29話 姉妹都市
この日。トラウゴットホテル前には、数台の黒い車が到着していた。
姉妹都市である、ノルック州フルスウーファー市の市長と、ベツィールフ州トレプトウ=ケーペニック区の区長との会食が行われるのだ。午前は市庁舎の方で会談があり、昼食会場としてトラウゴットホテルが選ばれた。
関係者も多く出席するので、会場となった会議室前ではホテルスタッフが出席者の受付を行っており、ハーロルトも駆り出されていた。
「ハーロルトくんが来てくれて助かったわ。本当は休みだったのに、ごめんね」
「いいえ。気にしないでください」
ハーロルトは先輩スタッフと三人で、来客名簿を確認しながら会議室へ案内した。
料理を運ぶのはレストランスタッフなので、会食が始まると三人は暇になるが、レストルームの案内などがあるので、会場の外でスタンバイしておく。
「つーか、今更だけど。ノルックとトレプトウ=ケーペニック区は、なんで姉妹都市なんだ?」
誰も見ていないからと、頭の後ろに手を組み、長い足をクロスして壁に寄り掛かっている先輩男性スタッフが、気を抜いた調子で疑問を口にした。
「あなた、知らないの? 学校で一度は教えられてるでしょ」
「もう何年も昔だし、興味もなかったから忘れた」
「そのくらい覚えておきなさいよ」と、同期に呆れた女性の先輩スタッフが横目をやる。
「ハーロルトくんは、もちろん知ってるわよね?」
「えーっと……。僕も、うろ覚えで……」
ハーロルトはきちっと手を前で組み、いつ誰に見られてもいい姿勢で、先輩の時間潰しに付き合う。
「ハーロルトくんもなの? 仕方ないわね。無知な二人に、わたしが教えてあげるわ」
女性スタッフは腕を組み、二つの街が姉妹都市になったきっかけの昔話を始めた。
「トレプトウ=ケーペニックという地名は合併後の名前で、その前は、トレプトウ区とケーペニック区だったの。その昔。その隣り合った二つのうちのケーペニック区に、歴史上最悪の極悪人たちが現れて、人々に悪さを行ったの。まさに悪魔のようなやつらで、呪の力で疫病や原因のわからない事故を多発させて、人々を苦しめ、多くの死者を出したの。これでは、ケーペニックが死ぬ。そんな存続の危機に晒された時、町になんの縁もゆかりもない一人の男性が現れて、聖なる力で極悪人たちを次々と倒した。でも、そいつらのリーダーがものすごく強かったらしくて、その人はやつと相討ちになって命を落としたの。でも、その人のおかげでケーペニックは救われ、人々はその人を神の使いだとか、イエス・キリストの再来だと言って、彼の遺体は町の守り神として丁重に埋葬された。その何年もあとに、その人はノルックとゆかりがあるって判明して、二つの街は姉妹都市となったのよ」
「そうだったのか」
女性は、勤務中は所持禁止なのにこっそり持っていたスマホを出すと、二人に画像を見せる。
「トレプトウ=ケーペニック区の区旗を見て。その神の使いと崇められたその人に、敬意を表するデザインになっているの。六つの星は、退治された極悪人の数。死者は星になるって信じられていたから、良き輪廻転生をするよう、慈悲を込めてこう表されたみたい。真ん中の二匹の魚は、下をむいた魚は救ってくれた男性を表して、上を向いた魚は、男性を使わしてくれた神への崇敬を表してる。そして区旗の中心に描かれてる鍵は、悪を倒し平和を勝ち取った証を意味しているのよ」
「へえー。そんな意味があるのか」
スマホを覗き込む男性スタッフは、腕を組んで感嘆を漏らした。
「これで、一つ勉強になったわね。二人とも」
「僕も、ちゃんと覚えておきます」
「今後の人生で、何かしら役に立つかもしれないしね」
「どういう場面でだ?」
「星付きホテルの跡継ぎなら、ハーロルトくんもトレプトウ=ケーペニック区の区長さんと面識持つかもしれないでしょ。話題に上がったら、知らないなんて言えないじゃない」
