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イア;メメント モリ─宿世相対─  作者: 円野 燈
第6章 Riss─綻ぶ─

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26話 父と息子



 ノルック州に夜の帳が下りた。一番観光客で賑わう大聖堂も黄金色ライトアップされ、昼間の重厚長大さから、より神聖な印象に姿を変えた。

 クアラデム家は、家族四人が揃って食卓を囲み、話好きな妹のヴァネサを中心に、笑顔の絶えない時間を過ごした。


「父さん。あとで、書斎に行ってもいい?」

「ああ。少し仕事をしたいから……一時間後なら大丈夫だ」

「ねぇ、お兄ちゃん。また勉強見てくれない?」

「じゃあ、少しだけ」


 ハーロルトは、ヴァネサに手を引かれてリビングルームを後にした。

 二人が二階に戻って行くのを確認した母エミーリエは、食器を片付けながらオイゲンに尋ねる。


「ねえ、オイゲン。ハーロルトと何かあったの?」

「いや。何もないが」

「そう? 今日はなんだか、二人の会話が少なかった気がして」

「偶然だ。ハーロルトとは、いつも通りだよ」

「そういえば、ニュースで観たけど。ホテルのすぐ近くで、()()()()()があったんでしょう?」


 警察から報道規制がされたのか、ニュースでは「悪魔」や「使徒」というワードは使われず、「車による多重事故が起き、巻き込まれた通行人や、事故を見て体調不良を訴えた人、十数人が運ばれた」とだけ報道された。UMA認識の存在の介入によるもので、戦闘が行われたことは、その場に居合わせた人々しか知らないことになっている。


「知り合いが、ハーロルトとあなたをそこで見たって言ってたんだけど。巻き込まれかけたりしたの?」


 映像で、衝突した二台の乗用車の前方が衝撃で潰れたり、折れた信号機でフロントガラスが蜘蛛の巣状に割れているのを観たエミーリエは、唐突に目の前で目撃してしまったハーロルトは、ショックを受けたのではないかと憂いていた。

 息子の精神を心配する妻に、オイゲンは大事無いと微笑を向ける。


「事故を間近で見たから、その動揺をまだ引き摺っているんだろう。明日になれば、きっと落ち着いているだろう」


 グラスに残っていた赤ワインを飲み切り、エミーリエを柔らかくハグして、二階の書斎に上がった。


 持ち帰った仕事を約一時間ほどで片付けたオイゲンは、息抜きにレコードを聴こうと、百枚以上あるコレクションの中からジャズを選曲した。

 レコードプレーヤーにセットし、ヘッドシェルを移動させ針を掛けようとした時。書斎の扉がノックされ、ハーロルトがやって来た。


「仕事、終わった?」

「ああ。ヴァネサの勉強は?」

「三十分くらい見ただけで、あとは友達の彼氏の話を聞かされたよ」

「そうか。そういえば、ヴァネサから彼氏の話は聞かないな」

「今はいないみたいだよ。ダンスしてる方が楽しいって」

「ヴァネサは昔から、好きなことに集中すると、オモチャもいらないって言うような子だったからな」


 幼い頃から変わらない愛娘の趣味への没頭ぶりにオイゲンは微笑し、レコードに針を掛けた。音量は、話がしやすいようにいつもより下げた。


「そうだ、ハーロルト。家族がいる前では、いつも通りでいてくれないか。母さんが、お前の様子がいつもと違うのを察して、心配していた」

「そっか。気をつけるよ」


 先程の事故の話で、オイゲンがエミーリエに悪魔が原因だと口しなかったのは、彼女、そしてヴァネサに、クアラデム家の宿命のことは一切話していないからだ。もちろん、曾祖父が亡くなった理由も偽っている。


「昼間のことを、考えていたのか?」

「うん。そのことで、もう一度父さんと話したくて」


 オイゲンは一人用チェスターフィールドソファーに、ハーロルトはオットマンに座った。外からの雑音のない静かな空間で、サックスやピアノで奏でられる曲が空気と一体化する。


