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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第2章 Bemerkt─希望と、選ぶもの─

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10話 モスト・ニアミス



 髪を適当に乾かし、服を着ようとした。

 その時。バスルームのドアが突然開いて、ペトロがいるとも知らずにユダが入って来てしまった。


「あっ」

「えっ!? ちょ、何で……って、ぅおおっ!?」


 動揺して慌てたペトロは、落ちていた何かで足を滑らせ倒れかける。


「ペトロくん! ……って、ぅわっ!?」


 ユダは倒れるペトロを助けようとしたが、服を掴まれて一緒に体勢を崩す。二人はドスンッ! ドタンッ! と盛大な音を立てて倒れた。

 ペトロはお尻を強打し、肘も打ってジンジンする。


「……ったあ〜……。お尻打った……」


 ペトロがパッと目を開けると、目の前にユダの顔があった。


(あ……)


 巻き込まれて倒れたユダは、不可抗力でペトロに覆い被さる体勢になっていた。

 立てたペトロの膝が、ユダの股間に当たりそうになっている。膝立ちになっているユダの足も、ペトロの股間スレスレだった。


「…………」

「…………」


 唐突に訪れた場面に二人の思考は止まる。

 ブラウンの瞳と、碧い瞳が交差する。

 唇が奪われてしまいそうな距離に、ペトロの鼓動はにわかに早くなる。

 一体何が起きたのか、ユダは一瞬では考えられなかった。

 血液が身体中を走るように巡る。

 身体の中心から熱くなる。

 脳が熱にやられて、理性に火の粉が飛んで焼けるようだった。

 触れたい。でも、まだ触れられない。触れてはいけない。でも、触れたい。

 触れてしまいたい。

 ユダは無意識に、少しずつ少しずつ、ペトロに顔を近づける。驚いて少し開いた赤みを帯びた唇を、奪おうとした。


「……ペトロくん」


 ユダはペトロの手を握る。「……っ」構えたペトロは、目をギュッと瞑った。

 しかし。


「大丈夫?」


 手を取ったユダは、身体を起こしてくれた。


「頭打ってない?」

「え? ……う……うん」

「ごめんね。驚かせて」


 いつものユダに戻っていて、身構えたペトロはホッとして身体の力を抜いた。


「ううん。オレも、内側から鍵掛けるの忘れてたから……。トイレ?」

「行こうとしてたんだけど、それはいったんどうでもよくなって……。ペトロくん」

「なに?」

「前、隠さなくていいの?」

「……っ!」


 パンツは穿いていたが上半身は裸だったペトロは、真っ赤になりながら慌てて両腕で胸を隠した。ついでに股も閉じた。


「みっ……見なかったことにしろ!」

「それは無理かも。ピンク色のかわいいものが目に焼き付いちゃったし」

「今すぐ忘れろ!」

「どうしようかな……。ん?」


 ユダは、手元に落ちていた布状のものを取った。広げるとそれは、ペトロのボクサーパンツだった。


「これはもしや。ペトロくんの使用済みパ……」

「ギャーーーーーッ!!」


 首まで赤くしたペトロは、ユダの手から使用済みパンツを隼のごとく奪取した。


「アレもコレも見なかったことにしろ!! 記憶喪失になれーーーーーっ!!!」



 ペトロに半泣きで記憶喪失を偽装されそうになったユダは、何度も謝って二度目の記憶喪失は回避した。

 難を逃れたユダは、ベッドに腰掛けると深く息を吐いた。


「危なかったぁー……」

(唐突の出来事で、理性を忘れそうになってしまった……。でも助かった。さっきあの話をしたおかげかな)


 ───もしも、キスできそうな雰囲気になったらどうする? 流れでしちゃうのか?

 ───しないよ。ペトロくんの返事を聞くまでは、何もしないって決めてるから。


 ヤコブとのあのやり取りを思い出したおかげで、ユダは理性を取り戻した。もしも今晩、飲みの誘いがなくそんな話もしていなかったら、欲望に負けてペトロの唇を奪ってしまっていたかもしれない。


(ヤコブくんて、予言者じゃないよね?)

「ユダ」


 声を掛けられたユダはパッと顔を上げ、仕切りの棚の隙間からペトロの顔を見た。部屋が間接照明の明かりだけで薄暗く、はっきりとした顔色は窺えない。


「オレ、先に寝るよ」

「うん。おやすみ」

「おやすみ」


 ペトロは就寝の挨拶をして、ベッドルームに入った。

 二言交わした限り、隔たりは感じなかった。

 あれは事故だと思ってくれているだろうか。しようとしたことには気付いていないだろうか。

 明日もペトロとの関係が維持できることを願って、ユダも早めにベッドに入った。


 ベッドに潜ったペトロは、眠りに就こうとしていた。けれど目を瞑っても、脳が覚醒していてまだ眠れそうになかった。


(さっきは本当にびっくりした……。考え事してて鍵を掛け忘れた自分が悪いんだけど、まさかあんなことになるなんて……)


 自己責任で起きてしまった事故が、頭から離れない。自分の目の前にあったユダの顔を思い出すと、ギュッとなった心臓が手を当てなくてもドキドキしているのがわかる。


(キスされるかと思った。だって。いつものユダの顔じゃなかった)


 メガネ越しに交わったその目は、本気に見えた。だからペトロは身構えてしまった。


(ダメなのに、あの目と目が合って、キスされてもいいかもって、ちょっと思った)

「……っ」


 一連のことが繰り返し脳内再生され、赤面して頭まで布団を被った。


(もう考えるのやめよう。あー、でも。明日の朝、顔合わせづらい。上半身を見られた上に、脱いだパンツを……)

「本当にマジで忘れてほしい……」


 今日の事故は、都合よくお互いの記憶から抹消することはできない。ペトロはちょっとだけ、朝が来ないでほしいと思うのだった。




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