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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第1章 Vorahnung─巡り会う─

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5話 お試し戦闘



「なあ。あの鎖って?」


 ペトロは、女性と悪魔を繋げている鎖の正体を訊いた。


「あれは、人間で言えば臍の緒みたいなものだよ。憑依した人間の外に出ても、繋がった鎖から負のエネルギー(栄養)をもらってるんだ。そして、悪魔の所有物という証でもある」

「何だよそれ。マジで貪ってるのかよ」

「マジで頭にくるよな。だけど。あれを断ち切らないと、憑依した悪魔を祓魔しきれねぇんだよ」


 その前に、憑依された人間の心を救うための、深層潜入をしなければならない。


「この前は、ヤコブが深層潜入したんだよね。じゃあ今回は、ボクが行って来るよ」

「わかった。気を付けろよ、シモン」

「よろしくね」


 シモンは倒れた女性の傍らに座り、頭に触れて目を瞑り、その深層への潜入を開始する。


潜入インフィルトラツィオン!》


「深層潜入って?」

「憑依された人の深層に潜入してトラウマを和らげ、悪魔への負のエネルギーの供給を妨げるんだ。悪魔を祓った際の負のエネルギーの逆流も、抑えられるんだよ」

(そんなこともしてるんだ……)

「おい。こっちも来そうだぞ」


 貪った負のエネルギーを内包した悪魔から、悍しい気配が醸し出されている。その姿形はまるで、人間のもう一つの姿のようだ。その気配を感じるペトロも不快感を忘れ、緊張感が身体に満ちていく。


「ペトロくん。絶対に、私の側から離れないでね」


 ユダはペトロの壁となり、悪魔を迎え撃つ体勢を取る。

「ガ%ァ#£ッ!」悪魔は先制攻撃を仕掛けてきた。伸びた腕が鞭のようにうねり、コンクリートを砕き信号機を破壊する。


「降り注げ! 祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲン!」


 ユダは、無数の光の弾丸を集中的に降らせ、鞭の腕を切断する。がしかし、鎖から得る負のエネルギーによって、腕はすぐに元通りになる。


「元に戻った!?」

「こういうところが厄介なんだよね」

「俺が悪魔を引き付ける。ユダは新人を頼む!」


 ザコ悪魔などに恐れを抱かないヤコブは、勇猛果敢に接近しながら攻撃を仕掛ける。


「貫け! 天の罰雷(ドンナー・ヒンメル)!」


 青空から落とした雷は避けられた。だが、後方支援のユダも、悪魔が逃げた先に間髪を入れず同じ攻撃を放ち、ダメージを与える。「@∅μッ!」

 二人は、時には防御(フェアヴァイガン)で反撃を防ぎつつ、シモンの深層潜入が完了するまで時間を稼いだ。




 シモンは、憑依された女性の深層に到着した。

 そこは暗く、一つの音もない、どこまでも続く深海のような空間。ここが、人間のトラウマが沈む深層意識の世界だ。

 その孤独の空間に、現実と違いアウトドアウェアを着た女性がへたり込んでいた。彼女の周りには、人物や風景が写った何枚もの写真や、メモ用紙、カメラ、男性物の時計などが散りばめられている。


「どうして……。どうしてなの……。わたしのせいで、あなたは……」


 女性は瞳から雫を落とすが、そこには悲傷よりも酷い自責と自己否定、そして絶望感があった。


(何かがきっかけで、大切な人を喪った罪悪感を思い出しちゃったんだ……)

「あの時のわたしは、自分のことばかり……。そのせいであなたは……。わたしが手を離さなければ……。わたしは、なんて酷いことを……」

(自分のことを一番に考えたばかりに、大切な人のことを二の次に考えちゃったんだな……)

「わたしは、なんて愚かなの……。なんで、こんなわたしが生きているの……。わたしが選択を間違えなければ、あなたは……」

(でも。そういうことは、人生で一度はあるよ。小さなことでも、大きなことでも)

「こんな気持ちは、もう嫌……。生きているのが辛い……。だからお願い……。誰でもいいから、わたしを、彼のところに連れて行って……」


 女性は、罪悪感からの開放を望んだ。それが、彼女が一番に望む救いだった。

 だが。そんな救いをするために、シモンはここへ来たのではない。ヘドロのように溜まった罪悪感をなるべく排除し、この何もない孤独な世界から一歩ずつ抜け出す術を見つけるための、手助けだ。

