34話 嬉しくない優しさ
「……『赤いクリスマス』……て、聞いたことある?」
「うん。記憶がなくなる前の世間の出来事を調べた時に」
「あの三年前の自爆テロ事件で、母親と双子のきょうだいが、死んだんだ」
ペトロの手が一層強く握られた。ユダは、震え続ける手から手を離さなかった。
「毎年行ってるクリスマスマーケットがあったんだけど、あの年は、別のマーケットに行ったんだ。弟たちの誕生日が近いから、今年は動物園行ってその帰りにマーケットに行こうって、オレが提案したんだ。そしたら、あんなことになって……」
「……ごめん」
ふとユダは、謝罪の言葉を発した。
「何でユダが謝るんだよ」
「何でだろう。わからないけど、謝りたくなったんだ」
「変なの」
謝る必要のないユダのことを笑いたいのに、ペトロはちゃんと笑えなかった。
ペトロはそのまま、自分が抱える思いまで明かしていく。
「自爆テロの実行犯は死んで、主犯は逮捕されたし、事件に関しては整理はついてる。だから、誰も恨んでないよ。恨んでるとしたら、あの時の自分だ。頑張れば助けに行けた距離で、苦しむ家族に何もできなかった、無力な自分だよ……。なんで、あのクリスマスマーケットに行ったんだろう。オレが行こうって言わなければ、みんな死なずにすんだのかな……」
「ペトロくん……」
「前に動物園に行った時に弟と妹がすごく喜んでたから、また連れて行ってあげたかったんだ。そのあとに、クリスマスマーケットで誕生日プレゼントを買ってあげようって、母さんと二人でサプライズを計画して……。そしたら、巻き込まれて……。別行動でプレゼントを選んでたオレは、家族が乗ってたメリーゴーラウンドが燃えてるのを、見てるしかなくて……」
涙を浮かべたペトロの瞳から、一筋の後悔が流れた。
ユダは触れていた手を離し、ペトロの肩を抱き寄せた。ユダの温もりが伝わってきた途端、もっと涙が溢れてきた。
「無力な自分が嫌だった。泣くしかできない自分が、惨めで悔しかった。自分だけ生きてるのが辛かった。それでまた泣きそうになるのを我慢して、これからは強くいようって思った。それが家族のためにもなると思ったから。一人で強く生きて、自分のせいで生きられなくなった家族に示そうと思ったんだ」
助けられなかったことを罪深く思い、自分だけが助かってしまったこともまた後ろめたく感じていた。家族を喪ったのは自分のせいだと責め続け、助かったことを自戒とし、償いの意志を家族に示そうとしていた。
「そっか……。辛くても苦しくても、ずっと一人で堪えてきたんだね。偉いね。頑張ってきたんだね」
頭の上から降ってくる、包み込む穏やかな声。そして、大きな手がペトロの頭を撫でた。
(あれ……?)
その時。ある日の記憶が、不意に甦る。
───今日は頑張ったね。お疲れさま。
初めて使徒としての戦いをやり遂げた日。帰って来て寝落ちしてしまった時のことが、ペトロの身体に記憶されていた。
(撫でてくれたんだ……)
あの時も、優しく包み込むような声に安堵した。そして今もまた、酷く安堵して、涙が止まらなくなりそうだった。
でも。泣き腫らしても、背負っているものがなくなる訳じゃない。
ペトロは涙を堪え、鼻を啜りながらユダから身体を離した。
するとユダは、ペトロに尋ねる。
「これからも、一人で堪えながら生きていくつもりなの?」
「え?」
「家族を救えなかった罪悪感を背負って、強く歩いていこうとしてるの?」
「それは……」
「もう、頑張らなくてもいいよ」
「えっ……」
「頑張らなくてもいい」。ユダからの思いもよらない一言に、決意を否定されて酷いと思うのと同時に、安堵する自分がいた。
「きみが、罪を背負って生きていく覚悟ができてると言うなら、それは否定しない。だけど、いつかは限界がくる。その時、周りに誰もいなかったら? 一度倒れたら、立ち上がることができなくなるかもしれないよ」
「……」
「だから、きみを支えたい。頑張り過ぎて倒れそうになっても、私が側にいてあげたいんだ」
その言葉が染み込むように、胸がじわりと温かくなった。
心が求めていても手を出してはいけないと思っていたものを、ユダは無償で与えてくれようとしている。その深く、温かく、包み込んでくれるような優しさは、懐かしくもあった。
いつもユダから与えられるものはどれももったいなくて、受け取るのを躊躇した。けれど、もう今は、そのプレゼントに手を伸ばしていいのだろうかと、願望を覆っていた氷がまた溶け始めた。
「でも……。重いだろ」
「そんなことないよ。私自身がすでに重いし。きみのためなら何も惜しまないよ。いくらでも時間をあげるし、いつまでも側にいるし、何度だってきみの代わりに傷付いてあげる」
「……傷付く……?」
「きみはもう十分傷付いてる。だから、きみが心以外にも傷を負うくらいなら、私が代わりに受けても構わない。きみを守れるなら、この身体が何度傷付いて血を流してもいい」
ユダがそう言った途端、ペトロの表情が悲憤するものに変わった。
「そんなの全然嬉しくないっ!」
「ペトロくん……」
「もう目の前で誰かが酷い目に遭うのは嫌だ! いなくなったりするのは嫌だ! 守られる代わりに誰かが傷付くなら、オレが傷付いた方がよっぽどマシだ! そんなこと言うなら守らなくていいっ!」
ペトロはまた涙目になり、ユダの腕を掴んで訴える。
「お前が守るのは、この街の人たちとお前自身だろ! そんな大切なことを間違えてどうするんだよ! 記憶がないからって、自分のことをいい加減に考えるな!」
ペトロは俯き、啜り泣いた。
また、彼の心情を慮ることなく軽はずみなことを言ってしまったと、泣かせてしまったユダは胸を痛める。
記憶がないからといって自己犠牲を厭わない訳ではないし、そこに美徳を見出すほどのエゴイストでもない。ひたすらに、ペトロのためになることを望んでいた。
そして彼を、自分を形成するピースの一つのように思っている。それだけだった。
「オレは、お前のおかげで助かったんだ。オレを支えてくれるんだろ? お前がいなくなったら、誰が支えてくれるんだよ」
「……うん。そうだね。ごめんね……」
ユダはそっと、ペトロの頭を撫でた。
記憶がなくて不完全だけれど、この気持ちだけは今の自分から生まれた『自分』の感情だ。
この感情を与えてくれた彼に、少しでも返したかった。大切にしたかった。
「ありがとう」




