10話 接触④─ペトロとカア─
十月末日。来年二月に出る『ERZÄHLUNG』三月号用の雑誌撮影が始まり、ペトロは昨日の屋外撮影に続いて、今日も一人でスタジオに来ていた。
ところが現場は、にわかに緊張感が漂っている。
ペトロ専属モデルデビューとなる一月号の出版が来月に迫り、編集長のバッヘム以下編集部一同は、その反響次第で続刊が決まるので、毎日ドキドキしていた。
そんな空気を感じつつ、ペトロは本日二コーデ目を着て、スタジオの隅の椅子でぽつんと一人で休憩していた。そこへ、ヘアメイクのルッツが内股でやって来た。
「ペトロちゃん。そんな薄暗い端っこなんかにいたら、輝きを失っちゃうわよ」
着ているのは、黒いダウンジャケットに、ライトグレーのニットの中に黄色のネルシャツを重ね着し、ワイドシルエットジーンズのコーディネートだ。確かに全体的に暗い色なので、薄暗いスタジオの端にいたらペトロの良さは半減してしまう。
「明るいところより、こっちの方が落ち着くので」
「今日も調子良くていつも通りイケメンなのに、光がない場所にいたら、輝きが吸い取られちゃうわよ」
「誰に吸い取られるんですか……」
「スイッチ入ると調子いいけど、スイッチオフになるとちょっと元気なさそうよ。何かあった?」
「いえ。別に何も」
ペトロは事も無げに微笑むが、トランスジェンダーのルッツの目は、ただの付けまつ毛バサバサの節穴ではなかった。
「そんなふうには見えないわ。先月の撮影の時からそう。悩み事でもあるの? 何なら相談乗るわよ?」
「ルッツさんに相談するようなことでも……」
「えっ。アタシ、そんなに頼りない? こんな派手な身なりしてるから、信頼性がないのかしら!?」
今日のルッツは、全身黒でコーディネートしていた。が、髪色は紫と緑。主張のあるゴールドのイヤリングとネックレス。カットソーは全体がスパンコールで、ピチピチの革のパンツにはスワロフスキーでドクロがデザインされている。
「今日の服装はわりと抑えめだし、オレはルッツさんのこと信頼してますよ」
ルッツを安心させようと、ペトロはにこっと微笑んだ。
確かに、今日は抑えめのコーディネートだ。一番派手だったのは、初回の撮影前に、ペトロの身体のサイズを測った時だった。
フリルとリボンが施されたラメ生地の赤いトップスに、同じくラメで輝く緑色の短パンを穿き、バラがプリントされたストッキングを合わせ、ゴールドのピンヒールを履いていた。もちろんアクセサリーも、大ぶりのシルバーのイヤリングとネックレスで、短髪はゴールドと緑色だった。
衝撃的な初対面だったが、信頼に足る人物だということは、もう存分に理解している。
ペトロに微笑まれたルッツは、ガバッと抱き付く。
「かわいい〜♡ ちょっと元気なさげな笑顔が、たまんない〜♡ 儚かわいい〜♡」
(儚かわいい……。というか、筋肉がちょっと苦しい……)
今日、新たなペトロの形容詞が生まれた。もしや、以前流行った「儚美しい」はルッツ発信だったんだろうか。
抱き締める力がちょっと強いが、心配してくれるのは一応嬉しかった。
「そうだ! SNSの反応見た?」
「SNS?」
「今月発売した十二月号に、ペトロちゃん専属の予告出したでしょ!」
そう。数日前に発売した『ERZÄHLUNG』十二月号に、見開き二ページだけペトロの撮り下ろしを載せ、一月号から専属モデルとなることを発表したのだ。その反響がものすごく、発売初日から話題沸騰している。
おかげで、専属モデルを発表しただけの十二月号が、すでに増刷がかかっている状況だ。と、一連の話をルッツから聞くペトロ。
(そういえばヨハネたちも、SNS見て騒いでたな……)
自分のことなのに、相変わらず興味が向かないペトロ。事務所では、本格的専属モデルデビューとなる一月号が出る来月十二月にはパーティーをしようと、アンデレを中心に盛り上がっている。
雑誌存続が懸かった一月号だが、予告だけでかなりの反響を得ているので、期待はできる。編集部の心配も、恐らくするだけムダになるだろう。
「どう? ペトロちゃん! 人気に拍車が掛かってる、今の気持ちは?」
ズイッと顔を近付けて、訊いてくるルッツ。バサバサの付けまつ毛に緑色のアイシャドウの顔面に迫力を感じ、ちょっと上半身を引くペトロ。
「いや。別に、何とも」
「バズってるのよ? 雑誌の公式SNSの投稿が、万バズしてるのよ!? 注目度がチョモランマ上がりしてるのに、嬉しくないの!?」
(チョモランマ上がりって、なんだ……)
「実感ないですね。それに、オレが注目されて嬉しいのは、編集部の人たちですよね。オレはただ、雑誌が廃刊にならないように手伝ってるだけだし、結果が出るのはまだこれからだから」
「なんて謙虚なの、ペトロちゃん! そんなクールなところも、アタシ大好きっ!」
また筋肉に抱き締められるペトロ。徐々に締め付けが強くなっていて、タップ寸前だった。
「社長のユダくんも、さぞ大喜びしてるでしょうね。だけど。どうして、付き添いでユダくん来てないの? 最初の撮影は来てたのに、そのあとは全然見ないわね。昨日のロケ撮影も、ペトロちゃん一人だったし。ユダくんと何かあったの!?」
突っ込まないでほしいところを突かれ、ペトロ僅かに動揺する。けれど、心配してくれるのは有り難く思うが、やっぱり事も無げを装った。
「あいつとも、何もないですよ」
