32話 誰にでもある、二つの扉
平日の朝。今日もシモンは、いつものようにヤコブに学校まで送ってもらった。
頭上の空は、灰色掛かった厚い雲に覆われている。天気予報では、夕方からにわか雨が降る可能性があると言っていたので、折りたたみ傘を持って来た。
「授業中に居眠りするなよ?」
「大丈夫だよ。ヤコブの方こそ、仕事ミスしないようにね」
「夢見が悪いからって、ミスなんかしねぇよ。でも、変な偶然だな。お互いに、何日も夢見が悪いなんて」
実はこの二人も、ペトロとヨハネ同様に数日間続けてトラウマを夢に見て、清々しい朝を迎えることはできていなかった。
「トラウマを夢に見るなんて、もう何年もなかったことなのにね。気持ちだって、前より楽になってるはずなのに……」
「今さら何なんだよ、って感じだよな」
「ヤコブは、本当に体調大丈夫?」
「心配ないって言ってるだろ」
「でもヤコブは……」
シモンが心配しているのは、使徒を続けていいのか迷いがあると、戦いのあとにヤコブが漏らしていたことだ。その後は普通に使徒を続けているが、その迷いは未だ彼の中に留まっているんだろうと、気掛かりだった。
それにシモンには、他にも気になることが一つある。
「ねぇ、ヤコブ。過去のことで、まだ何か……」
訊こうとしたが、遮るようにヤコブは微笑みながらシモンの頭を撫でた。
「大丈夫だって言ってんだろ。ほら。早く行かないと、遅刻するぞ」
「……うん。じゃあ、行って来るね。仕事、無理しないで頑張ってね」
「おう!」
二人はお互いに手を振り、校舎へ入って行くシモンを見届けたヤコブは、自転車に跨って職場へ向かった。
その後。午前の授業が終わり、昼休憩となった。
近所から通う生徒は、自宅へ戻り昼食を食べることが許可されているので、クラスメイトの三分の二ほどは一度帰宅した。
シモンはいつも自分で、あり合わせの食材でブロートでサンドイッチを作って持って来ている。今日の具材は、サラミとチーズとトマトとレタスだ。寒くなったので、水筒には温かい紅茶を入れてきている。
先月までは、みんなで外のベンチで食べていたが、冬が近付いて来た今月からは教室で食べるようになった。
「でさ! レベルアップした主人公が、山くらいの身体のでっかい敵を、必殺技の超強力なパンチでドッカーンッ! て、ふっ飛ばしたんだよ! そのバトルシーン、ずっと興奮状態でさ!」
「お姫様も、芯が強くてカッコイイんだよな! 国のピンチに泣きそうになりながらも、敵に捕虜にされた国王の代わりに兵士たちを鼓舞するセリフは、マジで震えた!」
友達は、この前買ったマンガの感想を言い合いながら、楽しげにお昼ごはんを食べている。ところがシモンは一人、黄色に覆われた広葉樹が見える窓外を眺めながら考え事をしていた。
(ヤコブは前に、本当はまだアレンさんに後ろめたさがあるって言ってた。自分のせいでお兄さんがテロの犠牲になったことは、ちゃんと話したって言ってたし、そのことじゃないんだろうな。アレンさんに関係することだとするなら、音楽を避けてたことと何か……。でも、音楽を避けてた理由は、お兄さんのことが原因なんじゃ……。それじゃないとしたら……。お兄さんの死に関係する、別のこと?)
───あなたの周りにいる人々も、本当の姿を晒していない。
宗教の勧誘をしていた双子、ケエブとオツェルから言われたことが、なぜかずっと引っ掛かっていた。新興宗教の言葉なんて、ありきたりで、誰にでも当て嵌まるようなことを言っているだけ。
あの時シモンが聞いてしまったのも、タイミングよく遭遇してしまっただけだ。そうだとわかっているのに、双子の言葉をうっかり飲み込んでしまっていた。
(ヤコブのトラウマを知るまで、本当の姿なんて知らなかった。みんなのことも。でも。本当の姿を知らないなんて、普通のことだ。最初からその人の全てを知ってるはずがないし、そんな人がいたら超能力者だ。人が隠し事をするのも、普通のこと。ボクだって、友達に本当の自分を隠してる。後ろめたい気持ちはあるけど、隠してるのは信用してないからじゃない。これからも、仲良くしたいから)
「……ヤコブも、そう考えてるからなのかな」
(何か言わなきゃいけないことがあっても、関係が壊れるのが怖いから。アレンさんへの後ろめたさも、それだけの罪悪感なんだ……。だとしたら。お兄さんの件だけが、音楽を避ける理由じゃない気がする)
思考し続けるシモンは、「言い忘れたことがあったのを思い出した」と、デートの時にヤコブが言っていたことも覚えていた。
(あの時は、戦いで大怪我したらMVの撮影ができなくなるのを言い忘れた、って言ってた。でも、その直前の表情は、後悔のような気持ちが出てた気がする。その後悔がMVのことだとしても、それは、罪悪感の後付けにもならない……。ヤコブはまだ何か、告白できてないことがあるの? だから、使徒の肩書きは自分には相応しくないって言ったの?)
「……何で」
「シモンくん。さっきからどうしたの?」
正面に座っていた女子友達が、シモンが漏らした独り言が聞こえて話し掛けてきた。場所を忘れて自分の世界に入り、考え事に耽っていたシモンは、声を掛けられハッとする。
「え? べ……別に。何でもないよ」
(じゃあ何で、それをボクに話してくれないの。ボクはちゃんと、ヤコブと向き合えるのに。閉ざされたもう一枚の扉は、ボクには開いてくれないの?)
トラウマという、固く閉ざされた重い扉を開け放ってくれたんだと思っていた。しかし。その扉の奥にあるもう一枚の扉は、閉ざされたまま。叩いても、響かない。
(考えるのやめよ。今度の休みは、ヤコブとバースデーデートなんだし。楽しめなくなっちゃう)
寂しさに心が沈みそうになったが、待ちに待った誕生日がすぐ目の前まで来ていると思い、気分を切り替えた。
「シモンは? あのマンガ読んだんだろ?」
隣の男子友達に感想を訊かれたので、シモンも読んだマンガの感想を話した。自分の悩みを明かせないことを、隠して。




