14話 似た者同士
翌週の土曜日。ヨハネは着替えを入れたリュックを持ち、予約したキィナのヨガスタジオへ向かった。
ヨガをやりに行くと聞いたアンデレも付いて来ようとしたが、予約制のマンツーマンだからと言い聞かせて置いて来た。
場所は、繁華街から離れたラントヴェーア運河の程近くの、テナントがいくつか入った建物。その四階にあるヨガスタジオへ、階段で上がって行く。
廊下に出たら、右端の白い扉が目印だと言っていた。ヨハネは白い扉を見つけ、名刺と同じ名前を確認して入った。
「こんにちは」
「ヨハネさん。お待ちしていました」
受付に立っていたキィナが、いつもの柔和なスマイルで迎えた。カウンターには、ちょっと季節はずれの、肩を組んだサンタと雪だるまのスノードームが置いてある。
マンツーマンと聞いて狭いのかと思っていたが、壁や天井が白く、壁一面の鏡のおかげでそのぶん広く感じる。大きく育ったパキラや、アレカヤシの観葉植物も置いてあり、こじんまりとしていても、とてもゆとりのある空間になっている。
更衣室を案内され、ヨハネはジョギングで着ているウエアに着替えた。ヨガマットは、無料で貸し出してくれるそうだ。
「それでは、よろしくお願いします」
「お願いします」
ヨハネはキィナと向かい合い、彼の指導のもと始まった。基本姿勢から入り、呼吸を整えながら身体をリラックスさせていく。
「次はスカーサナ。胡座の姿勢です。踵を身体の中心で揃えてください。そしたら坐骨を均等につけて、骨盤を真っすぐ立てます……。そう。そんな感じで。そして肩の力を抜いて、胸を開いて。手は掌を上にして、太腿の上など、ご自身の楽な位置に置いてください」
基本の姿勢で身体が慣れてきたところで、次はストレス解消やリラックス効果のあるポーズを取っていく。
「では次は、ウッティタ・パールシュバコナーサナ。身体の側面を伸ばすポーズです。まず、先程やった戦士のポーズ2の姿勢をとります。足を前後に開いて、前に出した足の爪先は正面にし、重心を落とします。両手を前後に肩の高さまで上げたら、息を吸いながら、前の方の手を前の足の爪先の小指側に置きます。もう片方の手は、息を吐きながら、自分の頭の方へ向かって斜め上へ伸ばします」
レッスンはじっくり時間をかけて進められ、一時間経ったころには汗ばみながらも、余計なものが浄化されたような気分だった。
「お疲れさまでした。やってみて、いかがでしたか」
「キツいのかと思ってたんですけど、意外とスッキリした気分です」
「初心者さんには難しいポーズも、簡単にできていてすごかったです。やっぱり、普段の戦いで体幹が鍛えられているからですかね」
「それはあるかも」
キィナはサービスで、レモンなどのフルーツで作ったデトックスウォーターを出してくれた。
次の予約の人が来るまで時間があるというので、二人はヨガマットに座りながら話した。ヨハネは、遅くなってしまったが名刺を渡た。年齢を訊いてみたら、キィナは六歳年上だった。
「いつから、ヨガスタジオをやってるんですか?」
「二年くらい前に。最初は趣味でやってたんですけど、自分たちでも教室を始めてみようかって」
「自分たち……。ということは、始める計画をしていた時は、誰かと共同経営のつもりで?」
「はい。当時交際していた彼と……。あの。実は……」
「大丈夫です。僕も、同じなので」
ヨハネが自分と同じ性的指向だと聞いたキィナは、ホッとしたような表情をした。
「あの。少しだけ、彼のことを話してもいいですか」
「はい」
キィナは目を伏せて、薄っすらと物憂げな表情を浮かべ、ある話をヨハネに打ち明けた。
「当時、三歳年上の彼と交際していました。出会ったのはヨガレッスンで、すぐに意気投合して付き合い始めたんです。彼の提案で、一緒にヨガスタジオをやろうと計画し始めたのは、三年半ほど前。共同経営に、ボクも異論はありませんでした。だけど。共通の友人から、嫌な話を聞いてしまったんです」
「嫌な話?」
「多額の借金を抱えていて、誰にも返済してないって……。そんな感じは見せていなかったんですが、思い返してみれば、食事とか、旅行の交通費を負担させられることが多かったんです。それで彼に、借金をしているのか問い質してみたら、色んな人から借りていることを認めました。まさか、そんな人だとは思わなくて。もしかして共同経営の話を持ち掛けたのは、ボクからもお金を騙し取るつもりだったの? って、言ってしまったんです。その話をきっかけにケンカになって、共同経営の話もなくなり、そのまま別れたんです」
窓から射し込んでいた日差しが薄雲に掛かって、明るさが半減する。
ヨハネの脳裏に、レオとケンカ別れした過去が甦った。まだ整理がしきれず、過ちの重りを切り離せない、あの時を。
「実際に、借金まみれだったんですか?」
心の重りを感じながら尋ねると、キィナの表情は曇った。ヨハネと同じように、心に重りを下げた顔を。
「借金をしていたのは、事実でした。でも。その事情を知ったのは、音信不通になってからでした」
「事情があったんですか?」
「彼の妹さんが難病を罹って、その治療費のために借金をしていたみたいなんです。彼は自分の家族のことを、あまり話そうとしなかったんですが、複雑な家庭の事情があったらしくて。ボクは、その事情を知らなかったんです。借金て聞いて、友人たちと一緒で、ギャンブルとか悪いことしかイメージできなかったんです」