「確かに。覚えておいて損はないな。俺は夜には忘れるけど」
「覚える気がないだけじゃない」
市長と区長の会食は、談笑も交えて二時間ほどで終わり、関係者たちとともに黒い公用車でホテルを後にした。
その日の夜。仕事を終えたオイゲンは、ある人物と会う約束していた。
秘書を連れず自分で車を運転し、ライン川沿いのビルに入る高級レストランへ向かった。
2フロアに別れた店は落ち着いた雰囲気で、照明は個性的に、ライン川をイメージした青いライトが使われ、フロアは全面ガラス張りとなっており、街に灯る明かりが闇夜に浮かんでいる。
オイゲンは二階に上がり、店員に待ち合わせを告げると、個室へと通される。個室は幾つかあるが、扉のある完全個室となる方へと通された。その白い扉の前には、厳つめの黒いスーツの男が一人立っていた。
引き戸の扉を開けると壁も床も真っ白で、暖色系の間接照明なので、メインフロアよりも明るい印象だ。
個室には二人ずつ座れる席が六席あるが、ブラウンの髪に白髪混じりで、メタボ気味のスーツ姿の六十歳前後の男性が一人、窓際のテーブルに座っている以外は誰もいない。
オイゲンは、その男性───トレプトウ=ケーペニック区の区長と同じテーブルに着いた。
「お待たせして、申し訳ございません」
「いえいえ。こちらも、さっき着いたばかりですよ」
「少しは、観光はされましたか?」
「ええ。大聖堂と、東亜美術館と、すぐこそのオリンピック博物館へ。明日は、観劇をしてから帰る予定です」
予約した際にコース料理が注文されていて、ドリンクと前菜が運ばれて来る。オイゲンは自分で運転して来たので、ノンアルコールドリンクにした。
まず運ばれて来た前菜は、まさか料理が入っているとは思えない黒いハードボックス。開かれると中から、緑や赤の六種類の一口サイズのプティフールが現れた。
この店は、地元料理を個性的に変身させ、演出して楽しませてくれることで人気のレストランだ。二人は雑談を交わしながら、素晴らしい食事を楽しむ。
その後は、トリュフのパスタ、ノルック州の伝統料理ハルヴェ・ハーンのあとには、ラム肉のローストが出て来た。
アルコールも程よく回り気分もよくなってきた区長は、オイゲンに話を切り出す。
「ところで。先月、こちらへいらっしゃったと」
「ええ。所用がありまして」
「あれも、確認していただけたんでしょうか」
「はい。見て回りましたが、今のところ異常は見られませんでした」
「しかし。つい先日、こちらで悪魔が現れたと耳にしております。偶然いた使徒の一人が、退治されたとか」
「偶然、私もその場に居合わせました。初めて悪魔をこの目で見て、まさかと驚いてしまいました」
驚いたと口にするオイゲンの声音と表情は、夢の出来事のように平静だ。しかし区長は、事の異常さに少しの不安を感じていた。
「悪魔が、他の土地に現れるはずがない。なのにあれを……“守りの柱”を無視して現れた。異常がなかったのは、間違いないんですよね」
区長は不安を抱きながらも、目の前のおいしそうなラム肉のローストを一口大に切り、口に運ぶ。
「ええ。嘘はありません。ですが私も、なぜ悪魔が“守りの柱”を越えられたのかは……」
“守りの柱”の機能は、まだ維持が可能のはずだった。それなのに、悪魔がベツィールフ州から遠く離れたノルック州に現れたからくりは、オイゲンにさえ不可解だった。
「まぁ、今回は。何かしらのイレギュラーが起きた、ということにしておきましょう。“守りの柱”が機能しているのであれば、今後も安心です。使徒の方々も、健闘してくれているようですし。戦いが終わるまで街は───いや。世界は守られると信じましょう」
「そうですね」
不安を気のせいにしたい区長は、今回の異常は一時的なイレギュラーであるだろうと決め付け、食事を進めた。オイゲンもフォークとナイフを手に取り、ラム肉を食べた。




