26話 棺の中。酸鼻は笑う①
鈍色の雲が空を覆っていた。
「はあっ。はあっ。はあっ。はあっ……」
建物は崩れ、コンクリートの塊が転がり修羅と化した巷の中を、シモンは走っていた。
辺りは煙と砂埃で満ちていて、口呼吸をすると口の中が少しジャリジャリする。道も穴だらけでガタガタだった。
走っていると、近くからドンッ! という身体ごと激しく打たれるような音と、爆発音と振動が地面と空気を伝って響いてくる。
(あれ……。ボク、なんでこんなに必死になって走ってるんだっけ……)
「シモン!」
シモンは、誰かに手を引かれて走っていた。視線を上げると、必死の形相のボサボサの金髪の女性だった。
(お母さんだ)
「もう少し頑張って!」
(そうだ。ボクは、危険から逃げてるんだ)
シモンは、母親とともに学校に逃げ込んだ。
そこは、避難して来た人ですでにいっぱいだった。服が汚れて靴を片方なくしていたり、毛布に包まる子供に親が抱き締めていたり、必死にここへ辿り着いた人で溢れ、皆一様に不安に満ちた表情だ。
ある教室には、怪我人がたくさん横たわっているのを横目に見ながら 落ち着ける場所を探した。
教室に入れなかった二人は、廊下の空いていたスペースに腰を落ち着けた。
「ここにいれば、ひとまず安心よ」
「ねえ。お父さんは?」
「お父さんは、みんなを守るために戦ってくれているわ」
母親はシモンの肩を抱きながら、着ていた服の裾で汚れたシモンの頬を拭いた。
防衛ラインは守られている。だから、避難して来た人々は安心していた。
ところが、爆音がすぐ近くで起き、振動も伝わって来た。人々はざわめき、恐怖を浮き立たせる。
そこへ、ライフル銃を提げた味方の男性が、血相を変えて駆け込んで来た。
「マズい! 防衛ラインが突破される! ここを離れるんだ!」
人々は早急に場所を移るために、一斉に移動を始める。シモンも再び母親に手を引かれ、他の人の後に付いて移動を始めた。
爆音は続いている。少しずつ近付いているのは気のせいだと言い聞かせて、恐怖を押し込めながら人々は避難を急いだ。
出口へ向かう途中、シモンの足にうさぎのぬいぐるみが当たった。前方で、シモンよりも年下の幼女が泣いていて、抱き上げてあやす母親は、ぬいぐるみは諦めるよう言い聞かせていた。
シモンは、その子に渡そうとぬいぐるみを拾った。その時。
ドオォォォンッ!!!
耳をつんざく破壊音と地震のような振動に襲われ、驚いて目を瞑り、周りの人たちと一緒にしゃがみ込んだ。
とてつもない衝撃で、数秒聴覚を失った。息を吸うと大量の砂埃が器官に入って来て、身体が異物を吐き出そうと咳をした。
すると、風を感じた。窓は開けられていなかったはずなのに。
目を開けられるようになると、顔を上げ立ち上がった。その瞬間。
目にした惨状で、心臓が一瞬死んだ。
「あ…………」
目の前から、廊下がなくなっていた。建物ごと抉られ、鈍色の空が見えていた。
校舎の一部だったものは瓦礫の山となり、その下に、避難をしようとしていた怪我人を含む数十人が下敷きとなっていた。ぬいぐるみを渡そうとした少女も。
仰向けに虚空を見つめる死体の顔と、目があった。
「ぅ……うああああああああああっ!!」
シモンはパニックとなり、頭を抱えてしゃがみ込む。
一瞬のうちに何が起きたのか、幼いながらも理解できた。けれど、目の前で複数の命が無差別に奪われた残酷は、精神が拒絶した。
「ああっ……。ああああっ!」
足が竦み混乱するシモンを、母親が腕を引っ張り立ち上がらせる。
「何やってるの、シモン! 逃げるのよ!」
「で……でもっ」
「逃げないと、次は私たちが死ぬのよ!」
「……っ」
「早く立って!」
腕を引っ張られたシモンは、混乱の悲鳴を上げる生き残った人々の波の中を、母親に強く手を握られて校舎から逃げ出した。