「父さん。どうして、頭ごなしにヨハネさんを怒鳴ったの。そりゃあ、僕も急に来て驚いたけど、話も聞かずに顔を合わせた途端にあれはないよ」

「だが、お前を連れ戻しに来たんだろう?」

「違うよ。ただ話をしに来ただけだ。ヨハネさんは、無理やり連れて行こうとはしてなかった。ちゃんと僕の気持ちを確かめるために、話をしに来ただけなんだ」

「それでお前の説得に成功したら、そのまま連れて行こうとしていたんだろう」


 オイゲンは、サイドテーブルに置いてあった煙草に火を付け、顔を横に向けて白い煙を吐き出した。

 急襲とも捉えられるヨハネの来訪が気に入らない彼は、使徒という存在を心底信用していなかった。

 彼らとたった一度会話をしただけで、どうしてそこまで不信感に支配されるのだろうと、ハーロルトは少し眉頭を寄せる。


「父さん。彼らへの偏見が酷いよ。僕にここにいてほしい気持ちはわかってるけど、ただ話をしに来ただけの人へ、少しも耳を貸さずに帰れって言うのは、僕はおかしいと思う。僕が尊敬する父さんは、そんな人じゃなかったはずだよ」

「私は、お前の幸せを考えているだけだ。お前の人生がこれ以上壊れないように、守ろうとしているだけだ」

「僕たちの方が、悪かもしれないのに?」


 ヨセフと同じことを言われたオイゲンは、煙草を咥えようとした手を止め、口を噤んだ。そして、なぜお前までそう言うんだ、という目をした。


「父さんも、ヨセフくんのことを知ってるんだね」

「会ったことがあるのか?」


 ヨセフがハーロルトと既に接触していたことを知り、出し抜かれたと腹立たしく思うオイゲン。


「ベツィールフにいた時にね。彼が僕に、クアラデム家の宿命を教えてくれたんだ」

「まさか。使徒(彼ら)と手を組み、お前を誑かそうと……」


 最早、疑心暗鬼になっているオイゲンに、ハーロルトは半ば呆れながら「違うよ」と否定する。


「彼らは、ヨセフくんの正体を知らなかった。ヨセフくんが、僕を戦わせるために近付いて来たなんて、その時まで誰も予想もしてなかったよ……。彼は、クアラデム家を監視する者だって言ってた。僕たちが責務をちゃんと果たすかを、見張ってるの?」

「そうだ。宿命を果たすべき時が来たら現れる、寄生虫のような存在だ」


 ヨセフを忌み嫌うオイゲンは、やはりハーロルトが尊敬する父親らしからぬ比喩を口にした。


「僕は彼に、クアラデム家の先祖たちの記憶を見せられた。過去最悪の気分だったよ」

「そんなことまで……」

「でも。見せられたことでわかったよ。宿命が、どれだけ重いものなのかを。だから僕は帰って来たんだ。僕には無理だと思ったから」

「それなら、無理に関わる必要はない。使徒がいるんだから、彼らに任せれば大丈夫だ」

「そうだね。こんな臆病者より、経験も積んで覚悟もある彼らの方が、守られる人たちも安心できる」


 ハーロルトは、自分の右手を見た。悪魔にマグカップを投げ付けた手を。


「……でも、不思議だよね。悪魔を目の前にしたら、身体が勝手に動いたんだ。戦いたくないと思ってるのに、危険から逃げて来たはずなのに、ヨハネくんを助けようと悪魔に近付いた。あんなのは、助けたとは言えないけど……。ヨセフくんが言ってたように、血が目覚めようとしてるのかな」

