1話　変わりゆく日常

　聖霊降臨祭が終わると、青葉が生い茂り初夏の香りが漂い始める。この前まで涼しかったのに、月が変わると上着もいらないくらいの気候に切り替わった。

　季節が移ろいゆくように、人の心も変わりゆく。紫陽花のように、少しずつ、鮮やかに色付いていく。

　この日シモンは、イメージキャラクターに正式採用になったお菓子メーカーの、新しい広告の撮影に挑んでいた。

　そんな記念すべき日に、アルバイトのシフト交代ができず付き添えなかったヤコブの代わりに、ペトロが一緒に来ていた。

　ポップなカラーの半袖パーカーと短パンに着替えて撮影が始まると、チョコレートを食べるふりをしたり、パッケージを見せたりと注文通りのポーズを決めていき、慣れた様子で撮影は進んだ。

「これ、おいしそうに撮れてますね」

「口にチョコ付けてかわいい〜」

「おいしそうだったから、つい食べちゃいました」

「でも、いい一枚撮れてるよ。これ候補だね」

　撮影後。シモンは、スタッフたちと一緒に撮った素材をチェックした。スタジオの隅で見守っていたペトロも、どんな感じで撮ったのか気になって後ろからちょっと覗いていた。

　すると、ヘアメイクの女性が話し掛けて来た。

「あの。シモンくんと同じ事務所の、ペトロさんですよね」

「あ。はい」

「炭酸水の広告やられてますよね。SNSでもバズってる」

（SNS？）

　ペトロは何のことだかわからず心の中で首を傾げたが、バズりっぷりが気になった彼女は、事務所の所属モデル紹介ページも覗いてくれたようだ。

「失礼なこと訊くかもしれないんですけど。あの広告って、全員ペトロさんなんですか？」

「そうですけど」

「AIで作ったわけでもなくて？」

「はい。全部オレです」

　そう答えると、彼女の表情が快晴のようにパアッと明るくなる。

「本当にそうなんだ！　パターンごとに雰囲気が全然違うから、それぞれ別人かと思ってました。事務所のホームページの写真も違うし」

「そんなに違います？」

「全然！　今話してる人とあの広告のモデルさんが同一人物なんて、ちょっと信じられないくらいですよ」

　疑問が解消された彼女は心を弾ませていた。しかしペトロ自身は、普段の自分と広告の自分の何が違うのか全くわからず、ついに首を傾げた。

　周りの人は自分の仕事を褒めてくれるが、ぽっと出の新米モデルをそんなにヨイショすることもないのに、などと心の中では思っていた。

　似たような眼差しは、帰りのバス車内でシモンからも向けられた。

「ペトロって、何か特別な特訓でもしたの？」

「急になんだよ」

「だってさ。この前の憤怒のフィリポ《ツォルン・デア・フィリポ》との戦いで勝ったでしょ。ボクたち、極限状態になって精神の死を迎えるって聞かされてヤバいって思ったのに、自力で棺から脱出してボクたち驚いたんだから」

「特訓なんてしてないし。ていうか、使徒の特訓って何」

「破壊が不可能で精神的にもヤバかったのに、どうして脱出できたの？」　　

「そうだなぁ……」

　尋ねられたペトロは、フィリポとの戦いを思い返す。一皮剥けたので、辛い戦いを振り返ってもそんなに厭わしく感じなかった。

「強いて言うなら、心構えが変わったから……。かな」

「心構えだけ？」

　ペトロの答えに、シモンは何か期待をしているような表情でもう一度訊いた。

「一つ挙げるとしたらそれだけど」

「へぇー。そうなんだー」

　期待した答えは返ってこなかったが、シモンは深堀りはしなかった。ペトロも何か期待されていたように感じ取ったが、聞き返さなかった。

「いいなぁ。強くなれて羨ましいー。世間でも噂されてるし」

「噂？」

「知らないの？　SNS見てないの？」

　SNSはやってもいないしあまり見てもいないペトロに、シモンはSNSに投稿されているコメントを見せてくれた。

　見ると、ペトロの炭酸水の広告の写真がもれなく上げられていて、「この人だれ？　きれい！」「この美人は何者だ！？」「これ男じゃないの？」「同じ商品で三パターンあるけど、全員同一人物なの？　それとも別人？」「あるいは三つ子！」「いや。AIだろ」など、いろいろと書かれている。

「三つ子って……」

（さっきヘアメイクさんが言ってたの、これのことか）

「ユダも、このSNSの反応のこと言ってたよ。企業からも、『広告のおかげで商品の売上が順調に右肩上がりです。ペトロさんに出会えたおかげです。ありがとうございます。毎日拝みます。これからは足を向けて寝られません』て、感謝されたって」

「そういえば、その話聞いた」

　この言い回しからわかるように、ペトロの採用理由を熱烈アピールした、広報担当フィッシャーからの感謝の言葉だ。

　周囲の反応にユダも嬉しそうで、

「ペトロくんがこんなに褒められるなんて、自分のことのように嬉しいよ。ここまでの反応は想像してなかったけど、やっぱりきみにはモデルとしての素質もあったんだ。ペトロくんの輝かしい人生の幕開けだね」

　と、本当に自分のことのように喜んでいた。「輝かしい人生の幕開け」は大袈裟過ぎるが、おかげでこの数日ユダは上機嫌だ。