25話 虚言で垂れる尻尾
同じく、ヨハネ不在の日曜日。
カフェに出勤しているアンデレは、珍しくカウンターに立っている。
先日の店長との約束通り、一日に一時間だけカウンターに立って、お客さんと話をする時間なのだ。していいのは、混雑するお昼前限定。また怒られないようにちゃんと時間は守っているが、店長不在の時は気が緩んで三十分ほど延長している。
(次のお客さん、早く来ないかなー)
カウンターに肘を突けて両手に頬を乗せ、窓の外を見つめながらわくわくしている。そんなアンデレを、接客担当の二人の女性スタッフが、かわいらしく思いながら見ている。
「アンデレくん。なんか犬みたい」
「犬っすか?」
「そ。大好きなご主人様の帰りを、今か今かと待って尻尾を振って待ってる、大型犬」
「おれ、大型犬に見えます?」
見える見える、と二人揃って頷く。
(そういえば。ずっと前に、ヨハネさんにも犬みたい的なことを言われた気が……)
「傍から見てると、かわいいよ」
「ねー」と、顔を合わせて意気投合する二人。
「おれ、かわいいんすか?」
「うん。可愛げあると思うよ」
(かわいい……。おれ、かわいいんだ……!)
かわいいと言われたアンデレは、表情だけで大喜びする。女性スタッフには、アンデレの頭に垂れた大きな耳と、ブンブン振られているフサフサの尻尾がお尻に見えた。
ヨハネの犬発言と繋げて、アンデレは確実に何かを勘違いしている。
そこへ、新たなお客さんがやって来た。
「いらっしゃいませ! ……あ。この前の」
「こんにちは。また来ました」
来たのはキィナだ。黒いトレンチコートに黒のスキニーパンツで、華奢な身体付きがより細く見える。
「何にしますか?」
「ホットのブレンドで。テイクアウトでお願いします」
「甘いものは頼まないんですか?」
「ごめんなさい。この前はチートデイだったので、今日はコーヒーだけで」
先に会計をし、コーヒーを待つあいだ、キィナからのきっかけで二人は話をした。
「お名前、アンデレさんでしたよね。ヨハネさんと同じ使徒の」
「ヨハネさんのこと、知ってるんですか?」
「この前、ボクのヨガスタジオに来てくれたんです」
「ヨハネさんが行った、ヨガの人なんですか! おれ、一緒に行こうとしたんですけど、タイマンでやるからダメだって言われて」
「タイマンじゃなくて、マンツーマンです」
アンデレの天然ボケに、いつもの柔らかスマイルで対応するキィナ。
「ヨガって、ポーズむずくないですか? バランス崩して、ぶっ倒れません?」
「初心者の方は、無理のない程度にやってますよ。でもヨハネさんは、初めてなのに難しいポーズも崩れなくて。素晴らしい体幹で、感嘆してしまいました」
注文したブレンドコーヒーが、テイクアウト用のカップで出て来た。キィナは受け取るがまだ店を出ず、そのままカウンターでアンデレと話を続けた。
「ヨハネさんて、素敵な方ですよね。レッスンが終わって時間があったので、少しボクの話をさせて頂いたんですけど、親身になって聞いてくれて。ちょっと重い話をしてしまったんですけど、ボクの気持ちをわかってくれて、そっと肩を抱いて、優しい言葉を掛けてくれました。その思い遣りに、ボクは思わず涙ぐんでしまって……」
キィナは嘘をついた。話を聞いた時のヨハネは、彼の肩など抱いていないし、キィナが泣くなど天文学的数字くらいあり得ない。
半分嘘を盛り込んで話をするが、その場にいなかったアンデレには嘘など見抜けず、ヨハネならそうするだろうとキィナの話を信じて同感を示した。
「そうなんすねー。ヨハネさんて、優しいんですよー。おれも、迷惑掛けてばかりだけど、何だかんだで優しくしてもらってて」
「そうだ。話を聞いてもらったお返しで、アンデレさんの話も聞きましたよ」
「ええー。ヨハネさん、おれの何を話したんですかー?」
自分で迷惑を掛けていると自覚しておきながら、なぜか褒められることを期待するアンデレ。
しかし、穏やかなキィナの口から、アンデレを動揺させる言葉が紡がれ始める。
「ヨハネさんと、同室なんですよね。言ってましたよ。毎日迷惑を掛けられて、そのおかげでストレスが溜まって、一緒の部屋にいるのすらイライラするって」
「えっ。一緒の部屋にいるのすら? ヨハネさん、そんなこと言ってたんすか?」
「そもそも性格が合わなくて、仲間になった時は本当は嫌だったって。同室も、本心はものすごく解消したいとも言ってましたよ」
「そ……そうなんですか?」
(確かに、迷惑掛けるたびに怒られてるけど、そんな素振り……)
怒られた数分後には普通に接しているつもりだが、円満に関係を築けていると思っているアンデレは、ヨハネの本心を少し気にし始める。
わかりやすくアンデレが動揺を見せるので、キィナは一瞬だけ口元に薄っすら笑みを浮かべる。そして、次々と嘘を吹き込んでいく。
「アンデレさん。ストレスを溜めさせるって、どれだけヨハネさんに迷惑を掛けているんです? 仲間じゃなければとっくに同室を解消してるって言ってましたし、これ以上ストレスが溜まるくらいなら、出て行くことも考えるとも話してましたよ」
「えっ。そこまで!?」
(おれそんなに、ヨハネさんにストレス溜めさせてた……?)