「それは、僕でもそう想像しますよ」
「でも。周りに流されず、ちゃんと話を聞けば、彼を悪人にしなかった……」
打ち明かす姿はまるで、自分を見ているようだった。自責の念に駆られる彼に、ヨハネは迷いなく同情を寄せる。
顔を上げたキィナは、受付カウンターの方を向いた。
「あそこに置いてある、スノードーム。別れる時に、突き返されたものなんです。クリスマスマーケットでお互いに贈り合ったもので、ボクはサンタとトナカイ。彼は、サンタと雪だるま。彼、有名なアニメ映画に出て来る、しゃべる雪だるまに似てたんです。彼は、夏も冬も苦手だったけど」
スノードームの中に閉じ込められた雪だるまに、彼の面影を見て話すキィナは、少し目を細めた。
キィナには、過ちを犯した過去を振り返り彼を思い出しても、微笑できる。でもヨハネには、思い出を振り返って和めるような気持ちは、まだない。
「だけど。間違いに気付けたなら、謝れますよね。未だに、音信不通なんですか?」
尋ねると、キィナは悲しげな表情で横に首を振る。
「去年、友人から聞きました。旅行先で事故に遭って、亡くなったと」
ヨハネは言葉を失う。戦闘で脳に焼き付けられた残酷な映像がフラッシュバックし、胸が詰まるように苦しくなり、服を掴んだ。
「共同経営の話がなくなってもこのヨガスタジオを始めたのは、いつか彼が偶然現れるかもしれないと、期待したからなんです。もしも再会できたら、一度は一緒に抱いた夢をボクが叶えたんだよって言って、もう一度ここからやり直そうって言いたかった。だけど、再会の願いも、直接謝る機会も訪れませんでした」
自分と同じ後悔で悲しみを抱くキィナに何か言葉を掛けたいが、何を言えばいいのか迷う。自分と重ねて見れば、相応しい言葉が出てきそうなものだが、自身の過ちを赦せていないヨハネは、そんな言葉の欠片も見つからない。
「すみません。なんて言っていいか……。ちゃんとした言葉が見つからなくて……」
ヨハネは両膝を立てて抱えた。掛けられる言葉があったとしても、それは励ましではない。ヨハネ自身の、赦されたい願望だった。
キィナも両膝を抱えて、同じ姿勢になる。
「ボクの方こそ、急に重い話をしてごめんなさい。使徒さんだから、話を聞いてくれると思ってしまって」
「重いとか、そんな……。僕こそ、気の利いた言葉も言えなくて……」
「あ。でも。直接ではないんですが、眠る彼の前でちゃんと謝罪はしました。彼といる未来があったかもしれないと思うと、未練が残りますが、このスタジオを始められたのはよかったです」
気持ちの整理は付いていると、キィナは最後に穏やかな表情で言った。
「そうなんですか……」
キィナは、後腐れがないよう過ちと向き合い、過去を引き摺らず、前に進んでいた。それは、ヨハネが望んでいる生き方だ。
そんなキィナに対して、ヨハネは気後れを感じた。
その後。次の予約時間が迫ってきたので、帰ることにした。
「誘っていただいて、ありがとうございました」
「よかったら、また来てくださいね。それと。さっきの話は、忘れていただいて構わないので。もう気にしないでくださいね」
笑顔で手を振り見送られたが、ヨガでスッキリしたはずなのに、気持ちは少し落ち込んでしまった。
路上に停めていた車に乗るが、少し考えごとをする。
(キィナさんが羨ましい。僕は気持ちも行動も、全部中途半端だ。もう少ししたら、はっきりしそうなのに……。早く整理したい。気持ちも、過去も)
「……そういえば」
(棺の中で、ちゃんとレオに謝ったっけ……)
宿舎に帰り、自室に荷物を置いてリビングルームに行くと、何だか焦げ臭い匂いが。キッチンへ行くと、アンデレが開口一番、
「ヨハネさんー! 今晩のメインは、真っ黒焦げ料理になりそうですー!」
と、助けを求めて来た。
キッチンを覗くと、フライパンの上で、鱒のムニエルのミュラリン・アルトが黒焦げになり、煙を上げていた。そしてその前で、アンデレと一緒に夕食の準備をしていたペトロが、立ち尽くしていた。
「本当。ペトロは、なんで毎度……」
「気を付けてるんだけど、こうなるんだよぉ……」
またやらかしてしまったペトロは、ヘコんでいた。ヨハネは呆れて短い溜め息を漏らし、日常茶飯事の対応を考える。
「それ、何枚目?」
「まだ一枚目っす」
「じゃあそれは、ペトロが責任持って食べろよ。残りは、僕の監督のもと焼いてくれ」
「世話掛けてごめんな」
ペトロは黒焦げの鱒の切り身を、皿に移した。白い皿に、黒と茶色のコントラストが映えた作品が、また生まれた。
「他は?」
「コール・ズッペです。こっちはおれ担当なんで、バッチリ任せてくださいっ!」
「アンデレは、調理だけは信頼できるからな」
「そんな言い方酷いっすよ、ヨハネさんー! 今日はおれを置いてくし、酷いっす!」
アンデレは、置いて行かれたことがまだ納得いっていないようだ。
「だから。予約制のマンツーマンだって言っただろ」
「今度行く時は、おれも連れてってくださいね!」
「その場合は、別々のレッスンだけどな」
「一緒に行って別々って、なんでっすかー!」
「お前は、人の話を聞け!」
貴重な気分転換となったはずなのに、早くもヨハネはストレスを溜め始めたのだった。




