44話 いざなう炎
(……痛い……。痛い……。熱い……。いたい……。あつい…………)
パチパチと鳴りながら燃える木材。
灰と化して強度がなくなり、折れる音。
ミシミシと歪ませながら、身体を圧迫する屋根。
ペトロの身体は、燃え盛る倒壊したクリスマスピラミッドとメリーゴーラウンドに挟まれていた。
身動きが取れない。寧ろ、取れる精神状態ではなかった。
(あつい……。誰か……助けて……)
ペトロの意識は朦朧となる。熱くて、痛くて、堪えるのはもう嫌だった。全ての苦しみから開放されたかった。
向こう側が近付いている気配がする。
「……あ」
そんな時、炎の隙間から人影が見えた。ペトロは助けが来たのだと思い、その人物に懸命に手を伸ばした。
(助けて……。お願いします……。オレを……助けて……)
息ができず、声も出せず、手を伸ばすことで救助を求めた。
ぼやけていたその人物の輪郭が、次第にはっきりしてくる。顔もわかるようになり、ブロンドの男の子だと判別できた。
「……」
それは、十五歳当時のペトロだった。こちらを見ている自分は、恐怖と絶望に満ちた表情で瞳を揺らしていた。
そんな自分の顔を目の当たりにしたペトロは、救助を求めた手を力なく落とした。
(あぁ……。オレはあの時、こんな顔をしていたのか……。助かる見込みはないって、完全に諦めた顔じゃないか……。無力な自分が情けない……? そんなの、自分を少しでも守ろうとした綺麗事じゃないか……。オレは最初から、助けたいなんて思ってなかったんだ……)
家族の側になって始めて、あの時の自分の表情と本音を知ったペトロは、思っていた自分とかけ離れていて愕然とした。
絶望の淵に立たされるペトロの傍らに立つフィリポは、瞋恚の眼差しを落とす。
「漸く分かったか。愛する家族に、テメェがどんだけ酷い終焉を迎えさせたのか。助ける事を諦めたテメェの顔を見た家族は、何て思っただろうなぁ? 『早く逃げて』? 『貴方だけでも無事で』?」
フィリポの眉間に深く皺が刻まれる。
「そんなんは生き残った奴が綺麗に飾った妄想なんだよ! 此方は巨人に踏まれたような痛みと火刑にされるような熱に苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんで! 其のまま死んだ。それなのに、生き残った奴の事なんか考えられると思うか? なあ。思うか!?」
赤い双眸は炎のように怒りに燃え、悪魔の形相でペトロの頭を踏んだ。
「お……思わ、ない……」
「だろぉ? 無力な自分も、一人で頑張ろうとした自分も、ぜぇーんぶテメェの罪からテメェを守るための鎧なんだよ。詐欺師みたいなやり方で被害者アピールして同情を求める、下衆い糞野郎が! 結局テメェは家族を見殺しにしたんだ! 見殺しにしてテメェだけ幸せになろうとした! 其れは変わらない事実で、テメェが死んで償うべき罪過なんだよ!」
罪を厳しく咎め、頭上から銃弾のごとく撃ち込まれる言葉の数々に、ペトロの精神は闇に蝕まれる。
「此の世は本当に、救いようの無い愚物野郎ばかりだ。テメェの罪すら自覚しねぇまま死んでく。でも、テメェは偉いぞ。ちゃんとテメェの罪を認めた。だから救ってやるよ。其の苦しみから開放してやる。其の死を以てな。テメェは此処で堕ちろ!」
脱力したペトロの腕は、指の一本も動かなかった。諦念の幕が降り始め、助かろうとする気力はもはや浮かばなかった。
(オレは、何もわかってなかった。あの時の自分が、本当に抱いた気持ちを。死んだ家族の思いすら……。何が一人で生きるだ。何が強くなりたいだ。全部、自分のためのまやかしじゃないか。オレは、そんなふうに生きたかったんじゃないのに……。やっぱりオレは、幸せになっちゃダメなんだ。そんなものを欲しがっちゃいけないんだ。そんな貪欲な気持ちなんか、持っちゃダメだったんだ。そのしっぺ返しがこれなんだ。オレの選択は、最初から全部間違ってたんだ。だから罪を犯したんだ……)
ペトロの脳裏に、ユダから言われた言葉が甦る。
───生存者のきみに科される罪もない。
(そんなことない。償い切れない重い罪を犯したんだから、そんな優しい言葉はいらないんだ。誰かの優しさなんて、もらっちゃダメなんだ。居場所なんて、作っちゃダメなんだ。大切な存在なんて、求めたらいけないんだ……)
ペトロは、いざなわれるように堕ちていく。二度と陽のあたる場所で生きられなくなり、使徒ではなくなる道を沈んでいく……。
そんな時だった。力をなくした右腕を通して、何か感じるものがあった。
(何だろう。この感じは……。引き留められてるような……。誰だ……。もしかして……ユダなのか? お前が、オレを呼んでるのか? ダメだって……諦めるなって……そう言ってるのか?)
ペトロは思い出す。ユダから与えられた、数々の思い遣りを。注がれた優しさを。倒れそうになっても側にいたいと言ってくれた、愛情を。
(こんなオレでも、お前は受け入れてくれるのか?)
その全ては、一つも零れることなく心に沁みていた。蝕む闇を拒むように、それだけは聖域で守られていた。
僅かに残っていた希望に、ペトロは涙する。
(ユダが、オレのことを信じてくれてる。オレが帰るのを、待っててくれてる。そんなユダの気持ちを、裏切りたくない。きっともう二度とない出会いを、こんな結末で終わらせたくない……)
ユダがくれた真っ直ぐな思いは、彼にとって大切なように、ペトロにとっても大切なものだった。それを何一つ返さずに、別離を迎えたくなかった。
何より、手放したくなかった。
ペトロに、少しずつ生気が戻ってくる。