 シモンは女性の傍らに膝を突き、救いの梯子を掛けていく。


「あなたにとっては苦しみに満ちた記憶だけど、それでも覚えてたんですね。でも、それだけその人のことを愛してたってことですよね。でも。そんな人を忘れるなんて、簡単にできない。どんな境遇で喪ったとしても、大切に思っていたぶん、できないんじゃないかな。だから。例え、悲痛と罪悪感にまみれた記憶だとしても、その人のことを忘れられないのは、その人がいた現実をなかったことにしなくなかったから……。そんな気がする」

「忘れたくない……。わたしは、彼を心から愛していたから……」


 シモンは寄り添うように、丸くなったその背中に温かな手を添える。


「きっと、あなたから忘れ去られた方が彼は悲しみますよ。たぶんそれは、本当の意味でその人の死になるから……。あなたは、その苦しみから逃げたいだけど、逃げてもいいことだけど、捨てちゃダメな気持ちです。その気持ちは、確かにあなたの罪悪感かもしれない。だけど同時に、彼を忘れないために生きる理由にもなるんじゃないかな」

「生きる、理由……?」

「それに。あなたが一日も忘れずにいることを、きっと彼は知っています。心に抱え続けてるバックパックは、お揃いを持ってる彼にも十分届いてますよ。だからこれ以上、自分を責めないでください。あなたが望む救いは、きっと、彼が望む救いじゃないから」

「彼が望む、救い……」


 女性は顔を上げ、自分より一回り以上年下のシモンを見る。緑色の瞳に、溢れんばかりの思いを浮かべて。


「あなたは、忘れてはならない経験をしました。けれどその経験は、自分自身を苦しめるために覚えてるわけじゃないはずです。その意味を、探してください。それでも彼への罪悪感が消えなかったとしても、それは、あなたの唯一無二の思いが存在した証です。だからこれからは、彼のことを忘れずにいてください。それが、生きてできる償いです」

「……わたしは……。このまま生きていていいの?」


 頬に涙の跡を残す女性は、溢れそうだった涙を、何度も辿った道に沿って一筋流した。罪悪感から解放される出口を求めて。

 女性を安心させるように、シモンは温顔を湛える。


「大丈夫。きっと、大丈夫です。背負っているものが罪じゃないことが、いつかわかるはずだから」


 濡れる女性の瞳から、涙がダムのように溢れ出した。無色透明の雫が落ちると、真っ暗だった世界に光を灯した。

 彼女のすぐ側にあったメモ用紙には、こう書いてあった。


“ぼくの愛する人へ。二人が大好きな山の登頂に成功したら、ぼくの一生で一度の願いを聞いてほしい。”




 悪魔は攻撃を食らいながらも、何度も腕を再生させ攻めて来た。しかしその再生速度は、徐々に遅くなっている。鞭の硬化も脆弱となり、威力も衰えてきた。


「貫け! 天の罰雷(ドンナー・ヒンメル)!」

「グ℃ォ§ッ!」


 戦闘のピリオドが見えてきているが、ペトロを守りながら戦うユダは、全方向に神経を研ぎ澄ませる。

 攻撃と防御との両立なので集中力が削がれるが、ヤコブがユダへの負担を考えて積極的に前衛に出てくれているので、あとは悪魔がトリッキーな攻撃をしなければ大丈夫だ。


「穿つ! 闇世への帰標(ベスターフン・ニヒツ)!」

「@ア%ゥッ!」


 ヤコブが光の玉から放出した光線を食らった悪魔は、身体に開いた穴が塞がらない。悪魔の力が、だいぶ弱くなっている。それはつまり、憑依した女性からのエネルギー供給が減少していることを意味した。


「……ワタ、§……ノ、¢∈イデ……」

(しゃべった!?)


