31話 嫌な夢
ペトロはヨハネの向かいのデスクに座り、パソコンから、SNSに寄せられたお祝いメッセージへのお礼コメントを載せた。ヨハネのチェックが入って何度か誤字脱字を指摘されて、十五分ほど掛かった。
そのあとは、経理の手伝いをしている。領収書やレシートを見ながら、事務所の経費や、光熱費や生活費をExcelに入力していく。
ヨハネは、契約先企業へスケジュール確認の連絡などをしている。事務所のホームページのお知らせにも掲示している通り、ペトロへの新規オファーは現在受け付けていないというのに、未だに依頼も来るので、断りの返信も面倒になってきた。
ブラインドタッチで、スムーズなタイピング音をさせるヨハネ。対して、相変わらずキーボード捌きが拙いのでペトロは、ゆっくり打ち込んでいく。経費なので、遅くても確実にやってくれる方が安心だが。
亀といい勝負のスピードで作業をしながら、ペトロは少しヨハネを気にする。
「……ヨハネ。大丈夫か?」
「え? 何が?」
「だって。なんか、顔色悪い気がするから。この前もだいぶ疲れてそうだったけど、マジで倒れそうだったりする?」
「いや。毎日、ハードワークってわけじゃないし。土日はちゃんと休んでるから、大丈夫。けど。ここ数日、ちょっと夢見が悪くて」
「悪夢ってやつ?」
「ていうか、昔のこと……。元カレの」
「あぁ……」と、トラウマのことだとペトロは理解する。
見た夢の内容を思い出したヨハネは、作業の手を止めた。
「亡くした直後からしばらくは、よく見てたんだ。そのせいもあって、現実と夢が混同してた時期が続いてたけど。環境が変わって、夢を見なくなったと思ったのに、なんでまた……」
デスクに肘を突き、気鬱した様子でヨハネは溜め息をつく。
環境が変わったというのは、ユダとの出会いだ。以前にも本人が言っていたように、ユダが現れたことで、ヨハネは縋っていた過去から抜け出せた。
嫉妬のマティアとの戦いを経て、気持ちを変化させることもできたのだが、なぜかまた、元カレのレオの夢を見るようになった。
「アンデレに、精神治癒してもらわないのか?」
「ただ、夢見が悪いだけだ。こんなことで、アンデレの世話にはならないよ」
悪夢と言えば悪夢だが、棺に入ったあとのように精神的に参っているわけではないので、必要とは考えていなかった。
「オレも、最近夢を見るよ。昔のこと」
「ペトロも?」
実はペトロも、トラウマとなった過去の夢をよく見ていた。
「事件があった日のこととか、前後のこと。オレも、昔はよく夢に見てうなされて、中等教育学校卒業するまでお世話になってた伯母さんから、心配されたこともあったよ。ていうか。トラウマを夢に見るなんて、やっぱ悪夢だよな」
ヨハネは少し調子が悪そうな顔色だが、悪夢だと言いながら案外ペトロはけろっとしている。
「お前は平気なのか?」
「うん。ある程度は、かな。あんまり、気にする必要ないだろ。夢に見るまでもなく、わかってることなんだからさ」
ただ自分の運命を振り返っているだけだと、ペトロは言った。
ユダの存在と、名前の消失。そしてハーロルトの帰郷と、鬱屈する不運が続いたにも拘わらず、ペトロは何事もなかったかのような顔付きだ。
「……そうだな」
一人で全部抱え込もうとしていた時より表情はすっきりしているようだが、その芯には「強くなる」という信念が踏ん張っているように、ヨハネには見えた。
「でも。あんまり夢見が悪い日が続くと、仕事にも支障が出そうだな。ヨハネは、平日は一日中一人ってことが多いから、無理しないで休めよ?」
「それは、ペトロがしばらくバイトを休んで、手伝ってくれるってことか?」
「うーん……。怪しい人からストーカーされてる不安が、なくなるまでなら」
「結局、僕よりもバイト優先か……。我が事務所は少人数の個人経営で、尚かつ社長不在のため、(中略)僕が過労死しても……」
ヨハネがさっき言ったことを繰り返し言おうとするので、ペトロは若干脅迫されている気分で「わかったよ」と、臨時契約内容を許諾する。
「とりあえず、来週末まで手伝うよ」
「理解してくれて助かる」
仕方なく許諾したペトロだが、ストーカーから身を守れるなら、苦手でも室内で仕事をしていた方がいい。
それに。ヨハネのワンオペが常態化しているのも申し訳ないとも感じているので、少しでも負担を軽くさせられるなら、それも人助けだ。




