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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第1章 Vorahnung─巡り会う─

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8話 ペトロ、初体験へ



 ペトロの新生活が始まって、数日が経った。

 出現する悪魔との戦闘に同行し、使徒としての経験値も着実に積んでいた。

 だが、広告の仕事はまだ来ないので、収入源のアルバイトは積極的に継続中だ。


「バイト行ってきますー」

「行ってらっしゃい」

「気を付けて行けよー」


 今日も、制服のジャケットを着てデリバリーバッグを背負い、愛用の電動キックボードで出勤する。ユダとヨハネは、事務所の窓から走って行くのを見届けた。


「精力的に働くね。ペトロくん」

「いいんですか、バイト続けさせて。オーディションを受けさせることも、できるのに」

「契約書にはダブルワーク不可の記載はしてないし、使徒の使命を疎かに考えてる様子もないから、問題ないよ。仕事の方は、彼の気分次第だね」

「まぁ。“本業”にやる気があるみたいなので、いいんですが」


 彼らの本分は、悪魔を祓い憑依された人々を救うこと。他の仕事は、副業みたいなものだ。本業で収入が発生しない分、副業のモデル業やアルバイトをすることは、本業に匹敵するくらいの義務が発生する。だから使徒の二足のわらじは、思った以上にいろんな意味で大変なのだ。


「ヨハネくん。ペトロくんが来て数日経つけど、きみから見てどんな印象?」

「そうですね……」


 ヨハネは、ペトロと過ごし始めたこの数日間を振り返り、質問に答える。


「協調性はあります。ヤコブやシモンとも普通に話してますし、朝食や夕飯の準備や、片付けを手伝おうかって声を掛けてくれることもあります。共同生活にも少しずつ慣れてきてるようですし、僕たちと円満な関係を築こうとしていると思います」

「印象は悪くないってことだね」

「はい。ユダは?」

「そうだね……。私は。まだ、心を開き切っていないように見えるかな」

「それは僕も感じます。ですが、まだ数日ですし、しょうがないですよ」

「そうなんだけど……。まだ本当の彼を見ていない気がする」


 ユダはパソコンと向かい合いながら、憂うように目を伏せた。


「……同室だから、そう感じるんですか?」

「うん……。まだ、笑った顔を見てないんだ。それがちょっと気になって……」

「使徒の特性があるということは、ペトロも過去にそれなりの経験をしているはずです。心を開き切っていないのも、きっとそのせいです。気になるかもしれませんが、今はまだ様子を見ることにしましょう」

「……そうだね」


 気を取り直して背筋を伸ばしたユダは、パソコンに向かった。

 ユダが誰かを気に掛けるのは、珍しいことじゃない。彼は、包容力が滲み出る微笑みと心配りと、物腰の柔らかい振る舞いを誰にでもできる、無意識の人垂らしだ。

 そんなユダの意識がペトロに向けられていることを知ったヨハネは、少し気掛かりな視線を向けた。




 今日のデリバリーは、街の中心のミッテ区を周辺を回っていた。

 街の中枢のミッテ区は、有名観光スポットや主要機関があり、オフィスビルも建ち並んでいる。昼時はオフィスからの注文も殺到するので、ペトロは飲食店と依頼者のあいだを働き蟻のごとく何往復もする。


「ありがどうございました」

(次は……っと)


 アプリで次の配達依頼を確認し、再び電動キックボードを走らせた。


 二時間ほど走り回り、ようやく落ち着いたペトロは、少し遅めの昼休憩を取ることにした。

 近くに鉄道が走るシュプレー川沿いのカフェに入り、バナナ・ヌテラ・グラノーラパンケーキとアイスカフェラテを注文し、天気がいいのでテラス席に座った。

 日差しはあるものの、もう少し暖かさがほしい春の午後。昼休憩を終えて会社に戻る人や、買い物に行く人、ベビーカーを押して散歩をする人が往来する。

 ペトロはパンケーキを食べながら、その人たちをじっと見つめた。


「憑依してる悪魔が、見えるわけじゃないのか」

(みんなが憑依されるほどのトラウマを抱えてるとは、限らないもんな。もしも、この街の人全員てなったら、土日祝日関係なく毎日祓っていかないとだし)

「それじゃブラック企業だな」


 ペトロは店内に視線を移した。シンプルなデザインの小さめのシャンデリアに、葉の模様のベージュを貴重とした店内は、ピーク時を過ぎたのでさほど混んではいない。


(あの人も、この人も、どの人も、普通に生活してる。毎日仕事をして、家事や育児をして、友達と楽しくしゃべってて、平穏に暮らしてる。だけど。本当はオレたちみたいに、忘れたくても忘れられない、生きてることも辛くなるような出来事に、遭遇してるのかもしれない。普通の人生を装うために、笑顔を被ってるのかもしれない)


 ───憑依された人の深層に潜入して、トラウマを和らげるんだ。


(他人のトラウマと向き合うって、どんな感じなんだろう。見ず知らずなのに寄り添うって、難しくないのかな。オレにも、同じようにできるのかな。その人のことを何も知らないのに、ユダたちはどうやって救ってるんだろう)


 深層に潜入すれば相手と一対一となるので、手助けしてくれる仲間はいない。ユダは、救う人の気持ちに寄り添ってあげてほしいと言っていたが、自分なんかにできるのか、それをやり遂げる想像はまだできない。

 だがペトロは、意志は強く持っていた。


(オレもできるようになって、強くなりたい)


 一時間ほどのんびりして、デリバリーを再開しようとアプリをチェックすると、ちょうどオーダーが入った。

 ペトロは再び電動キックボードを走らせ、シュプレー川を渡って南下した。



「デリバリーです。ご注文の商品をお届けに参りました」


 とある旧集合住宅(アルトバウ)に到着し、客と対面したペトロだが、他の客の時と対応が違い、真顔で気持ちが入っていない挨拶をした。


「ありがとう、ペトロくん」


 コーヒーと軽食のデリバリー先は、J3S(ヤットドライエス)芸能事務所だった。出迎えたユダは、笑顔でペトロから注文商品を受け取った。


「なんでわざわざ。いつも、自分たちでコーヒー淹れてるじゃん」

「ペトロくんの仕事ぶりを見てみたくなって」


 なぜかユダはにこにこだ。そんなに待ち侘びていたのだろうか。


「ユダ。仕事に戻ってください。で、ペトロ。ついでなんだけど」

「注文はアプリを使って下さい、お客様」


 平板な言い方で、身内にはドライな対応をするペトロ。


「そうじゃなくて。明日もバイトか?」

「いや。休むこともできるけど」

「なら、ヤコブの仕事に付いて行くか? 広告の撮影があるから、見学させてもらえよ」

「興味があればの話だけど」


 ユダは、ヨハネのぶんのコーヒーとプレッツェルを、彼に手渡した。


「でも、一応契約したし」

「契約はしたけど、かたちだけだから。やるかやらないかは、きみ次第だよ」

「じゃあ……。少し興味あるし。付いて行くよ」


 撮影現場を見る機会なんてないし、一度くらい見てみようかと、軽い気持ちで返事した。

 この何気ない選択で、ペトロの日常が少しずつ変化をしていくとは、彼自身にも誰にも想像できていなかった。




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