16話 重なる。重ねる
ヤコブとティウブは、レストラン近くのカフェへ入った。
洗練された内装で、壁や床はホワイト系で統一されている。インテリアは、主張しないとてもシンプルなシャンデリア、椅子やソファーはベロア調で、所々にゴールドの装飾があるが決して嫌らしくない。ショーケースの中に並ぶ軽食も、心無しか行儀良く見える。
飲み物はティウブが奢ってくれ、カウンターから離れた窓際の角の席に座った。ヤコブは上司のティウブにソファー席を譲り、自分は椅子の方に腰掛け向かい合う。
「突然、誘って済まない。きみと帰りの時間が合うことは、そうそうなさそうだと思ったんだ」
「店長がこんな早い時間に帰るのは、珍しいですね」
「このあと、行く所があるんだ」
ティウブはホットコーヒーをブラックのまま飲む。その左手薬指には、少し年季の入った結婚指輪がはめられている。
「あの。俺に用って……」
砂糖を溶かしたエスプレッソを一口飲んで、ヤコブは尋ねた。ティウブと二人だけで話す機会は、これが初めてだ。説教の可能性は低くなったが、厳しい上司と二人だけというシチュエーションに、少し緊張した。
「大変プライベートなことで申し訳ないんだが、聞いてほしい話があるんだ。きみになら、相談できると思ってな」
「相談……ですか?」
ティウブは「どうか、驚かないで聞いてほしい」と前置きし、目を伏せ、表情を変えずに話し始めた。
「私には、二人の息子がいるんだ。兄はダニエルと言って、二一歳。弟はヘンリーで、十五歳だ。ダニエルは子供の頃から優秀で、私も妻も可愛がっていた。しかしヘンリーは、幼少期から問題ばかり起こし、ダニエルとは違い手が掛かる子だった。成長するに連れて気性が荒くなり、毎日のように兄弟ゲンカをするようになった。決まってヘンリーから吹っ掛け、原因は些細なことで、時には原因すらわからないことがあった。感情が高ぶると物を投げ、カーテンを破り、壁に穴を空けたりと、まるで猛獣のようだった」
「それは、大変ですね」
店の雰囲気を邪魔しない音量で、軽快なポップミュージックが流れていた。話の内容とは相反する曲調は、ヤコブに少し心地の悪さを感じさせる。
ティウブの話は、ここから急転直下する。
「私と妻はヘンリーに精神的な病気を疑って、病院で診てもらおうと話していた。そんな時だった。いつものように始まった兄弟ゲンカは、突如として傷害事件となってしまった」
「傷害事件に?」
「ヘンリーが、ダニエルをハサミで刺したんだ」
ヤコブの呼吸が、2秒間止まった。心臓がバクンッと、一回大きく鼓動した。
「ダニエルは二階の廊下で刺され、階段から落ちた。取り乱す妻を落ち着かせながら、私は救急車を呼んだ。その時のヘンリーは、どうしていたと思う」
ティウブは視線を上げてヤコブに訊いた。しかしヤコブは、父親に似た顔に昔見た表情を重ね、動揺し口を開けない。
「階段の上から、ただ見ていただけだった。血の付いたハサミを握って、意識のないダニエルを心配する私たちを無表情で見下ろしていたよ」
ティウブはヤコブから視線を外し、コーヒーを啜った。
まるで、トラウマを突かれているような感覚に陥り、視線が逸れた瞬間、ヤコブは静かに大きく深呼吸した。そして、恐ろしいと感じながらも、恐る恐る尋ねる。
「……それで。お兄さんは……」
「一命は取り留めた。だが、階段から落ちた時に打ちどころが悪かったらしく、意識不明となった。今もまだ意識は戻らず、呼吸器を付けて眠ったままだ」
「そうですか……。よかった……と、言うべきなんですかね……」
「命が助かったのは、不幸中の幸いだ」
「弟さんの方は?」
ヤコブは寧ろ、兄を刺し殺そうとした弟の方のその後が気になった。
「ヘンリーは、少年院に入った。頻繁に兄弟ゲンカをしていたことを話し、精神鑑定をされた彼は、隔離された状態だ」
そこまで話すと、凪いでいたティウブの表情がしかめられた。
