13話 ワンオペ・ヨハネ
社長が不在となった、J3S芸能事務所。ボランティアにも逃げられた副社長ヨハネは、日々業務に追われていた。
今日は、ペトロはアルバイト、ヤコブはアウトドア用品新商品の撮影に行き、秋の連休が終わったシモンは学校だ。
「企業から来てたオファーメールは、全部返信完了。次は……先月分の経費精算か。やばい。領収書、ゴチャゴチャになってるかも」
(そういえば。SNSの市場調査も、最近まともにできてないな。ヤコブのアウトドア用品の前年との比較はこれからだけど、去年の資料まとめとかないと。シモンの新作チョコレートの撮影もこれからだから、やっとかないとな。ペトロの炭酸飲料の方は、調べなくても明らかだけど)
デスクの引き出しの領収書入れから、レシートや交通費の申請書など出し、日付と用途ごとに分け、経費管理用のエクセルに入力していく。
領収書を左側に置き、数字を確認しながら、リズミカルに正確に打ち込んでいく。そのあいだにも、ヨハネは頭を動かした。
「ペトロはすごいな」
(雑誌のたった二ページの予告だけで、専属モデルになった反響がものすごい。最初の炭酸水の広告も話題にはなったけど、あの時以上に注目されてる。ペトロがイメージキャラクターの仕事を始めて……半年くらいか。スマホの新機種と、男性用スキンケア商品と、最近は炭酸飲料の新商品の広告。そして、男性ファッション誌の専属モデル。たった半年で、五つの仕事を受けてる。ペトロの急速な注目度上昇は、誰も想像してなかった)
「事務所のSNSで専属モデル決定を発表したら、祝福のメッセージが次々と来るし。本当にすごいな……」
(そういえば。事務所の期待のホープはこれから化けるかもしれないって、前にユダが言ってたな。その勘が、当たったってことか)
「勘というか、先見の明があったのかな」
するとヨハネは、キーボードを打っていた右手をピタリと止めた。そして、空席となった社長のデスクを見つめた。
(先を予測できるなら、この状況もわかってたのかな)
「だったら。前もって言っておいてほしかったです」
午後一時過ぎ。ヨハネからデリバリーを頼まれたペトロが事務所に届けに来ると、彼は応接スペースのソファーに力無く仰向けになっていた。
「ヨハネ、大丈夫か? 生きてる?」
「一応生きてる。ワンオペがキツ過ぎて、心が折れそう……」
ヨハネのエネルギーは、午前中だけで半分がなくなっていた。湯気が立つコーヒーがテーブルに置いてあるが、エンジンはそれで一旦切れたようだ。
「今日は、まともに手伝えるやついないもんな」
「ペトロがバイト休めば、少しはマシだったと思うんだけど」
「バイトも、オレの本分だから」
「その揺るぎない志は尊敬するけど、お前は自分の価値を見直した方がいいよ。本当に」
ペトロはデリバリーのバッグから、ベーグルサンドとドーナツが入った紙袋をテーブルに置いた。
「ドーナツ、オレの奢りで余分に一個入ってるから」
「マジで? ありがとなー」
「今日は、早めに切り上げて帰って来るよ。それまで生き延びろ、ヨハネ」
「頼むなー」
果たして、まともに手伝えるかどうかは置いておき。三匹ぶんの猫の手を借りたいくらいのヨハネは、その約束に期待して寝ながらひらひらと手を振った。
事務所の扉が閉まった音がすると、ヨハネは呟く。
「僕はまだ、お前の方が心配だよ」
そのままソファーでペトロの気遣いが入った昼食を食べ、ちょっと昼寝をして長めの休憩時間を取って、エネルギーは少し回復した。
「さて! 気合い入れ直して、仕事するか!」
午後の最初の仕事、市場調査の最新資料作成のために、過去の市場調査をまとめた資料を棚に取りに行く。
が、その時。棚の上のドラセナが葉の一部を変色させ、枯れ始めているのに気付いた。
「えっ。嘘だろ。ちゃんとお世話してたつもりなのに……」
(ユダと選んだ、ドラセナ……)
事務所を始める時に、ユダと一緒に選んだ大事な観葉植物。順調に育っていたのだが、葉がだいぶ茶色に侵食されていて、回復は難しそうだ。
大切に育てていたヨハネは、切なさで肩を落とす。
「……仕方がないか。新しい子、今度探しに行こ」
そして休日。いつも行っている花屋へ、一人で出掛けた。店の中心の棚には、夏の切り花から秋の切り花へとすっかり変わっている。
今度はどれを置こうかと、全体的なバランスを考えながら棚に並ぶ多肉植物を品定めしていると、声を掛けられた。
「また、お会いしましたね」
「あっ。キィナさん」
振り向くと、購入したガーベラの花束を抱えたキィナがいた。紫色のニットに、黒いコートを着ていた。
「多肉植物、見に来たんですか?」
「一つ、うっかり枯らせてしまって。新しいものを、探しに来たんです」
「植物、お好きなんですか?」
「はい。購入するのは、観葉植物とか多肉植物が多めですが」
「じゃあ。たまには、お花はどうですか? 一つでも彩りがあると、気分も変わりますよ」
キィナは、柔らかく微笑んで勧めた。確かに事務所は緑ばかりで、彩りに欠ける。
「そうですね……。たまには、鉢植えでも買ってこうかな」
「表にありましたよ」
キィナと一緒に表に出て、パンジーはどうかと勧められたので、ヨハネは鉢植えのパンジーを購入した。
店を出た二人は、駐車している場所まで並んで歩いた。
「そうだ、ヨハネさん。ヨガ、やりに来てくれないんですか?」
「あっ……。すみません。まだ決めてなくて……」
「忙しくて、お時間取れなそうですか?」
「取れなくはないです。寧ろ、まとまった休みを取りたいくらいで……」
ヤコブが中心となって手伝ってくれていると言っても、ほとんどがワンオペ業務なので、だいぶ疲れが溜まっているヨハネは背中を丸めた。
「それじゃあ、来週の土日はどうですか? 午後二時台なら、まだ予約も入ってないので。一度、試しにリフレッシュしに来ませんか?」
ヨハネは、その場でちょっと検討する。遅れていた業務は、みんなのおかげでだいぶ片付いてきたので、来週末までには少しは落ち着きそうだった。
「じゃあ……。土曜日に行ってもいいですか」
「わかりました。来週の土曜の午後二時に、ヨハネさんの予約入れておきますね」
キィナはまた、ふわっと笑みを向けた。秋風に吹かれたら、飛ばされてしまいそうな微笑みだ。