「あんな話は真に受けるな。彼は、お前を戦わせようとしているだけだ」

「誘導してるってこと?」

「そうだ。誘導しているだけだ」


 オイゲンは惑わされるなと、圧を掛けるように訴える。身体が勝手に動いたのは単なる偶然で、ヨセフはその偶然を運命に結び付けようとしているだけだと。

 ハーロルトは、未だに身体が動いた理由はわからない。宿命だの戦える血だの、言われ続けたからなのか。知り合いの危機を、助けたかったからなのか。

 だが。


「僕には、ヨセフくんも父さんも、僕を誘導してるように思えるよ。二人は、両極へ僕をいざなおうとしてる。だけど。今は少し、どっちへ足を向けたらいいのか、よくわからない」


 自分の意思はどっちの磁力に影響されているのか、考えても答えが見出せない。


「だから、大学編入を決めようとしないのか?」

「家族といられることは幸せだし、僕もずっとここにいたい。かわいい妹や優しい母さんと笑って過ごして、尊敬する父さんの跡を継ぎたい。でも彼らは……使徒のみんなは、その幸せを失いながら、周りの人たちの幸せを守ろうとしてる。それなのに、宿命を背負うクアラデム家の僕が、何も見なかったことにして普通に暮らしていていいのかな」


 自分の選択や、オイゲンの選択は正しいのかと、ハーロルトは瞳で問い掛けた。

 使徒は皆、愛する家族や、平穏に過していた街、血を分けた兄弟や、将来を紡げたはずの恋人を、失った者たちだ。その彼らが、失った悲しみも絶望も、全てを背負いながら戦っていることを知りながら、ハーロルトは逃げて来た。無責任な父親と同じように、自身も無責任に宿命を放棄した。その罪悪感が、少しずつ心の奥で積もっている。

 だが。戦いているのは自分だけではなく、使徒も恐れがないわけではない。ヨハネから使徒としての信念を聞いて、その強い意志は恐れに立ち向かえる者の言葉だと感じた。

 まさに、ヒーロー。自分の弱さを、恐れを超える強さに変えて戦っているんだと。なのに、戦える自分は逃げていいのかと。先祖の罪の償いを、彼らのように戦うエネルギーに変えられないのかと。

 その迷いを覆うように、オイゲンはハーロルトの手を握った。


「いいんだ。お前は、お前の幸せを求めても。それは、私たち家族の望みでもある。お前がそれを望むなら、そうすればいい。使徒が人々の幸せを守ってくれるなら、それでいいじゃないか。彼らの力でもきっと、『フェアラッセン』を葬ってくれる」

「どうして、そう言えるの?」

「今日の戦いを見たからだ。一人であれだけやり合えるなら、クアラデム家の力がなくとも、使徒全員が揃えば『フェアラッセン』など大したことはないだろう」

「……父さんは無責任だ」


 あれだけを見て、未来を見通したつもりのオイゲンの言い方がむかついたハーロルトは、握られた手を払い、立ち上がる。


「父さんは何もわかってない! 使徒がやつらと、どんな苛烈な戦いをしてるのか! 先祖たちが、どんな思いで責務を果たしていったのか! その苦しみも辛さも、逃げることが許されない宿命を知らないから、そんな無責任なことが言えるんだ!」

「ハーロルト」

「自分たちの幸せが守られれば、それでいいの? 誰かを身代わりにして得る幸せで、死ぬ間際まで一切の後悔なく生きられる? 父さんは、そんな無慈悲な人じゃないと思ってた! 僕を宿命から守ろうとするその心のどこかで、使徒のみんなのことを少しでも気に掛けてくれてると思ってたのに……!」


 オイゲンが望む幸せは、ハーロルトにも理解できる。けれど、ハーロルトが思い描く幸せとは違っていた。

 ハーロルトは、何も知らずに生きてきた今までとは違い、幸せとはなんなのかを、自身に問い掛け続けていた。


「仕事で疲れてたのに、ごめん」

「ハーロルト!」


 ハーロルトは書斎を後にした。

 回るレコードから、低音を強く弾くピアノの音色が、空気の中から際立って聴こえる。煙草の煙は、ジャガード織のカーテンを滑って天井に上っていた。




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