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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第1章 Vorahnung─巡り会う─

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46話 進みたい道。ためらう道



 憤怒のフィリポフィリポ・デア・ツォルンと、そのゴエティア・グラシャ=ラボラスとの戦いから数日後。

 この日は、ペトロの初仕事である炭酸水の広告が各所に掲出される日だった。

 ペトロは、アルバイトもないのでのんびり過ごす予定だったが、怪我が回復したユダに「せっかくだから見に行こう」と午前中から強引に連れ出された。

 広告は、駅構内やトラムの停留所など各所に出されていた。ペトロを起用してくれたフィッシャーから、どこに掲出されるか情報を得ていたユダは、周れる限り車で周るつもりだ。

 事務所の社長が、新人の初仕事がかたちになったことを喜んでくれるのは大変ありがたいことだが、同行するペトロは、彼女の長ーい買い物に付き合わされる彼氏の気分だった。

 飽くまで、彼女がいた友人に聞かされた愚痴で例えてみただけだが、連れ出されて一時間ほどで飽きてきたので、たぶん理解はできた。


「なぁ。撮り過ぎじゃないか?」

「そんなことないよ。あ。ここにも! ナチュラルバージョンだ」


 ユダは、通りすがりのトラムの停留所の広告を連写する。

 なんとパターンは、ナチュラル・キュート・クールの三種類ある。会議で使う素材を選びきれなかったらしく、それぞれのパターンからイチオシの一枚が選ばれたのだ。

 ペトロ推しのフィッシャーは電話越しに「どれも押しだったので苦渋の選択でした!」と、絞り込むのが本当に辛かったようだ。


「もうやめろって。一緒にいるオレが恥ずかしくなってきた……」


 通行人の視線が気になるペトロをよそに、ユダは広告の前を指差した。


「ペトロくん。ここに立って」

「え。なんで」

「一緒に撮ってあげるよ」


 観光地で記念写真を撮るテンションで、にこやかに言った。


「いいって。何で自分と撮らなきゃならないんだよ」

「でも、初仕事の広告だよ? 記念に撮りたくないの?」

「遠慮する」

「えーっ」


 とても残念がる、ペトロ推し第一号のユダ。今日は、いつもの包容力と紳士さは部屋に忘れてきたらしい。

 その若干甘えた顔を見てしまったペトロは、ちょっと心臓をキュッとさせ、小さく溜め息をつく。


「わかったよ。一枚だけな」


 ペトロは指示された位置に立ち、広告の自分と並んだ。ところが、一枚だけと言ったにも関わらずユダは連写した。


「おいっ! 一枚だけって言っただろ!」

「そんなに恥ずかしいの? でも。かっこいいよ、ペトロくん。惚れ惚れする」


 久し振りの落とし文句を不意打ちされて、違う恥ずかしさでペトロはちょっと赤くなる。


「もう満足しただろ。あとは実物で我慢しろ」

「うん。十分撮ったから満足だよ。掲載されてる雑誌も買ったし」

「いつの間に……。一体どれだけ撮ったの?」

「えっとね……。動画は25本。写真は1056枚」

「マジで撮り過ぎだろっ!」


 生き生きとするユダは、充実感を得られて満足げだ。出会って初めて見る表情に、呆れていたペトロは、ちょっとだけ「ま、いいか」と大目に見てあげた。




 二人は休息場所を求めて移動し、カフェでコーヒーをテイクアウトしてシュプレー川の遊歩道で一息ついた。

 川に掛かる赤レンガのオーバーバウム橋は、中世の城壁のようだ。二階建ての構造の橋の下は歩道と車道で、線路が引かれた上には黄色い車体の電車が走る。

 時刻は夕方。太陽が橋の向こう側に傾き、目の前の川の水面には、陽光が落とした小さなダイヤモンドがいくつも漂っている。


「連れ回されて疲れた」

