34話 溜まるストレスと不安
「おい、アンデレ! もう二十分過ぎてるぞ!」
いつもの朝。ヨハネの、二度寝アンデレ叩き起こしタイムが始まっていた。
サイドテーブルに置いたスマホのアラームは、五分ごとのスヌーズ設定がしてあり、バイブしながらもうすでに四回繰り返されている。一応、目覚まし時計も鳴らしているが、劇画タッチのヒーローでさえ起こすことができない。
以前一度だけ、アンデレを毛布に包んだまま職場の前に置いて来ようかと一瞬考えたことがあったが、それは店側の迷惑になるし、面倒が増えるだけなので思い留まった。
ヨハネが腰に手を当てながら起こし続けていると、五回目のスヌーズが鳴った。
「うーん。あと十分……」
「完全に遅刻するぞっ!」
我慢の限界となったヨハネは、アンデレを包んでいた毛布を剥ぎ取った。ぬくぬくの天国から、厳しい地上の現実に戻されたアンデレは、気温差で目をかっ開いた。
「寒っ!」
「目が覚めたか」
「おへよおござえます……」
寒さで覚醒したが、寝癖を付けたアンデレの目蓋は、3秒で半分まで下ろされた。
「早く顔洗って、シャキッとしろ」
実家の母親と同じように言われた通り、アンデレは顔を洗い、壁掛け時計を見た。
「もうこんな時間!?」
起床時間から既に二十五分過ぎていることに気付き、ようやく慌て始めた。
アンデレは適当に洋服を選んで着替え、テーブルに置いてあったマーマレードジャムが塗られたブロート二枚を、合計四口で押し込むように食べ、ブラックコーヒーを一気飲みする。
朝食を早食いする様子を、ヨハネは腕を組み、いつもの呆れた面持ちで見守る。アンデレが朝の支度で慌てふためくのは、もう恒例行事となったので、遅刻が確実な日は、あらかじめ部屋に朝食を用意するようになった。
「全く。前より若干ましになったとは言え、なんで毎度毎度……」
アンデレが登校と出勤をするのは、月に二十日程度。以前は、月に四日だけは自力で起きていたが、今は月に八日ほど自力で起きるようになった。
四の倍だ。これでも凄いことだ。それでもまだまだ、ヨハネの負担が大きい。夢見が悪いせいもあって、漏らす溜め息も倍になっている。
「こっちだって、ここ数日はすっきり目覚められてないのに」
「大丈夫っすか? おれ、治癒しますよ?」
「だから、いいって。人の心配よりも、お前は二度寝を直せ」
腕を組み眉間に皺を寄せ、ヨハネは不機嫌そうに言う。
「二度寝を直せ」というセリフも、もう耳に蛸ができるほどアンデレも聞いている。その言葉は、いつもなら耳に入ったあとは脳を回って、いつの間にか行方不明になっている。ところが今日は、耳から脳の中に入って、すぐに留まった。
───言ってましたよ。毎日迷惑を掛けられて、そのおかげでストレスが溜まって、一緒の部屋にいるのすらイライラするって。
以前キィナに言われたことを、思い出したのだ。いつもなら、ポジティブに考えながら気に留める程度ないのに、なぜか彼からの言葉は、ポジティブが不安に包まれ隠してしまっていた。だから、ヨハネの顔色を気にせずにはいられなくなっていた。
「……ヨハネさん。イライラしてます?」
「夢見が悪いのも相俟ってな。でも……」
「すみません。迷惑掛けてばかりで」
アンデレは、心から反省している面持ちで謝った。マーマレードが口の端に付いていて、真面目さがちょっと欠けるが。
「それも何回か聞いた。それよりも時間」
ヨハネは壁掛け時計を指差す。出勤時間ギリギリだ。
「ヤバッ! 行ってきます!」
アンデレはリュックを背負い、マーマレードを付けたままバタバタと部屋を出た。
「行ってらっしゃい」
ヨハネの見送りの言葉は、ドアを閉める音で聞き逃した。
一階の住民専用出入口前に置いてある自転車に跨ぎ、漕ぎ出した。風で口に若干の違和感を覚え、ようやく付きっぱなしのマーマレードの存在に気付き、舌で舐め取った。
以前までは交通機関を利用していたが、遅刻を避けるために小回りが利く自転車に先日変えたばかりだ。でも、寒くなってから変えるんじゃなかったと、ちょっと後悔した。
十一月となってから、気温がぐんと下がってきた。アンデレもネックウォーマーを巻き、パーカーにダウンベストを重ね着するようになった。
「相変わらず、毎日のようにヨハネさんをイライラさせてるよな、おれ。反省はしてるつもりなんだけどなー。生活習慣変えるのって、意外と難しい」
(ヨハネさん、最近夢見が悪いって言ってるけど、実はおれも嫌な夢見るんだよな。ヨハネさんとケンカして、愛想を尽かされてヨハネさんが出て行くって、〈バンデ〉解消になるって夢)
「このままじゃ本当に愛想を尽かされて、正夢になりそう……」
途中、赤信号で一時停止する。見上げる秋晴れの空は、青く高く、どこまでも広い。その視界に入り込む枯れ葉を落とす街路樹が、季節の移ろいを心寂しく演出している。
(ヤコブとシモンは、上手くいってて羨ましいな。でもそれは、二人ともおれみたいにだらしなくないから、お互いに迷惑を掛けることがないんだろうな。ヤコブは、ああ見えて真面目なとこあるし。シモンも、精神年齢が大人だし)
「下手したら。おれより中身大人だし」
確実に、精神年齢は年上だ。そしてたぶん、二人の精神年齢は逆だ。
「おれも、しっかりしなきゃ。ヨハネさんを、世界一おいしいスイーツにするんだ」
シモンから受けたアドバイスを覚えていたアンデレは、改めて二度寝をしない努力を心に決めた。だが、その認識で本当に実現されるのだろうか……。