 悪魔が人間の言葉に近い声を聞き、驚くペトロ。これも、敵を心理的に惑わそうとする悪魔の、汚い戦法だ。


「∅オ#$ッ!」叫んだ悪魔は突然、無闇やたらに、四方八方に鞭を振るい始めた。建物の外壁は削られ、地下鉄の青い看板が切断され落下する。

 ところがその攻撃は無計画ではなく、ユダの死角にいるペトロを狙っていた。


「ユダ! 後ろだ!」


 ヤコブの叫びで、ユダとペトロは同時に振り向く。硬化を失ったただの黒い鞭が、ペトロを襲い掛けた。なんと、その時。


防御(フェアヴァイガン)!」 


 ペトロは教えられてもいないのに、咄嗟に自身で防壁を展開し防いだ。ユダは驚いたが、一番びっくりしているのは、瞬きしているペトロ自身だ。


「すごいじゃないか、ペトロくん。初戦なのに上出来だよ! ……だけど。私の死角を狙ったのは、ちょっと許せないかな」


 悪魔を見据えたユダのメガネが、陽光を反射させて僅かにギラりと光った。


「降り注げ! 祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲン!」

「爆ぜろ! 御使いの抱擁ウムアームン・エンゲル!」


 ヤコブの攻撃に続けて、ユダが仕掛けた。降り注ぐ弾丸に注意はいっても、回避不可能な光に包み込まれる爆発は、さすがにまともに食らった。

「グ&オ@¿ッ!」悪魔は致命的なダメージを負い、身体の再生もままならない。


「私が自由に動けないからって、悪魔でもそのやり方は反則だよ」

「ユダ、お前。なんか怒ってるな」


 悪魔を追い詰めたタイミングで、憑依された女性の深層に潜入していたシモンが戻って来た。


「そろそろ、戻って来ると思ってたよ」

「守りながらは、大変じゃなかった?」

「でも。内面を鍛えるには、ちょうどいいよ」

「じゃあ、今度からローテーションでやってみるか? 精神鍛練」

「うーん。ボクは、普通に戦いたいかなぁ」


 余裕の短い雑談のあとは、祓魔するだけだ。ヤコブとシモンは、自身のハーツヴンデを具現化させる。


心具象出ヴァッフェ・ダーシュテーレン───〈悔謝(ラウエ)〉!」

「〈恐怯(フルヒト)〉!」


 ヤコブは斧のハーツヴンデ、シモンは弓矢のハーツヴンデを手にし、ヤコブが、女性と悪魔を繋ぐ鎖を断ち切った。

 そしてシモンが弓矢を構え、弦を引いて現れた光の矢を弱体化した悪魔に照準を合わせる。


「濁りし魂に、安寧を!」


 放たれた光の矢はきれいな直線を描き、悪魔のど真ん中を貫いた。


「ヴォ$¥ア¢ァ……!」


 悪魔は足掻くも、エネルギー源を断たれ為すすべもなく、塵となって消滅した。

 一部始終を超至近距離で見届けたペトロは、その最後まで圧倒された。


「……すごい」

(これが、使徒の力……)


 教会の神父のように十字を切るのではなく、人間を食い物にする悪しき存在を容赦なく無に還す力。それは、平穏を望む全ての人たちの願いの形であり、その道を開くために自身の痛みを伴うことを顧みない、覚悟の戦いだった。

 ユダたちの緊張感が薄れたのを感じ、ペトロは尋ねる。


「これで、憑依された人のトラウマはなくなるのか?」

「完全に、トラウマが消えるわけじゃないよ。痛みや悲しみが軽減されて、前を向きやすくなるだけ」

「トラウマを完全に消し去れば、楽に生きられる。けど。俺らがやってることは、そういう救いじゃないんだ」


 戦闘が終わり領域が開放されると、戦いの行方を気に掛け待っていた人々が駆け寄って来た。憑依された女性の友人たちは彼女を抱き起こし、その無事に安堵の涙を浮かべ、抱き締めた。


「友達を助けてくれて、ありがとうございます!」

「やっぱりすごいな、使徒は!」

「今日もカッコよかったよ!」


 と、恒例の感謝の拍手とハグの嵐が始まった。慣れたユダたちは一人一人に対応するが、巻き込まれた感じのペトロは戸惑う。


「新しい使徒のきみも、すごかったよ!」

「これから応援するわね!」


 ペトロは人々の歓迎の握手を求められ、オロオロしてしまう。


「オレ、特に何もしてないのに……」

「じゃあ。ご褒美の前借りだね」


 そう言ってユダは微笑んだ。

 怒涛の展開となった仲間入り初日だが、使徒の意志の強さと覚悟、そして、人々からの厚い信頼を実感したペトロだった。




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