「だって。毎回付き添うって、ユダくん言ってなかった? あんなにペトロちゃんラブだから、現場でも一緒にいたいんじゃないの?」
「あいつは職権濫用して、公私混同してるだけですよ。来ないのは、ちゃんと社長の仕事しろ! ってオレが強く言ったからです。今日も事務所で、真面目に仕事してますよ」
「そうなの? まぁ、それが常識ではあるんだけど。二人のラブラブが見れなくて、寂しいわぁ〜! アタシの癒やしなのにぃ〜!」
(癒やしになるんだ……)
そんな疑問よりも、癒やしがなくなって悲しむルッツが腕にがっしりしがみ付いてきて、血流が止まりそうだった。
そこへ。男性スタッフがやって来て、撮影再開を知らせる。
「ルッツさん。もうすぐ休憩終わるらしいスよ……って。モデルさんにしがみついて、何してんスか」
「ペトロちゃんが一人で寂しそうだったから、恋人の代わりになろうと思って」
「それは無理です、ルッツさん」
「真顔で否定しないで、ペトロちゃん! 本当の恋人じゃなくて、代わりに一緒にいてあげたいってことよ〜!」
「この人、いつもこうなんスか?」
座りながら腰をクネクネさせる姿に、彼は戸惑っていた。
「まぁ、だいたい。というか……」
ペトロは、今日のスタジオ撮影で初めて見掛ける彼の名前を、まだ知らなかった。
「あ。そうよね。ペトロちゃんは、今日が初対面ね。昨日のロケは別件でいなかったけど、今月から『ERZÄHLUNG』を担当してくれることになった、スタイリストのカアくんよ。二十代前半で、まだピッチピチよ♡」
「ピッチピチって。どういう意味スか」
ルッツのようなタイプとは初めて知り合うのか、カアは相槌にも戸惑った。
金髪に赤いエクステを着け、少し焼けた肌に緑色の瞳をしている。革ジャンにダメージ加工のジーパン、エンジニアブーツを履き、ちょっと遊んでそうな印象を受ける。
「よろしくお願いします」
「こちらこそー」
ペトロが立ち上がって挨拶すると、カアは裏表のなさそうな笑顔で握手した。
撮影が再開し、ペトロは眩しい照明に当てられ、暑さを感じながら白い背景の前に立つ。カメラのシャッターが切られるたびに少しずつポージングを変えたり、表情も微妙に変えた。雑誌撮影も、すっかり慣れたものだ。
ダウンジャケットを脱いだパターンも撮るため、スタイリストのカアが、ペトロに脱いだジャケットの持ち方を指示した。
そのあと、もうワンパターンのコーディネートを撮り、撮影は終了となった。
ペトロは控え室で着替え、帰ろうと部屋を出た。その時ちょうど、廊下でカアと擦れ違った。
「お疲れさまでした」
「あっ。お疲れさまでっす。噂に聞いてた通り、ペトロさんて撮影になると、普段とは違って本当に別人みたいになるんスね……。あ。すんません。ペトロさんて呼んでも?」
気さくに話し掛けて来たかと思えば、第一印象と違い、礼儀には気を付ける性格のようだ。
「いいですよ。これからお世話になるので」
「んじゃ。俺のことも、カアって呼んでください。みんなにそう呼ばれてるんで。それと。今日が会うの二度目だって、覚えてます?」
「えっ。一度、会ったことありましたっけ?」
「先月、広告撮影の現場で、衣装やらせてもらいました」
カアは、炭酸飲料の撮影現場でもスタイリストとしていて、ペトロの衣装の着方を直してくれた人だった。
「そうだったんですか。すみません、覚えてなくて……」
「全然話もしてないっスからね。気にしないでください。それでっスね。スゲー厚かましいんスけど……。再会記念に、連絡先交換とかダメっすか?」
「えーっと……」
ペトロはちょっとしたためらう。
ルッツとは半ば強引に交換したが、基本的には、撮影で関わった人とは連絡先の交換はしていない。だから、申し訳なく思いながら断ろうとするが、カアの方から先に済まなそうに言われた。
「すんません。さすがにダメっすよねー……。いや。俺、こう見えて過去に色々あって、友達一人もいなくて。また現場が一緒なのも何かの縁、みたいに感じて。ペトロさんとなら、仲良くなれそうな気がしたんスけど……。やっぱ、いいっス。今のは忘れてください」
やはり厚かましかった。しかも使徒に個人的に連絡先の交換をお願いするなど失礼だったと、カアは反省して撤回した。
しかし。彼が少し寂しそうな表情を覗かせたのを、ペトロは見逃せなかった。
「あ。えっと……。嫌ってわけでもないですよ」
「えっ。マジすか。連絡先、教えてくれるんスか?」
「はい。いいですよ」
その寂しそうな顔がなぜか見放せなくて、ペトロの友達招待で二人は連絡先を交換した。自分の連絡先一覧にペトロの名前が追加されたのを見るカアは、トレーディングカードで大好きなサッカー選手のカードが出た、少年のような表情だ。
「やべ。数年ぶりに新しい連絡先登録できて、マジで嬉しいっす! ありがとうございます! 雑誌がピンチって聞いたので、続けられるように頑張りましょうね!」
「はい」
ペトロはもう一度「お疲れさまです」と挨拶し、帰って行った。
カアはその背中を見届けず、喜びの表情をすぐさま消して、口を大きく開けて表情筋を解すように顎を左右上下に動かした。
「想像以上に面倒臭いな、これ。まぁ、指令だから仕方ないけど……。グラシャ。上手くいったか?」
カアは、廊下の照明で作られた自分の影に尋ねた。すると、金色の二つの目が浮かび上がる。
「問題ない。主こそ、ボロが出ぬよう油断するなよ」
「お前に言われなくても、わかってるってー」




