28話 囚われのペトロ
「マタイ。挨拶も終わったんだし、もうやっていいよな! ウズウズして仕方がねぇ!」
「ああ。後はお前の好きにして良い。だが他の同士達も、あれでも一応使徒との対面を心待ちにして居る。其れは配慮してやってくれ」
「出来たらなっ!」
挨拶だけをしに来たマタイは、足元に広がった影の中に静かに姿を消した。
どうやら五対一の戦いになるようだが、フィリポがどんな能力で挑んで来るのか、また影を使ってくるのかと身構える。
「さあ、やろうじゃねぇか! テメェ等の力がどんな物か、俺様に見せてみろ!」
フィリポは左手を前に出した。掌には紋章が刻まれている。
「先ずは相棒を紹介してやるよ! 俺様と契約したゴエティア、現れやがれ!」
掌の紋章と同じ模様が地面にも現れると、紫色の光を放ち、ゴエティアが召喚された。
背中には大きな鳥の羽を持ち、逞しい四肢と鋭い爪、狼犬のような頭をし、灰色の毛に覆われた獣の姿の悪魔だ。
「此奴が俺様と契約したゴエティア、グラシャ=ラボラスだ!」
「喚んだか、主」
獣の姿のグラシャ=ラボラスは、言葉を理解していた。
「テメェの初仕事だ、グラシャ! 使徒の野郎共をぶち殺せ!」
「了解した。お前は何をする?」
「俺様は、拷問してやりたい奴をもう決めてんだよ!」
標的をすでに絞っていたフィリポは、まばたきをする間もなくペトロの目の前に移動し、首を掴んだ。
「ぐっ!?」
「第一印象でテメェに決めてたぜ!」
その勢いのまま、ペトロはユダたちから引き離される。
「ペトロくん!」
「精々楽しませてくれよなぁ!」
《因蒙の棺!》
フィリポが唱えると、テニスコートほどの広さがある黒い箱が現れ、ペトロはフィリポとともにその中に閉じ込められた。
「ペトロくんっ!」
「ペトロ!」
ユダたちはペトロを救出しようと使徒の力で箱を攻撃するが、力が相殺され傷一つ付かない。
すると、ペトロを浚ったフィリポの嘲笑う声が箱から響いてくる。
「無駄だ馬鹿共がっ! テメェ等に仲間を助け出す事は不可能だ! グラシャの相手でもしてやがれっ!」
「そう言う事らしい。一興を共にしようではないか」
金色の双眸の獣の悪魔は、前脚で地面をガリッと一掻きし、戦闘準備万端の合図を出した。
使徒とグラシャ=ラボラスの戦闘が開始する。
「穿つ! 闇世への帰標!」
「降り注げ! 祝福の光雨!」
使徒は散らばって、グラシャ=ラボラスに攻撃を仕掛けた。だが、ライオンほどもある身体の大きさのくせに俊敏に動き回られ、全く命中どころか掠りもしない。
しかも翼があるため、空中に間合いを取られるとグラシャ=ラボラスの方が有利となり、使徒は翼から無数に飛んで来る刃と化した羽根の防御に気を取られてしまう。
「使徒の力だけじゃダメだ!」
「それなら任せて下さい! シモン!」
ヨハネとシモンはハーツヴンデ〈苛念〉と〈恐怯〉を具現化させる。
「貫け! 天の罰雷!」
「貫き拓く! 冀う縁の残心、皓々拓く!」
ユダの援護で、ヨハネは空中のグラシャ=ラボラスに稲妻を帯びた光線を放つ。が、グラシャ=ラボラスはどちらの攻撃もひらりとかわす。
「射貫く! 泡沫覆う惣闇、星芒射す!」
間髪を入れず、駅入口の屋根の上に移動したシモンがいくつもの光の矢を放った。しかしそれも翼を掠りもせずに巧みにかわされ、羽根の刃をお見舞いされる。
防御で直撃は免れるが、ガラスの屋根が割れてシモンは足元を失う。
「うわぁ……っ!?」
「シモン!」
ヤコブが落下するシモンを咄嗟に抱き留めた。
「大丈夫か?」
「防御!」
シモンにかっこいいところを見せたヤコブだが、背後からの攻撃をシモンに防御され助け返されてしまった。
「油断禁物だよ、ヤコブ」
「こらそこ! イチャイチャするな!」
「何だよヨハネ。嫉妬かぁ?」
「見せつけてる暇があったら集中しろって話だよ!」
確かに、敵に隙きを与えている余裕は今回ばかりは一切なさそうだ。それに、囚われたペトロの安否が不明なのも非常に気掛かりだ。
「降り注げ! 祝福の光雨!」
一人焦りを滲ませるユダはグラシャ=ラボラスを狙い続け、同時にその目的を探った。
「ちょっと訊いていいかい。お前は『死徒』の仲間なのか?」
「仲間という認識では無い。今だけ契約をしているだけだ」
「それじゃあ、あの黒い箱は何だ。あの中はどうなっている? 閉じ込めた仲間に何をしているんだ?」
襲い掛かる羽根の刃を防御で防ぐ。
「あれは『死徒』の能力だ。悪夢を見せる棺らしい」
「悪夢を見せる棺?」
「あれに囚われた者は、己の内に有る最大のトラウマを否応無しに体験させられる。追い詰められるとやがて病み、極限状態を迎え、最終的には精神の死を迎える。と言っていた」
「精神の死……」
「じゃあ。ペトロは今、あの中で自分のトラウマを……」
棺の方を見遣り想像するヨハネたちは、自分のことのようにゾッとする。
「棺って、嫌な言い方」
「心を壊すとか、悪趣味なやり方だぜ」
一刻でも早くペトロを救出したいユダは、解放する方法を問い質す。
「あれはどうしたら壊せる!?」
しかし、その焦燥感を炙る答えが返ってくる。
「壊す事は不可能。先程のように、外側からの干渉は拒絶される。内側からの負荷でしか破壊する事は出来無い。故に、囚われた者が己の力で脱するしか術は無い。そう聞いている」
「そんな……」
「あの箱が消えることはないのか!」
「其れは、術者が消滅するか、囚われた者が精神の死を迎えた時だ」
外からは成す術はないと断言され、ユダは苛立ち歯を噛む。
「外にいるオレたちには、何もできないのかよ」
ペトロ救出に、ヤコブたちは諦念を抱きかける。だがユダは、焦燥感に駆られながらも、自分に言い聞かせるように気を確かに持たせる。
「私は絶望はしない。きっとペトロくんは大丈夫だ。私は彼を信じる!」
(強くなりたいと言っていた。自分のために使徒になったと。その意志の強さを、彼を、私は信じる!)
「噴出せ! 赫灼の浄泉!」
不安と恐れを弾き飛ばすようにユダは攻撃する。グラシャ=ラボラスは、直下から湧き出た光の泉も巧みな翼遣いで避ける。
「そうですね。僕たちは、ペトロを信じるしかありません」
「本当は、あのフィリポってやつを倒したいけどな」
「しょうがないから、目の前の敵を相手するしかないね」
一同は仲間の安否の不安を無理やりに打ち消し、立ちはだかる敵を倒すことが今の自分たちのやるべきことだと自身に言い聞かせる。
本心は、ハーツヴンデが壊れても使徒の力を使い果たしても助け出したいユダも、妨げになる思いを振り切るように立ち向かった。
(ペトロくん。きみを信じてる。だからどうか、自分の過去に負けないでくれ……!)