キィナはブラックコーヒーを一口飲み、呆れた溜め息を浅く漏らす。
「その様子だと、自覚されていないようですね」
「だっていつも、怒りながら面倒見てくれるから……」
「わからないんですか? 怒っているということは、アンデレさんのことが気に入らないってことなんですよ」
「えっ……」
ヨハネから、そんな素振りは感じなかった。それとも、自分が気付いていないだけなんだろうか。
アンデレはキィナの嘘を真に受け、ショックで言葉を失う。
これでは動揺はまだ足りないと、キィナは更に虚偽を並べ続ける。
「確かにヨハネさんは優しい人です。でも、日々のヨハネさんの表情を思い出してみてください。あなたの面倒を見るヨハネさんは、笑顔ですか? 違いますよね。迷惑を掛けられるあなたに怒っているということは、あなたに苛立つ表情をしているんじゃないんですか?」
「そんなこと、全然……」
「本当ですか? あなたはヨハネさんを慕っているようですが、その気持ちが、自身の記憶を書き換えているんじゃないんですか? ストレスを与えられ続けて愛想を尽かす寸前の人が、笑顔でいられるわけがないと思いませんか?」
キィナに誘導され、アンデレは自分の記憶の中のヨハネの表情を思い出してみる。
二度寝をして遅刻しそうな自分に怒るヨハネの顔は、確かに苛立っている。でも、それ以外の時のヨハネの表情は、笑ったり、普通に振る舞ってくれているはずだった。
だがなぜか、その記憶は本当に正しいのか自信がなくなってくる。
「アンデレさん。あなたは、ヨハネさんの優しさに甘え過ぎているんです……。いいえ。ヨハネさんの気持ちを察すると、付け込んでいるレベルでしょう。打ち明けてくれたヨハネさんは、ストレスを抱えて辛そうでしたし」
ヨハネの心労を知るふりをするキィナは、悩みを打ち明けた時のヨハネを想像させるような、心を寄り添わせる憂患を顔に浮かべた。
彼のその表情から本物の感情が見えたアンデレは、ヨハネとの関係性は順調に育てられていると思っていたのは自分だけだったのかと、錯覚させられる。
(おれ、そんなに酷い? 確かに、だらしなさを何度も指摘されてるからそうかもしれないけど、そんなにストレスを抱えさせるほどだったなんて。ただでさえ、トラウマを抱えてるのに……)
これまで、迷惑を掛けていることを自覚をしながらも、ヨハネは世話好きだって聞いたから、直そうなんて真面目に考えていなかった。怒らせても、いつも「行ってらっしゃい」と「おかえり」を言ってくれる、家族とは別の大切な存在だと思っていた。
バンデだから我慢して、思っていることを全部吐き出しているわけではなかったんだろうか。キィナの言う通り、ヨハネの心労を考えず優しさに付け込んでいるだけなんだろうか。
ヨハネとの関係性に、気付かないうちに歪みが生じていたことに、アンデレは悩み始める。
「ボクは、ヨハネさんに同情します。あなたが仲間にならなければ、余計なストレスなんて抱えなかったでしょうに」
そう言い捨てて、キィナは店を出た。
カウンターに立ち一時間が経ったアンデレは、その後キッチンに戻ったが、いつもできる仕事がまともにできなかった。




