20話 懶惰は手が焼ける
シェオル界には、娯楽と言えるものはない。永遠の夜のが続き、時間感覚もなく、住人は退屈を退屈で潰すしかないような場所だ。
時間感覚がないということは、彼らには「一日」や「一年」といった概念も皆無だ。存在する限り、延々といるしかない。
そんな世界で唯一、時間というものを体現しているものがある。マタイが埋めた植物の種が、成長を続けているのだ。光合成もできないのに、もう50センチを超えている。
それを眺めるマタイは、嬉しそうに愛でていた。そこへ、ふらりとタデウスがやって来る。
「其れが、フィリポが言ってた奴?」
「見てみろ。葉が青々としているだろう」
タデウスは興味なさげに「ふーん」と相槌を打ち、マタイの隣にしゃがんだ。
「宝物の種だったんでしょ? 育てちゃって良いの?」
「此れは、育てなければ意味が無い。良い加減、育ててやらねばと思ったんだ」
「皆んなが喜ぶって、どんな植物に育つの? 花を咲かせる? それとも果実とか?」
「何も食え無いのに、食い物を育ててどうする。花もあった所で、虚しさが一際強調されるだけだろう」
「まぁ、何でも良いや。興味無いし。何方かって言うと、使徒の方が気になるし」
植物の興味がゼロになったタデウスは体育座りをし、雑草を弄り始めた。
「やる気が無いお前でも、気になるのか」
「だって。フィリポが尻尾巻いて帰って来たんだよ? ぼく達の中で一二を争う、負けず嫌いのあのフィリポが。そりゃあ、一寸は気になるよ」
気になるとは言いつつ、その覇気のない口振りからはそんな様子は全く覗えない。
「珍しいな。と言うか、人間に興味を抱くのは初めてじゃないか?」
「人間に関わったって、良いこと無いしねー」
「其れは言えている。だが、邪魔な存在の奴等は、排除しなければならない」
「そうだねー。まぁ、其れはマタイたちで頑張ってよ。ぼくは見てるだけで、十分暇を潰せるから」
「何だ。今度はお前が、使徒の相手をしてくれるんじゃないのか」
期待したマタイがそう言うと、タデウスはあからさまに嫌がる顔をして寝転がり、ボブヘアを乱した。
「えーっ。やだよー。行きたくないよー。此処から動きたくないよー。戦うなんて面倒臭いー」
(やれやれ。駄々が始まった)
基本的にやる気がないのに珍しく意欲を見せたのかと思いきや、いざ白羽の矢が立てられそうになると態度で前言撤回するタデウスに、マタイは呆れる。
「使徒に興味が有るんじゃないのか?」
「一寸気になるだけだよー。戦いたいなんて一言も言ってないし、微塵も思ってないよー」
「行ってくれると助かるんだが」
「やだってば。だって、あのフィリポを敗走させたんだよ? マタイの次くらいに強いのに。使役してるグラシャ=ラボラスだって、ゴエティアの中じゃ其れなりの階級だよ? なのに負けてるんだから、ぼくなんかが勝てる訳ないよー」
「タデウスが使役するゴエティアも、底々の階級だろう。其れにフィリポの敗因は、奴本人にある」
「そんな事言うなら、マタイが行きなよー。蝶を探してるんでしょー?」
「今はまだ、俺が求める『蝶』かどうかを見極めている所だ」
「兎に角、行かないよ。何言われても、梃子でも動かないから」
タデウスは、寝転がりながら膝を抱えた。その姿はまさに、駄々をこねる子供だ。
しかし、苦杯を嘗めさせられたままという訳にはいかない。リベンジでフィリポに行かせる手段もあるが、まだ自分の敗因を理解していないうちに行かせては悪夢の繰り返しとなる。
使徒に興味ゼロになってから動かすよりも、興味を持ち始めた今行かせた方が動かしやすい。時間的梃子の原理を有意と考えたマタイは、タデウスにやる気を出させようとする。
「良いのか、其れで。本当の痛みを知らない奴等を、調子に乗らせるぞ」
タデウスはピクリと反応した。すぐには動かなかったが、マタイの煽りを受けて怠そうに身体を起こした。
「はあっ……。しょうがないなぁ」
「やる気になってくれたか」
「そんな事言われたら、彼奴等を哭かせたくなっちゃうじゃん」
やる気スイッチが入ったタデウスはやはり怠そうだが、その緑色の目は腐っても死徒の一人であることを証明していた。
シモンは、今日もヤコブと帰宅の途に着いていた。乗り換え駅のアレクサンダー駅でヤコブの自転車と一緒にトラムから降り、バス停を目指してアレクサンダー広場を横切る。
駅の目の前に広がる広場の周囲にはデパートやホテルが建ち、シンボルであるウーラニアー世界時計を目指して来る観光客もいるので、日頃から人が多い。
「ていうか。また友達に誘われてたんじゃないのか?」
「今日は大丈夫だよ。それに昨日、ちゃんと埋め合わせしたし。一昨日は、一緒に図書館で勉強もしたから」
「なら、安心した」
その世界時計の側に、人だかりができていた。人々は、何かを囲んでざわついている。
「なんだ。何かあったのか?」
「……ねぇ、ヤコブ。この感じって」
シモンがみなまで言うまでもなく、ヤコブもそれを察知した。
悪魔の気配に似た重く纏わり付く感じの、死徒の気配だ。だが、辺りにそれらしき姿はない。
二人は死徒の気配に警戒しながら、気になる人だかりを掻き分けた。そして、その中心にいた者にギョッとする。