「私は心底、ダニエルを刺したヘンリーが憎い。あれでも我が子だと思って、愛を注いでやっていたはずだ。だが、その思いは彼には全く伝わっていなかった。心に届いていなかったんだ。事件を起こした彼には、私は裏切られたと思っている。だから、一度も面会にも行く気になれなかった。入院していたダニエルをヘンリーの側にいさせたくなくて、妻と話し、転院させることにした。そして私と妻も、一緒にこっちへ転居して来たんだ」
「そうだったんですか……」
安定していた前職を辞めた理由が、意外なタイミングで明かされた。星付きレストランのマネージャーという役職を捨ててまで、被害者の兄と加害者の弟を物理的に離したかったのだ。
ティウブはテーブルに肘を突いて頭を抱え、ヤコブに尋ねる。
「なあ、ヤコブくん。私は、ヘンリーへの理解が足りなかったのか? もっとダニエルと同じように構ってやっていれば、あんなふうにならず、事件も起きなかったのか?」
「それは……」
「私は、自分を責めるべきなのか? だが、何度諭しても変わらなかった。私は、親としての責任を果たしていただろうか? 全て彼が悪いと思っていいのだろうか?」
ティウブは、従業員に一度も見せたことのない、懊悩を浮かべた顔を上げた。ヤコブの目にまた、あの頃の父親の表情が重なる。
「多少は、私にも責任はあるのだろう。だが、それでも憎いんだ。愛していたダニエルを殺そうとしたヘンリーが、憎くて堪らない。それでも、この憎しみを抑え込んで、赦してやらなければならないのか?」
「その……。俺は……」
問い質された気になって、ヤコブは思わず俯いた。
ここで沈黙しては、不自然だろうか。自分にも、彼の弟のような後ろめたさがあると、感付かれてしまうだろうか。言葉に詰まるヤコブは、どうしたらこの場を切り抜けられるだろうと、頭を働かせた。
「すみません。俺には、なんとも……」
顔を上げたヤコブは、苦笑いを浮かべて言った。返すのは、これが精一杯だった。
ヤコブの返答を聞いたティウブは、軽く息を吐きながらソファーに背を凭れ掛けた。
「突然こんな相談をされても、困るよな。人々を救っている使徒のきみなら、何か答えをくれると思ったんだが……」
「相談は聞けますけど、人の家庭の事情に、俺なんかが首を突っ込めないんで」
「そうか。使徒は、そこまで世話は焼いてはくれないか」
「すみません。悪魔祓い専門なんで」
乱れた気持ちを落ち着けようと、エスプレッソに口を付けた。砂糖を入れたはずなのに、さっきより苦味が際立って感じる。
「では。きみ個人としては、どう思う?」
ヤコブは、一瞬固まった。口内に残る苦味が、口いっぱいに広がっていく。
「……それも、俺から言えることはないです。弟さんを赦すか赦さないかは、店長が決めることなので」
その質問に「家族だから赦してあげるべき」という答えが浮かんだが、すぐに消し去った。
その答えは、ヤコブが心底でそう願っていると認めるのと同じことだった。自分が犯した罪を自分から赦しを乞うなど、身勝手で見苦しい。
「それはそうだな。私の家庭のことだ。彼のことは、妻とも話し合ってみるよ。済まない。重い話で、不快な思いをさせた」
「いいえ……」
心が重くなりそうだった時間から、開放される。そう思ったヤコブは、息苦しさに今になって気付いた。
ブラックコーヒーを半分まで飲んだティウブは、腕時計で時間を確認した。
「いけない。私は、そろそろ行くよ」
「どこへ行くんですか?」
「ダニエルが入院している病院だよ。着替えを届けなければいけなくてね。共働きだから、今日は私が行く日なんだ」
ティウブは、ビジネスバッグと着替えの入ったボストンバッグを持って立つ。
「本当に今日は、突然申し訳なかった。また明日。ヤコブくん」
帰り際にはいつもの雰囲気で微笑を残し、先に店を出て行った。
「……ていうか。いつの間にか、ファーストネームで呼ばれてる……」
ヤコブはホッと一息つくが、一つの謎を置いて行かれてしまった。




