33話 甦った深奥
初めての死徒とゴエティアとの戦いを終えた一同は、疲弊して帰宅した。
負傷したユダはその場で応急処置をし、帰宅してからヨハネが治癒を施した。
そこまで傷は深くなく止血もできたが、ヨハネは、背中とはいえユダの素の背中に少し恥じらいを覚えた。
しかし、それよりも。彼の上腕にある手術痕が気になってしまった。
「ありがとう、ヨハネくん。もうだいぶ痛みも引いたよ」
「もう少しやりますよ? 傷跡が残るかもしれませんし」
「大丈夫だよ。一つくらい残っても平気だから」
ユダがそう言ったので、ヨハネは手を退けた。
使徒にも治癒能力はあるが、普通の力よりも神経を使うようで、あまり深い怪我だと完璧には治せない。傷が完全に塞がるまでは、一応無理は控えた方が無難だ。
念のために大きい絆創膏を貼って、ユダは長袖シャツを着た。
「ペトロの方も、治癒できればいいんですが……」
ヨハネは憂心を目に浮かばせる。
物理的な怪我は治せても、精神的な傷は癒せない。介抱されたペトロも、今はベッドルームで寝ている。
「まだ辛そうだった?」
「そうですね。少し」
「そっか……」
ユダはペトロを案じて、ベッドルームの方を見る。
仕切りの代わりに置いている棚は背板がないので、立て掛けてある本の隙間からペトロのベッドルームのドアが見えた。
特別な憂色を覗わせるユダの眼差しを見てしまったヨハネは、彼が抱いている思いのかたちが何となく見えてしまった気がした。
「……案外ユダは、わかりやすいですよね」
「え?」
「ペトロのことが心配でならないって顔、してますよ」
「そうかな?」
「そうですよ」
ユダは自身が秘めている思いを隠そうと装うが、見抜いているヨハネは微苦笑した。
「あの作戦、適当に言ってみただけですけど、ペトロに届いたのかもしれませんね。ユダの思いが」
「そうだといいな」
「きっとそうですよ。あの棺は、内側からでないと壊せない。だから、ペトロが脱出できたのは、あなたの思いが届いたからですよ」
まるで、二人の関係を認めてしまっているようなことを言っているな。そんなことを思うヨハネは、ユダの思いが本当にペトロに届いたのだと、根拠もなく信じていた。
話していると、ベッドルームのドアが開いてペトロが起きて来た。壁に手を突く様子を見て、ヨハネは立ち上がって気遣った。
「ペトロ。大丈夫か?」
「ヨハネ……。うん。だいぶ落ち着いた」
そう言うが、まだ少し顔色が悪い。もう少し休めとヨハネは言うが、ペトロは大丈夫だと言い張る。
自分の体調よりも気掛かりがあるのか、ペトロは部屋の中を見回した。
「ユダは?」
「ベッドにいる。治癒はしたけど、まだ無理はできない」
ペトロはユダの方へ歩いた。
悔しいが邪魔をするのは野暮だと、ヨハネは静かに部屋を出た。
「ユダ」
「ペトロくん。起きて大丈夫?」
「うん。平気。ユダこそ……」
「完治を待つだけだから、大丈夫だよ」
怪我人がベッドに入りがら大丈夫と言っても説得力はないが、心配そうにするペトロを安心させるためにユダはいつものように微笑んだ。
ベッドの横に来たペトロは、ヨハネが使っていた椅子に座った。
「顔色、あんまり良くないね」
「そう?」
「うん。全快するまで、無理しちゃダメだよ。バイトも休むこと」
「うん。わかった」
どっちが重症なのか、これではわからない。けれどペトロは、自分を庇って怪我をしたユダの言うことを素直に聞いた。
二人は無言になる。窓の外は夕景が広がり、暮雲がオレンジ色に染まっている。その鮮やかさに反して、部屋には影が落ち始めていた。
しばらくして、ユダがためらいながら口を開いた。
「……あの中で何が行われたか、敵に少し聞いたよ……。トラウマを見せられてたの?」
「……」
ユダに訊かれ、棺の中で起きたことを脳内に走らせたペトロは、俯いて口を結ぶ。
「ごめんね。辛いことを思い出させて……。だけど私は、このまま明日を迎えられない。いつものように、きみとこの部屋で過ごせない。何も知らないまま、きみとの時間を重ねられない」
囚われていた棺から脱出した直後のペトロの様子は、断頭台から免れても死神に追われているかのようで、生還を喜んだ顔はしていなかった。
断片的にペトロのトラウマを見て、さらにその表情を目にしたユダは、ペトロの過去を知らずにいられなくなった。
「全部とは言わない。今のきみから話せることだけでいいから。少しでもいいから、私に教えてほしい。きみが抱える、心の傷を」
ユダは、握られたペトロの手に右手を重ねた。ペトロの手は、微かに震えていた。
ペトロは、ユダの顔を見た。ユダは真っ直ぐに見つめていて、真摯さと、心から思い遣る愛情をその眼差しに垣間見る。
しかし、ためらいから目を逸らす。自分の口から、記憶を言葉にするのを拒む。
けれど、このままではいけないことを自覚してしまった。一人では無理だと。ユダに打ち明けたいと。
ペトロは、固く重い口を開くことを決意する。そして徐に、自身が遭遇した出来事を話し始めた。




