誰に聞いたのですか」

簡単な問いの中で、ただそれだけが分からなかった。

後宮を逃げ出す事を知っているのは私と父、そして父が手配した協力者達だけのはずだ。

協力者の誰かが裏切ったのだろうか。それともどこからか計画が洩れてしまっていたのか。

それとも、もしかして父が?

あらゆる可能性がぐるぐると頭の中をまわる。

迷う私に、オルドはあっさりと言った。

「なに、とある親切な女性が教えてくれたのだよ。彼女は恩人だ。彼女のおかげで神は生き残り、あなたさえも我らの手中におさめられた。本当に感謝している」

「……まさか」

アラム様を救い、私が逃げ出す事を知り得た女性。

心当たりは一人しかいなかった。

「……彼女は、あなた達の協力者だったのですか?」

「いいや。つい先日、彼女から接触してきたのだよ。よほど国母になりたかったのか、あなたが憎かったのかは私にも分かりかねるがね」

「……」

オルドの言葉で疑いが確信へと変わった。


——ディアレ。


アラム様を正妃にするという陛下に真っ先に賛同する事で助けた人。

そして義姉ならば、父を通して知っていてもおかしくはない。

どうやってオルドと接触をはかったのかまでは分からないが、賢いあの方ならばできても不思議はなかった。

押し寄せるのは怒りではなく、激しい罪悪感だ。

彼女は気高い人だった。きつい事は言っても間違った事は決して言わず、国の事を考え行動できる人であったはずなのに。

恐らく私怨であるこの行為も、私の腹に陛下の子がいる以上売国行為だ。

私は、義姉になんて事をさせてしまったのか。

罪悪感にかられている私を見て、オルドはどこか楽しそうに言った。

「あなた達の血の縁は随分薄いようだな。だがまぁ、生まれた腹が違うとままある事だ。それにこうなった原因も、あなたは流されただけなのだろう。己を責める事はない」

「あなたに何が分かるというのですか」

状況も忘れて思わず睨むと、オルドはわざとらしく肩をすくめた。

「そう睨んでくれるな。あなたの気持ちも理解できると言いたいのだよ。私にも、似たような者達がいるからね」

そう言った瞬間、僅かにオルドの顔が苦々しく歪んだ。

初めて見る素の表情と、たった今言っていた言葉に思わず内心で目が丸くなる。

ルト一族の者は生まれてすぐに親元から離され、一族の訓練所に入れられると聞く。そしてそこに集まった同世代の子ども達は皆兄弟として育てられるらしい。似たような者達とはその兄弟の事を指しているのだろうか。

それは良いのだが、気になる点がもうひとつあった。

今の話でオルドは『似たような者達がいる(••)』と言った。『いた』ではなく。

ルト一族は王族と同じく全員死んだと思われていた一族だ。こうして目の前にひとり生き残りがいるわけだが、てっきりつい先ほどまで彼以外にはもういないのかと思っていた。

だが、彼の口振りから察するに、他にもルト一族の生き残りはいるのかもしれない。それも、彼とは志が違う者が。

思わずじっと見ながら考えていると、オルドは何事もなかったように表情をもとに戻した。

「それよりも話の続きだ、側室殿。 神との交換のための人質とはなかなか面白い答えだが、残念ながらその推測は間違いだ。人質というところは合っているがね」

「……では、宣誓式を中止にするためでしょうか」

「良い線だが、それも違う。まぁ、分からないのも無理はない。重要な情報がひとつかけているからね」

「重要な情報……?」

最近の噂や後宮で見聞きした事を思い出してみるが、それらしいものは思い浮かばない。もしかして、私が連れ去られた後に何か事態が動いたのだろうか。

頭を悩ましていたその時だった。


——シャン


小さな音が聞こえた。

「え……?」

聞き覚えのある音だった。だが、こんな所で聞こえて良いはずのない音だ。

何かの間違いに違いないと、そう思った瞬間——


「ここ、どこ?」


——声が聞こえた。

女の声だ。それもまだ若い、少女の声。それは、布で仕切られた一角から聞こえた。

「まさか」

聞き覚えのあるその声に今度こそ確信に至り、ザッと音をたてて全身から血の気が引く。

「お目覚めか!」

喜色を浮かべてオルドが言った。足早に一角に近づき、どこか恭しい動作で仕切っている布を手にとる。

そして取り払われたその布の先には——



「アラム様……」



今や唯一太陽の瞳を持つ“神”がいた。



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