35話 傷の旅─帰郷①─
翌日。ペトロの不調はよくなり、ユダの怪我も、安静にしていたおかげで一晩経って完治に近い状態となった。
いつものように食卓を囲み、朝食を食べたあとのことだった。
「なあ、ユダ。今日、ちょっと付き合ってほしいんだけど」
「!?」
ペトロは、まだみんながいる前でユダを誘った。ヨハネは激しく動揺し、ペトロから誘うという初めての出来事にヤコブとシモンは興味津々だ。
「お。何だ。デートの誘いか?」
「二人とも、いつの間にそんな仲になったの?」
「デートじゃない。一緒に行ってほしい場所があるんだよ」
「いいよ。今日の業務はヨハネくんに任せるから」
「えっ!?」
初耳とばかりにヨハネは聞き直すが。
「あれ。昨日、ヨハネくん言ってくれたよね。明日の業務は僕に任せて、一日ゆっくり休んで下さいって」
「そうですけど……」
そう。ヨハネは昨日、ユダの怪我を考慮して、今日の事務所の業務は休んで大丈夫だと自分から言っていた。
「そういうことなら、遠慮なく行って来いよ」
「ペトロのご指名だしね」
ヤコブとシモンは、「やっちゃったな」と言いたげな視線をヨハネに送る。
ペトロはすぐにでも出発したいらしく、支度をしにユダと一緒にリビングルームを出て行った。
その直後に、ヤコブが盛大な溜め息をつく。
「お前またかよ」
「しょうがないだろ! まさか病み上がりで誘うなんて誰が思うんだよ!」
「だからって油断し過ぎだよ。これは、確実に進展するかもねー」
「くっ……!」
シモンの一言が効いて、ヨハネは崩れ落ちた。
昨日の今日で何か行動を起こされるなど、さすがに予想ができなかった。しかも、ペトロから誘うとは誰も考えていなかった。なので、今回はヨハネに落ち度はないし、仕方がないと諦めるしかない。
だが、ヨハネが業務に勤しむあいだ、ユダとペトロは二人きりになるので、もしも何かあったとしても後の祭りだ。その可能性があることには、ヨハネはまだ気付いていない。
ユダもペトロも体調は回復傾向だが、ユダの怪我を気遣い、交通機関を使って行くことにした。
最寄り駅から地下鉄に乗り、フリードリッヒシュトラーセ駅から、赤と黄色の車体の都市近郊鉄道のシュレージエン線に乗り換えた。
この時間は混んでいないので二人は並んで座り、電車に揺れる。
日が射す今日は昨日より気温は上がるようだが、20℃までは届かない。春でも、上着を羽織っている乗客が目立つ。ユダとペトロも、今日はコートとジャケットで寒さを防いだ服装だ。
窓外を眺めていたペトロは、何か気掛かりな顔をしていた。
「……ユダ。昨日はごめん」
「なんのこと?」
「オレを思って守るって言ってくれたのに、全然嬉しくないなんて言って」
昨日ユダが伝えてくれた気持ちを拒絶してしまったことを、ペトロは後々になって反省したようだ。
しかしユダは、ペトロに非はない首を振る。
「いいよ。気にしてないから。もう少しきみの気持ちを考えて言うべきだったって、反省してる……。でもね。ペトロくんを守りたいという意志は、私が私であることの証明だと思ってるんだ」
「証明?」
「独り善がりかもしれないけど」
ユダは微苦笑して言った。
ユダは以前言っていた。この瞬間の自分は、紙が重ねられるように一秒ずつ作られていると。きっとそれは、一つ一つの言葉もそうで、今日交わした朝の挨拶も、昨日の思いも全てが土台となり、これからの彼を作って“ユダ自身”となっていくのだ。
エゴや利他的な思考で「代わりに傷付いてもいい」なんて言った訳ではなく、本当に彼自身の気持ちなんだとペトロは理解する。
「……いいよ。少しくらい独り善がりになってても。オレを思ってくれてる気持ちは、嬉しいから」
「ペトロくん……」
「ユダ。オレを守ってくれて、ありがとう」
あの時ユダが庇わなければ、ペトロが命の危険に晒されていた。だから、守られたからこそ今日があるという事実を感謝した。
電車に揺られること約三十分。目的地の最寄り駅である、フリードリヒスハーゲン駅に到着した。
レンガ造りの駅舎は高架線となっていて、プラットホームも駅舎内も広く、一軒だけ残る花屋が健気に営業している。
「ここが?」
「うん。オレの地元」
ベツィールフ州の南東にある、トレプトウ=ケーペニック区。中心にはケーペニック宮殿などの観光スポットやホテルがあるが、二人が降りたフリードリヒスハーゲンは湖や自然保護区など自然が多く、ミュッゲル湖という区最大の湖がある静かな地域だ。トラムも通っているから、郊外でも利便性がある。
(久し振りだな……。あんまり変わってないや)
久し振りの帰郷だというのに、ペトロの表情はあまり喜んでいない。
二人は、駅から街の中心街を歩き始めた。
ミッテ区のように高いビルはない街は空が広く、こじんまりとしたかわいらしい建物が並び、小さなショップやカフェが充実している。
懐かしい記憶を思い起こすペトロは、ユダに家族とのエピソードを話しながら歩いた。
そして、ペトロの案内で到着したのは、とある墓地だった。小鳥が囀り、まるで森の中のような敷地を進み、小さな墓石が並ぶ場所でペトロは立ち止まった。
土葬された立派な墓や樹木葬をされた墓もある中、色とりどりの草花に彩られたベッド一つ分もない墓が並ぶ。
ペトロが立ち止まった墓の墓石には、三人分の名前と、それぞれに二つの年月日が刻まれている。
「ここが家族の?」
目を伏せるペトロは、無言で頷いた。
ここに、三年前の自爆テロ事件で亡くした、母親と双子のきょうだいの遺灰が埋められている。母親は四十代前半、きょうだいはまだ七歳だった。土葬ではなく火葬したので、このような狭い墓になっている。
「葬儀が終わってから、全然来てなくて。気が向かなかったから」
「罪悪感で?」
ユダが問うとペトロは頷き、墓石を見つめながら話した。