「ごめん。楽しくなっちゃって、つい……」

「満足そうで何よりだけど」


 ペトロは柵に寄り掛かり、久し振りに甘くしたカフェラテを飲んだ。


「ペトロくんは、自分の広告見てどうだった?」

「何か、変な感じ。自分じゃないみたい。別の次元の自分、みたいな」

「きっと、これからも仕事のオファーは来るよ。またやる?」

「ぽっと出なのに、そんなに仕事が来るとは思えないけど」

「来るよ」


 ユダは淀みなく断言し、そして予言する。


「私は、きみの可能性を見出してる。これからペトロくんは、みんなに知られる存在になるよ」

「それ、社長だから言ってるの?」

「半分半分かな」

「半分は社長としての期待だろ。あとの半分は?」

「私個人の推したい願望、かな」

「またそうやって変なこと言うー」


 ペトロは微苦笑した。数日前までとは違う、自然に出た笑みだった。その笑みに、ユダも目を細める。


「ペトロくん。前よりだいぶ表情が明るくなったよね」

「そうか?」

「うん。最初の頃はほとんど笑わなくて、あんまり表情が変わらなかった」

「だいぶ印象悪かったんだな……」

「きっと、重い荷物持ってたから、そんな余裕がなかったんだよ」

「だとしても、仲間になる相手に愛想悪いのはよくなかったよな」


 自省して苦笑いしたペトロだが、すぐにその表情に少しの陰を落とした。


「……オレ、このまま進んでいいのかな」

「ためらってるの?」

「ユダに声掛けられて使徒になってから、日常が充実し始めた。それはいいことなんだけど、幸せになっていいのかなって」

「ペトロくん」

(まだ、家族のことを気に掛けて……)


 ペトロは、今の心情を一つずつ吐露し始めた。


「新しい日常が始まって、自分の気持ちにも少しずつ変化が起きて、家族の記憶を捨て去って生きようとしてるんじゃないかって自分を疑ってる……。墓地に行って、教会堂にも行って、ある程度気持ちの整理はできたと思ったけど、全然でさ。あいつ……フィリポに言われたんだ。『亡くなった家族が生き残った人間の無事を願うのは、生き残った奴が綺麗に飾った妄想なんだ。死んだ人たちは痛みと熱に苦しんで、そのまま死んだのに、生き残った人間のことなんか考えられると思うか?』って……。そう言われて、オレは自分の都合の良いように家族の思いを作ってたんだってわかって、自分の罪を自覚した」

「前にも言ったけど、きみに罪なんて……」


 ユダは罪悪感を否定しようとするが、ペトロは首を横に振る。


「死者と生存者の思いは、たぶん、擦れ違ってる。怨念の塊だっていうあいつの言うことに、悔しいけど納得したんだ。オレが抱いていたのは全部綺麗事で、自分を罪から守ろうとしていただけなんだ。そんなオレが、幸せとか貪欲に求めちゃいけない。幸せになったら家族のことを忘れてしまうかもしれないって、怖くなった」

「凄惨な出来事で喪った人を、どうやって忘れられるの。忘れられるはずがないよ。もしもフィリポが言ったことを信じているなら、それはコントロールされてるだけだ」


 ペトロがまた心を閉ざしてしまうのでは、自分から離れていってしまうのではないかとユダは憂慮した。


「いや。事実だよ。たぶん、()()()()()()()()()()()()()()わかったんだ。オレが間違った生き方をしようとしていたことも、死んだ家族に恨まれてるかもしれないことも」

「恨んでるなんて……。きっと、そんなことないよ」

「それも全部願望なんだ。オレはそれを認めた。だから、怨まれててもいい。呪い殺されたっていいって思った」

「そんな……。それじゃあ。死を迎えるのを待つことが、きみのこれからの生き方だって言うの?」


 ユダは哀憐の表情で尋ねた。罪悪感に囚われて生き続けるのかと。

 ところがペトロは、一笑して言う。




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