19話 見つけられないもの
「どうした、ペトロ。告られたのバレて恥ずかし過ぎて、惚けてるのか?」
ペトロは、ヤコブのイジりにも反応しない。その視線の先には、仲良く買い物をする両親と小さい子供がいた。
その親子を見つめたまま、ペトロは二人に尋ねる。
「あのさ。時々、考えてることがあるんだけど。人並みの幸せって、何だと思う?」
「人並みの幸せ?」
「父さんに言われたんだ。人並みに幸せでいてくれたら、それでいいって。でも、人並みの幸せってどんなことを言うのか、わからなくて」
ユダはその時一緒にいたので、ペトロがそう言われたことを覚えていた。彼の父親が込めた思いを、心に留めて。
その質問の意味の深さを知らないヤコブは、即答する。
「そんなの簡単だろ。寝て食って遊んで寝ることだ!」
「ヤコブくんの考えは、シンプルだね」
「あと。働けることだな。それが人間の基本の生活サイクルだし、それができてれば幸せだろ」
ペトロは、若干見下した目でヤコブに振り向いた。
「ヤコブのは、シンプル過ぎて参考にならない」
「おう、なんだその目は。俺が単純バカとでも言いたそうだな」
「単純は単純だけどな」
冗談半分のペトロのケンカをヤコブが買おうとしたので、ユダは「まあまあ」と宥めた。
「オレが知りたいのは、そんなことじゃないんだ」
「周りの人がどんなことに対して幸せだと感じてるのか、ってこと?」
ユダが尋ねると、ペトロは頷いた。
「オレは少なくとも、あの出来事が起きるまでは幸せだと思ってた。だから、家族がいなくなってからは、幸せだと思ったことはない」
「ペトロの中じゃ、家族がいることが幸せの基準だったのか?」
「たぶん、そうだった。家族がいれば、特別なことがなくても楽しかったし」
「だから今は、幸せだと思えない?」
またユダが訊くと、ペトロは後ろめたそうな顔をする。
「ヤコブが言った基本も、ある人たちにとっては幸せの基準だと思う。だからそう考えると、衣食住に困ってなくて働けてるのは幸せなんだと思う。でも、それじゃ何か足りないんだ」
「足りない?」
「幸せな時って、心が満たされてるだろ。今は、それがないんだ。もちろん、みんなといるのは楽しいし、新しいことも始めて充実し始めてるなとは思う。だけど、物足りなく感じるんだ……。オレ、贅沢なこと言ってるのかな」
幸せについてこんなに悩むのはおかしいのだろうかと、ペトロは自分の感覚を疑った。けれど、その悩みにヤコブとユダは共感できた。
「俺たちも一度は絶望を味わってるから、お前の悩みはわからなくはないよ。幸せってものが何なのか、迷子になるよな」
「でも幸せの基準は、きっと人それぞれだよね。働いて、お金を稼げてることだったり。家庭を築いて、子供がいることだったり。自由を満喫してることだったり。十人十色の考え方があるよ」
「じゃあ。ユダとヤコブは、どんな時に幸せを感じる?」
「どんな時か。改めて訊かれるとなぁ……」
ヤコブは腕を組み、自分の心が満たされている瞬間を思い起こす。
「やっぱり、お前らとくだらないことで笑ってる時かな。なんだかんだで、そういう何気ない時が一番感じるかも」
シモンといる時は違うのかと尋ねたが、それは幸せの中でも特別だとヤコブは答えた。
「私も似たようなものかな。みんなに囲まれてる時に、幸せを感じるかも。記憶がなくて頼る人が他にいないから、仲間としてみんなと出会えたことに感謝してるのもあるかな」
「つまり。本当は近くにあるけど、オレが気付いてないだけ?」
「幸せって当たり前な顔して近くにいるから、意識はしづらいよな」
「きっと、その人にとって一番大事だと思うものが側にあることが、幸せって言うのかもね」
「一番大事なもの……」
ユダとヤコブの所見を聞いて、ペトロは深く考え込む。
(前は、家族が一番大事だった。それなら、今のオレには何が一番大事なんだろう……)
スーパーのあとはベーカリーにも寄り、今日の買い出しは終わりだ。
車に乗る直前にスマホが鳴ったヤコブは、現在電話中だ。彼の電話が終わるまで、ユダとペトロは車内で待った。
「ペトロくん。今日は付き合ってくれてありがとう」
「別に。買い出しくらい、いつでも付き合うよ」
車内はカーラジオが流れていた。リクエストされた曲名をDJが紹介し、流行りの歌手の歌が流れ始める。
それに耳を傾けていないペトロは、口を開いた。
「……あのさ。返事、待たせてごめん」
「いいよ。気にしないで」
「でも。ずっと前なんだろ? 好きになってくれたの」
「さっきのヤコブくんとの話、聞いてたの?」
距離は少し離れていたが、耳をそばだてていたペトロは、ユダがずっと片思いをしていたことを聞いてしまった。
「いつから……」
「話すと長くなるかな。丸一日あればなんとか」
「徹夜して聞けって言うのかよ」
「それは冗談だけど……。一目見た瞬間から、きみのことがずっと忘れられなかった」
ユダは、バックミラー越しに視線を送った。斜め後ろに座るペトロはその視線に気付いて、バックミラーに映るユダと目を合わせた。
直接見つめられなくても、滲み出る優しさが伝わってくる。真っ直ぐで熱を帯びた気持ちと一緒に。
ペトロはその視線から逸らさず、ちゃんと向き合った。
「ありがと。オレのこと気遣ってくれて」
「時間は気にしなくていいよ。考えてくれてることが、私は嬉しいから」
「うん」
贈られる思い遣りが、やけに心に沁みる。不思議と、泣きたくなるほどに。
(やっぱり、ちゃんと応えたい。こんなに真っ直ぐで、溢れるほどの温かい思いを注いでくれる人、出会ったことない……。無駄にしたくない。毎日少しずつ捧げてくれる、その気持ちを……)




